お伊勢さん参拝記(1) 伊勢神宮の謎
承前 お伊勢さんから帰りました
伊勢神宮の私の思い出は小学6年生の時の修学旅行です。宇治橋での記念写真を見ると母も写っており父兄同伴だったようです。もう半世紀も前の話です。
伊勢神宮は日本人であれば、一度は参拝すべき聖なる場所であると考えます。皇室にとり皇祖神であるアマテラスさんを祀る一番大事な神社です。信仰の面から離れ、古代史として伊勢神宮を考えると昔から多くの謎を抱える神社であると考えていました。そんな謎も今回の参拝で少しは解けるか楽しみな紀行となりました。
それでは、私が考えていた伊勢神宮の謎について纏めてみます。
『伊勢神宮の謎』
①何故、伊勢に鎮座されるのか
ヤマト王権の天皇家にとりあまり縁もゆかりも無い伊勢の鄙な土地に何故、一番大事な皇祖神であるアマテラスを祀らねばならないのか。ヤマト王権のおひざ元に何故鎮座して貰わないのか不思議だ。
②何故、アマテラスは皇居から追放されたか
『記紀』によれば、崇神天皇の時代に疫病が蔓延し国民の半数近くが死ぬ事態が起こり、皇居内で大物主とアマテラスの両方の、御霊を祀るのが原因であり、大物主がお怒りになりアマテラスを皇居から追放する事になる。笠縫の邑と呼ばれ、檜原神社の場所が一番有力であるが、多神社・秦庄の神社も候補の一つである。
③何故、アマテラスは放浪せざるを得なかったのか
確か崇神天皇の時に皇居から追放され、摂津や宇陀や近江や丹波・丹後と放浪され、各地に元伊勢という神社の伝承を残し垂仁天皇の時にやっと倭姫により伊勢に鎮まりたまいました。何故、政治的にも最大の権力を握る皇室が一番大事な皇祖神であるアマテラスを放浪させたのか、理解出来ない。
④何故、豊受媛神が呼び寄せられたのか
雄略天皇22年だと思うが、夢枕にアマテラスさんが登場し、一人では淋しいから丹波(当時は丹後も丹波の領域でした)に鎮まる食物や衣食住の神である豊受媛神を近くに来て欲しいと夢のお告げがあった。それが、現在、外宮の豊受大神宮だという。アマテラスとはあまり関係がなさそうな神を何故、雄略天皇は伊勢に呼びつける必要があったのか。必ず理由がある筈である。
⑤天武天皇は何故、伊勢神宮を大事にしたか
壬申の乱では伊勢神宮は具体的にどんな貢献をしたのか。何故、天武・持統さんは斎宮(齋王制度)を復活させ伊勢神宮を最高の神社として祀るようになったのか。
⑥外宮、内宮とは
本来別々の神である筈の二人の神が内宮、外宮と一つの神宮に纏められているのか。誰の頃から外宮・内宮という呼び方がされるようになったのか。
⑦太陽の道とは
伊勢神宮→檜原神社(三輪山)→淡路一の宮 伊弉諾神宮(いざなぎ) これが太陽の通過する道であるという仮説があります。アマテラスは太陽の神です、淡路一の宮はアマテラスさんのお父さんが亡くなられた場所です。昔、地図も観測技術も無い時代に太陽の道の上にプロット出来るんだろうか。
⑧豊受媛神とはどんな神なんだろうか
アマテラスさんの食事の世話や話し相手になる豊受媛神とはどんな女神なんだろうか。丹後で何をしていた神さんなんだろうか。何故、アマテラスさんとコンビを組むのか。
⑨伊勢神宮はまるで要塞のようだ
外宮の衛星写真を眺めていると周りは池や川や濠に囲まれ、多賀宮(荒み霊が鎮まる場所)は山の上でありまるで山城である。明らかに戦闘配置についたような地形である。内宮もそのような地形である。これは、神社では無く戦闘配置についた城のように思える。
その他沢山の謎があるのですが、今回の参拝にてどう考えが変わるか、自分でも楽しみでした。
旅が終わり何冊かの伊勢神宮に関する書物を読みました。特に、私が理解し易かったもので私の疑問に答えてくれたのは『伊勢神宮と古代の神々』直木幸次郎(吉川弘文館)でした。次回より、彼が私の疑問にどう答えたのか記録を残したいと思います。
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