« メキシコ紀行(2011年秋)(6) メキシコシテイ篇(6) テオティワカン 死者の大通り | Main | メキシコ紀行(2011年秋)(7) メキシコシテイ篇(7) テオティワカン 太陽のピラミッド »

ベトナム縦断1800キロの旅(20) 中部編 ホイアン、ミーソン遺跡(3)

 承前 ベトナム縦断1800キロの旅(19) 中部編 ホイアン、ミーソン遺跡(2)

20116vieatnum_838

 聖なる山『マハーパルヴァタ』(美山)これが遺跡の名前になりました。写真の遺跡の塔の後に控える山がそうです。

 この山は貿易航海民にとり海から格好の標識になった山だそうです。当時は沿海航法ですから、山は航海の目印でした。海人が山を崇拝する習慣がありますが、航海と深い関係があると考えています。グエン王朝が北のフエ、ダナン湊で栄える前はトゥーボン川河口即ちホイアンが最大の国際貿易港でした。しかし、この河口も河内潟、河内湖と同じように砂で埋まり港としての役目を終えたのがこの王朝の運命でした。

20116vieatnum_840

 女神の像の顔がありませんが、何とか全体像が判る程度に祠堂が残っています。

20116vieatnum_842

20116vieatnum_843

八頭身の美人のようですね、アプサラでしょうね。

アンコールの遺跡の像よりは立体感があり素晴らしい作品だと思います、本当に早く修復しないと消えてゆきそうです。

国際的な援助がなされてると思いますが、世界遺産として守らなければと思いました。

アプサラの像関係をもう少し探しましょう。

20116vieatnum_870

20116vieatnum_871

20116vieatnum_872   此れは石像ですね、石に彫られたアプサラの像だと思います。

両手を挙げて梁を支えています、顔は皆さん異なり人種も違いますね。

とっても可愛いです、早く保存してやらないと可哀そうだと思います。ベトナムで道路や橋を作る援助だけでなく、もっと文化財を守る協力援助をしてあげれないのでしょうか。

20116vieatnum_850

20116vieatnum_854

 塔の天井を内部から、見上げたところです。

20116vieatnum_856

 アーチの技術がないので、徐々にせり出してゲートの天井を構成しています。

ベトナム戦争の時はこの遺跡がベトコンの拠点となっていたそうです。

20116vieatnum_853

20116vieatnum_857

|

« メキシコ紀行(2011年秋)(6) メキシコシテイ篇(6) テオティワカン 死者の大通り | Main | メキシコ紀行(2011年秋)(7) メキシコシテイ篇(7) テオティワカン 太陽のピラミッド »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

Comments

Post a comment



(Not displayed with comment.)


Comments are moderated, and will not appear on this weblog until the author has approved them.



« メキシコ紀行(2011年秋)(6) メキシコシテイ篇(6) テオティワカン 死者の大通り | Main | メキシコ紀行(2011年秋)(7) メキシコシテイ篇(7) テオティワカン 太陽のピラミッド »