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葛城の蘇我氏発祥の地(メモ)

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 葛城氏は4世紀の頃から5世紀、所謂、河内王朝とも呼ばれる時代には最大の勢力を持つ氏族でした。雄略天皇に滅ぼされ、葛城氏を構成する蘇我氏・忌部氏・秦氏・加茂氏等々は葛城から四散した。蘇我氏は河内の石川に、秦氏・加茂氏は山背の鴨川・桂川流域に拠点を移動させた。

 そこで、葛城に蘇我氏・忌部氏のゆかりのルーツの地を辿りたいと思います。掲載しました地図は、グーグルアースでゆかりの地を私がプロットしました。

橿原市曽我町と橿原市忌部町のほぼ中間、天高市神社の北側に曽我玉作遺跡があります。この遺跡の発掘により蘇我氏と祭祀氏族の忌部氏、及びヤマト王権の神祇政策との関係を考察する上で重要な遺物が多く出土した。

 場所は畝傍山の北にあり、傍を曽我川が北上し南には古代の官道、横大路が東西に走る。北には弥生時代の中曽司遺跡・土橋遺跡、南西には古墳時代の曲川(まがりかわ)遺跡が分布する。忌部氏が祖神とした延喜式内名神大社の太玉命神社がある。又、蘇我氏が祖神を祭る宗我坐宗我都比古神社(そがにいます そがつひこじんじゃ)、さらに式内大社の天高市(あめのたけち)神社が近接して鎮座する。

 安閑天皇の勾金橋(まがりかなはし)宮の伝承地も近くにあります。

 遺跡は5世紀後半に突然、大々的な玉の一貫生産が始められ6世紀前半まで続いた玉作遺跡です。出土遺物は碧玉・琥珀・緑色凝灰岩・水晶・翡翠・埋木・ガラスなどを原料とする玉類(勾玉・管玉・丸玉・棗玉・小玉・切り子玉・子持ち勾玉)等々と、滑石製模造品、砥石、舞錐、銅製儀鏡、鉱さい、韓式系土器、製塩土器、土師器、須惠器、等々が出土したという。

 遺物の中心をなす玉類の出土は数十万点に及ぶという。遺跡全体ではこの10倍規模が埋まっていると考えられるそうだ。材質が豊富であり、生産量が群を抜いている。滑石は和歌山県、碧玉は山陰地方、緑色凝灰岩は北陸地方、ヒスイは新潟県、琥珀は岩手喧嘩千葉県だと推測されているそうだ。

 以上は、平林章仁氏の「蘇我氏の実像と葛城氏」(白水社)第1章を典拠としております。

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 葛城氏についてはこれからも調べて見たいと考えています。

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