メキシコ紀行(2011年秋)(1) メキシコシテイ篇 アステカの王都
さて、現在のメキシコの首都、メキシコシテイの御案内です。人口は1800万人でラテンアメリカ随一の繁栄した都市です。1519年にスペインのエルナン・コルテスにより征服されるまでは、アステカ王国の首都として栄えていた。標高2240メータあり当時はチチカカ湖のようなテスココ湖の中にアステカの王都は築かれていた。
当時の名前は、テノチティトランと呼ばれ多くの神殿が立ち並ぶピラミッドが林立する都だったようです。アステカは勢力をユカタン半島まで伸ばし、繁栄を極めた王国だった。しかし、極端に太陽が衰えるのを恐れ、他民族を征服しては捕虜を毎日、太陽の生贄にして夥しい数の生贄を神殿で心臓を取り出す儀式を行っており、毎日数百人の生贄の心臓が取り出され、死体は神殿の上からけり落とされ、階段は血みどろだったという。
スペイン人がアステカの王都に侵入した時に、街中には血の匂いが充満していたという。何故そのような狂気の沙汰が行われていたのか、研究者の間でも論争が続いているそうだ。一つ、言える事はグーグルアースの航空写真でも判るように、北米大陸に存在し南下したモンゴリアンの遊牧民は狭い地形に南下し、人々を養うだけの土地が存在しない狭い場所である事が判ります。
丁度、朝鮮半島の古代史のように満州方面の扶余族や濊や韃靼など遊牧民が大陸から狭い朝鮮半島に南下し地元の原住民と熾烈な戦争を余儀なくされた事情と似ているのではないでしょうか。戦争を行事化し生贄を毎日数百人も太陽に捧げたアステカの狂気は天文学からくる太陽の終末恐怖だけではない、何か、現実的な事情も存在したと説明する仮説に私も魅かれます。
メキシコシテイ滞在の時に、日本から予めインターネットで現地のHISの旅行エージェントに一日観光ツアーの申し込みをしておいた。滞在のホテルまで朝迎えに来ていただき、私達夫婦と他のホテルに滞在中の若い二人の男性と一緒に観光する事になりました。
・ソカロ広場
アステカ王国時代のテノチティトランの中央神殿が存在した250㍍四方の広場です。現在でもメキシコの中心地であり広場を囲んで著名な建造物が存在しています。北にはメキシコの教会を統括するカテドラルが存在し、東にはスペインの征服者エルナン・コルテスが自宅として建造した宮殿が存在する。1693年に1~2階部分が建造されたそうだが、今は3階建ての国立宮殿。デイエゴ・リベラの大壁画で有名です。
ソカロ広場です、アステカ時代のテノチティトランの中央神殿址です。
デイエゴ・リベラの大壁画げ有名な宮殿。
次回は、この写真の広場の北に鎮座するカテドラルの訪問です。
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