お伊勢さんから帰りました
外宮の豊受大神宮(豊受大御神)です、お伊勢さんは外宮から先にお参りする事になっています。
この神社が何時頃から外宮と呼ばれるようになったのでしょうか。この神社は謎が多いのです。先ず千木(ちぎ)が垂直に切られ出雲様式です。ワカタケル大王(雄略天皇)22年にこの地に丹波の国(今の丹後半島)から鎮座されました。ワカタケル大王の狙いは何だったのか、池と川に囲まれまるで城のような外宮、アマテラスの皇太神宮を監視するような位置にあるのが気になりました。
外宮の高台にある多賀宮です、戦争の時は本陣になるような場所にあります。外宮と内宮は本来全く別の神をお祭し、存在した神社が何時の時かあたかも一緒のようなアマテラスに包含された一つの神宮になったようですね。私は天武さんの時ではないかと推測しています。
二見ヶ浦の夫婦岩です。小学校の卒業旅行で来た時にサザエの壺焼きを食べた記憶があります。今年は綱を付け替えた直後に台風で切れ再度締め直したそうですよ。海の神々を祀る場所で、安曇族の神であるワタツミの神、水先案内のサルタヒコ、そして豊受大神を祀っている場所です。
五十鈴川です、此処で手を洗い清めます。半世紀前、小学6年生の修学旅行の時も確か此処で手を洗いました。昔の儘です。
アマテラスさんをお祭する皇大神宮、内宮と呼ばれる聖なる場所です。此処から先は撮影禁止です。第10代崇神さんの時に疫病が起こり、その時からアマテラスさんは瑞垣宮から追い出され、笠縫邑に移られ、その後流浪の旅となりました。倭姫の時にこの伊勢にサルタヒコの活躍もあり鎮座出来ました。伊勢の鉱物資源特に水銀の確保であるとか、東国支配の海運の拠点であるとか、色んな説があります。
宇治橋の鳥居は未だ取り換えられていません。橋は取り換えられました、この日の空は素晴らしい秋の空でした。
鳥羽から一気に渥美半島先端の伊良湖岬を目指します。
天武・持統さんは壬申の乱のあと信濃に遷都する考えでした、迫りくる唐王朝の攻撃に備える為です。そして伊勢湾を横切りこの海を渡り信濃国への海路を探ったようです。渥美半島と言えば、私の母は渥美であり、数年前に亡くなった藤城さんの故郷でもあります。
素晴らし旅でしたが、謎が膨らむ旅でもありました。
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