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鹿島槍ヶ岳山麓 『翔羊(しょうよう)山荘』ワーク記録(2011年9月)

 承前 鹿島槍ヶ岳山麓 『翔羊山荘』から帰還

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 (以下、写真は18回生、元主将の宮崎さん撮影)

 2011年9月23日~25日の期間、神戸大学ワンダーフォーゲル部のOB12名は鹿島槍ヶ岳山麓の『翔羊(しょうよう)山荘』に集結し小屋の修理作業を行った。

 メンバーは12回生・鷹取、15回生・阪本、16回生・中川、田中、岡本、17回生・山本、筒井、18回生・宮崎、21回生・森田、24回生・眞野、27回生・鈴木、28回生・吉村 以上の12名です。

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 参考 46年前のワンゲルの思い出(2010年9月記録)

 私は東京の東横線の多摩川駅から私の次の代の主将をした宮崎さんの車に乗せて貰い、同乗者は5年先輩の12回生の鷹取さんと中央高速で鹿島槍山麓の山小屋を目指した。17回生の代で山小屋建設を部員総会で議決し建設の準備に取り掛かり、大学やOBや地元の地権者や建設会社、資金調達の事業計画、等々とめまぐるしい多忙さだった。

 当時は日露戦争当時の日本と同じでワンゲルの財政は山小屋を建設は出来ても維持できる資金余裕は無かったので、大学に寄付し維持費は大学にお願いする事にした。実際に山小屋建設の苦労は18回生の宮崎主将の代だったと思います。設計は16回生の中川さんが担当し現在でも山小屋修理のリーダーは中川さんである。

 2011年9月『翔羊山荘』ワーク記録 写真集

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 その後も多くの現役諸氏やOB/OGさんに支えられ、半世紀に及ぶ風雪に耐え、山小屋は存続して来ました。しかし、流石に半世紀近くも経過すると至る所に不具合が出て来たようです。昨年から、設計者の中川さんを中心にOB/OGのボランテイアが集まり修理作業をする事になったようです。

 夜には庭で大きなファイアーが焚かれ、昔と同じように山の歌を歌う生活を三日間堪能しました。昔と変わらないワンゲルの灯が今も『翔羊山荘』には燈っていた。

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