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テレビ朝日の『砂の器』

 二夜連続で松本清張さん原作のドラマ『砂の器』を鑑賞した。築紫紀行の同行のMuの旦那さんは大の清張ファン、帰路には今回も又、小倉の清張記念館に立ち寄られた筈である。私は晩年の清張さんが古代史にのめり込まれた世界には興味があり、沢山の彼の古代史関連の本や講演録を乱読した経験があります。

 私は最近、彼の『昭和史発掘』を読んでいますが、鋭く社会の裏面をえぐる鋭い刃の切れ味は本邦一ではないだろうか。

 さて、『砂の器』という題名に興味が注がれ、テレビドラマを観賞する前から自分なりに、『砂の器』とは何だろうか?考えを巡らせていた。『砂の楼閣』という言葉があるように、主人公が営々と築き上げた栄光の楼閣も儚く崩れ去る様子を表現しているんだろうな~と考えていた。砂というのは『一握の砂』でも表現されれるように、無機質な儚い夢を表現する事に妙に当てはまるような気がしていた。

 しかし、二夜のドラマを観賞し、今、私が抱く『砂の器』の意味は少し異なるような気持ちです。

 清張さんは社会派であり個人を取り巻く社会体制や環境に鋭くメスを入れる人です。そして、彼の生まれた場所は鉄で有名な築紫の国、物語の舞台は出雲のタタラの世界でした。私の印象は、『砂の器』とは砂で出来た鋳型の事ではないかと感じた。青銅や鉄の製品を生み出すのは鋳型である。製品が出来ると、無残にバラバラに崩される儚いものだ。

 人間を鉄製品と考えると、鋳型は社会体制や社会環境という事になる。鋳型が悪いと粗野な製品しか出来ないのは事実だ。当時、不当に被差別が存在したと考えられるハンセン氏病に対する社会の冷たい目が主人公の子供を育てた鋳型であった。

 『カメダ』を巡るトリックで面白かったのは東北弁の分布である。出雲のある地域に東北弁を喋る地域が存在する話です。実は、この話は以前に何処かで読んだ記憶がありました。実は、出雲族が海の民として日本海沿岸地域や日本列島の津々浦々に進出した歴史と関係が深いという話です。元来、東北弁のルーツは出雲にあるという話です。

 早くから朝鮮半島の辰韓や新羅と交易があった出雲は日本海沿岸で海の交易ルートを使い各地に拠点を築いたという話です。列島に存在する神社で大国主さん、スサノオさんを祭神とする神社は多分最大ではないだろうか。三輪山の神さんも、実は大物主さんであり出雲の神さんです。記紀では神話編で1/3の分量を出雲の神話を記述している。ヤマト王権の前に国の神として出雲の神が支配していた事を認め、国譲りによりヤマト王権は国を治める正統性を得たのだと語っている。

 清張さんの『砂の器』を二日間連続で観賞し、以上のような事を考えながら観ていました。

 ps)そうそう、私が入社して1年目、蒲田に『システムラボラトリ』という大きなソフト関連の事務所が開設され、私も丸の内から移動した。丁度昭和45年だったと記憶している。その場所は昔は蒲田撮影所の場所であり、事務所の隣は蒲田操車場でした。『砂の器』の冒頭の殺人現場が事務所の隣でした。

 西口も東口も卑猥な飲食店が多く存在する場所であり、西口からそのような風紀の悪い店を排除して下さいと、当時の会社の幹部は地元の人々や警察当局と話をしたという事を聞いていた。なんせ、20代前半の若いエンジニアが千人規模で蒲田の西口に移動したと思います。

 そんな訳で、この作品については昔から何処か馴染深いものと感じていました。

参考 MuBlog 『砂の器』 松本清張原作 竹山洋脚本感想

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