美山公園・博物館ジオサイト フォッサマグナミュージアム
長者ヶ原遺跡から縄文時代からの日本海及び北海道を含めた交易路についてその背景を遺跡を通じて考えてみようとしています。今まで、北海道の交易路で栄えた遺跡について触れてきましたが、本州の日本海沿岸の交易路で栄えた村落に入る前に、フォッサマグナミュージアムについてご紹介です。
マイフォト フォッサマグナミュージアム 写真集
私が理解した範囲で何故、姫川・支流の小滝川、青海で翡翠が採取出来るかと言う事を簡単に纏めると以下の通りだと思います。
ユーラシアプレートと北米プレートは糸魚川付近から静岡にかけての地域で衝突しています。(糸魚川・静岡構造線)北米プレートがユーラシアプレートに衝突する前に海底で出来た水成岩は衝突後ユーラシアプレートの下に潜り込みます。そこで、高圧高熱に晒され、蛇紋岩や翡翠が生成されるのです。
やがて、断層の跳ね返りにより地下で生成された蛇紋岩・翡翠は地上に露出します。そして、20万年程度をかけて姫川・小滝川等々の河川により浸食を受け日本海の沿岸に運ばれました。
姫川河口域の長者ヶ原遺跡や青海では翡翠や蛇紋岩を利用した玉や石斧の製品を製造する工房が生まれ、出雲の海人(志賀島を本拠とする安曇族)達が流通を担当したと考えられます。出雲の海人は本州の日本海沿岸地域で交易品として価値の高いものを積極的に開発する手助けをしたのではないでしょうか。次回、漆器の事や翡翠以外の玉や管玉についても触れます。
私は高校時代に地学を選択しなかったので、全く岩石の事や地球のプレートの事は判りません。従い、興味ある人は写真集を見て頂ければ解説がついていますので、理解の補助になると思います。
フォッサマグナはナウマンが最初に考えたもだそうです。糸魚川と静岡を南北に結ぶ線と直江津から平塚間を南北に結ぶ線で大陸プレートが衝突し大きな溝が出来たと考えた。現在は、修正され、糸魚川と静岡を結ぶ構造線(ISTL)と東の構造線は二本存在し、新発田ー小出構造線(SKTL)と柏崎ー千葉を結ぶ構造線(KCTL)により構成されており、フォッサマグナは1本の線ではない事が判明しているそうだ。
しかし、その場合に関東山地はフォッサマグナの範囲に含まれる事になります。
人工衛星による大地の動きの観測や地震観測によると、糸魚川ー静岡構造線の北部地域(小谷ー糸魚川)はプレート境界になっていないらしい。プレート境界は静岡から北上して長野県大町市付近から北東に曲がり、長野市、新潟市をへて日本海に抜けるそうだ。
問題は更に複雑で、伊豆ー小笠原弧が本州弧に衝突しており、関東山地がその裂け目であると考えるナウマンの考えも正しそうであり、まだまだ解明されていない世界が多いのかも知れない。
「日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事
- エゾライチョウとクマゲラを見る旅 総括編(2018.07.09)
- 2018年春の渡りの飛島 総括編(2018.07.09)
- 南ゴビ砂漠探鳥紀行(2018年6月15日~20日) 総括(2018.07.06)
- 2017年 春の渡りの飛島記録(2018.05.15)
- 豪州鳥見紀行 ケアンズ・エアーズロック・シドニー チエックリスト(2018.02.21)
Comments