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ベトナム縦断1800キロの旅(23) 中部編 ホイアン 日本橋

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 ホイアンの『来遠橋』通称は『日本橋』と呼ばれています。ホイアンは古い街並みが世界遺産に指定されていますが、この『日本橋』は一番重要な建物として保存されています。

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 この橋は関ヶ原の戦いの7年前、1593年に日本人により建造されました。当時、2千人程度の日本人が駐留していたと言われています。日本人は古来、海の民として東南アジアの海域では時に倭寇となったり、時に正式な日本国の貿易船として各地で貿易をしていました。

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 これはベトナム紙幣2万ドンですが、この『日本橋』が印刷されています。ベトナムが誇る世界遺産の一つなんですね。そんなものを日本人の先祖が貢献した事に誇りを感じます。

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 秀吉の頃から倭寇対策として朱印状を与えた公式の日本の貿易船が東南アジアに展開していたようですが、家康が1604年から積極的に朱印状を発行し1635年まで350隻の朱印船が東南アジアに渡航したといいます。

 当時のベトナムは、北部ハノイは安南国、中部のダナン・ホイアンは交趾国又は広南国と呼んでいた。チャンパは南の方に追いやられ、占城国と呼ばれている。ともかく、朱印船は安南、スペイン領マニラ、カンボジア、シャム、パタニ(マレー半島)等々に出かけて行き交易を行った。家康の財政を支えた国際貿易でありました。

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 こんな風に太鼓橋になっています。屋根があり中国風も取り入れています。

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 橋の真ん中に祠堂があります、『来遠橋』と扁額が掲載されています。

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 キツネさんです、稲荷さんですね。商売繁盛の守り神ではないですか。

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 しかし、1635年には日本は鎖国令を出し交易の門戸を閉じました。おりしも、西欧諸国は大航海時代を迎えていたのです。そして、此の地で活躍した日本人達も去り、日本人町からも引き上げて行きました。日本人町には京都の町屋と殆ど同じような、ウナギの寝床のような坪庭を持つ家屋が世界遺産として残る事になりました。その話は次回です。

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