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メキシコ紀行(2011年秋)(3) メキシコシテイ篇(3) 奇跡のマント、グアダルーペ教会

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 (旧グアダルーペ教会です、地盤沈下で傾いています)

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 (新しいグアダルーペ教会で2万人収容可能です)

 カソリックの人々の世界では超有名な教会がメキシコシテイにあると言います。カソリックの世界では三大奇跡とバチカンが認めた奇跡の一つがメキシコシテイに存在するそうです。今若者達で流行している言葉を借りれば、パワースポットと呼べますね。それが、グアダルーペ教会です。

 『奇跡のテルマ(マント)』の話

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 インデイオ(原住民)のフアン・ディエゴが親類の人が病気になり見舞いに行く途中で聖母マリアに遭遇した。その時に聖母マリアからマリアの為の教会を建てて欲しいと頼まれたそうだ。マリアは親戚の病気を治してくれたという。デイエゴは司教にマリアが出現した事やマリアの大聖堂建立の言葉を伝えるが信用されなかった。

 再度、聖母マリアはデイエゴの前に出現し寒季節なのにバラの花を渡し、このバラの花束をデイエゴのマント(ティルマ)に包み司教に見せなさいと言葉を貰った。彼は、バラの花束をマントに包み司教に聖母マリアが出現した証拠を見せに出向いたと言う。そして、季節外れのバラの花束も奇跡であるが、何と、マントの裏には褐色の聖母像が描かれていたという。1531年12月9日の出来事であるらしい。

 1537年バチカンではローマ教皇パウルス3世はこの奇跡を承認し植民地におけるインデイオへの差別迫害を禁止する回勅を発信し、ファン・ディエゴを列聖に推挙したという。褐色の聖母マリアの目にはファン・ディエゴが写っているという話です。

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 この奇跡のマントを神宝とした寺院がグアダルーペ教会ですが、地盤沈下が激しく危険となり、現在は巨大なドーム型の2万人を収容可能な新たなグアダルーペ教会が建造され、毎日何回もミサが行われています。誰でもミサに参加出来ます、祭壇には奇跡のマントが飾られています。身近で観るには地下に入り地下の歩道から褐色の聖母マリアを参拝する事が出来ます。

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 メキシコ独立運動のシンボルとしてこの奇跡のマントの『グアダルーペ聖母像』は掲げられ民族運動の旗となったそうです。ひょっとすると、アステカの女神『トナンツイン』信仰と重層されているのかも知れない。

 

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 (新グアダルーペ教会 代々木の体育館に似ています)

 このマント(ティルマ)はガイドさんのお話ではテキーラ(オアハカではメスカルと呼ぶ)の原料である龍舌蘭から作られた紙だそうです。今回の旅ではこの龍舌蘭から取りだされる紙を実際に見学する事が出来ました。

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 所で、この新しい巨大なグアダルーペ教会は何処かで観た事があるような建物だと思ってガイドさんに質問しましたら、やはり代々木のオリンピック用に建造された体育館、丹下健三さんが設計ですが、似ているんです。メキシコ現代建築家を代表するペドロ・ラミレス・バスケスさんは丹下健三さんと親交が深い人だったそうです。

 何れにせよ、宗教の世界では奇跡が必要です。キリスト教布教のプロセスで褐色のマリア像は原住民を取り込むプロセスとして生まれたものと解釈しています。

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