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メキシコ紀行(2011年秋)(4) メキシコシテイ篇(4) テオティワカン(Teotihuacan)序論

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 メキシコシテイ訪問は第一に、このテオテイワカン(Teotihuacan)遺跡を訪問する事でした。メキシコシテイ北東50キロに位置し紀元前2世紀から紀元後6世紀までアメリカ大陸では最大の20万人の人口を抱えた最大の都市の宗教センターだった場所です。

 15世紀の初めの頃に北米から南下してきた遊牧民であるアステカ人(自分たちをメシーカ、メヒコと呼んでいた此れが現在のメキシコの国名の由来)は巨大な湖テスココ湖の西の小島に都市を築いた、これがテノチティトラン(現在のメキシコシテイ)である。彼らは北東50キロの高地に存在する巨大なピラミッドと都市址を発見しその文化・文明の偉大さに驚嘆し、この場所を『神々の都市=テオティワカン』と命名した。

 従い本来この場所が何と呼ばれたか、誰の国だったのかも判っていない。文字が残っていないので、解明が出来ないのだ。

 『遺跡概要』

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 三輪山のような大きな美しい姿の山の南麓に『月のピラミッド』と呼ばれるピラミッドがどかんと鎮座する。そのピラミッドから幅20㍍程度の朱雀大路(『死者の大通り』と呼ばれる)が南に向かい5キロも一直線で走っている。この道路を挟んでシンメトリカルに色んな神殿や建造物が並んでいる。

 実はこの朱雀大路は真北を向いていない北東に15度振っており、色んな仮説が今まで論議されて来た。

 この大路の大極殿にあたる『月のピラミッド』の足元には左右に幾つかのスモール神殿を抱えている。

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 朱雀大路の東側にこの遺跡では最大のピラミッド『太陽のピラミッド』が聳えている。この神殿を除けば『月のピラミッド』を最北の終端として綺麗にシンメトリカルに築造された宗教都市に見えるのだが、この『太陽のピラミッド』が一人でこの秩序を壊しているように見える。

 この『太陽のピラミッド』の地下には人類の起源の地と伝説がある「チコモストック」を想起させる7つの洞穴が枝状に繋がって存在しているそうだ。この遺跡の謎を解く鍵はやはり『月のピラミッド』と『太陽のピラミッド』ではないでしょうか。

 私の遺跡をみた第一印象は聖なる山の麓に山の神を祭る神殿を建造し、其処から南に5キロの聖なる道路を引き都市を建設したと思います。所が、メキシコでは山を崇拝する信仰が存在しないと言われてる。確かにメキシコでは山に名前が無い事が多いのだ。日本では考えられないです。しかし、私は未だ諦めていません、一番重要な農業と文化の神であるケツァルコアトル(羽を持つ蛇=ユカタン半島のチェチェンイツァ遺跡のマヤ文明ではククルカンと呼ばれている。)は蛇神でありどうしても三輪山が浮かんでくる。

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『死者の大通り』から『月のピラミッド』を眺める。背後に綺麗な三輪山のような山が控える風景。

 遺跡を歩いた印象は火山の土地という印象です。そういえば、古代の湖、テスココ湖の南にクイクイルコ(Cuicuilco)という紀元前2千年程度から人が住みついたメキシコ最古の都市があったそうですが、近くのヒトレ火山の噴火により滅び、此のテオティワカン都市が隆盛になったそうです。

 最近の研究ではテオティワカンでも多数の殉教者や生贄を神に捧げる風習が存在したそうです。日本には生贄の風習が存在しないという人がいますが、ヤマタノオロチの話や垂仁天皇の葬送の儀での多数の関係者の生き埋めの話や近世迄残存した人柱を立てる話を考えると、モンゴリアンの血筋には生贄の風習を持つ事が存在したのかも知れない。

 それでは、此れから具体的に遺跡を見て行きましょう。

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