築紫紀行(8) 蒙古塚・金印公園
玄界灘、古来幾多の船が壱岐を経由して朝鮮半島と行き来が行われたのだろうか。朝鮮半島と日本列島とは本当に一衣帯水である。陸の海のシルクロードの始発駅であり終着駅だ。
『蒙古塚』
元寇史跡、『蒙古塚』です。
文永11年(1274年)と弘安4年(1281年)の二度の蒙古軍襲来時の古戦場であり、「首切り塚」とも呼ばれていたそうです。
昭和2年に戦死した蒙古軍の兵士や首を切られた兵士を弔うために供養塔が建立された。
多くの兵士は高麗の人々ではなかっただろうか。
博多の繁華街が見えますね、昔の儺の津、奴国ですね。
モンゴルの兵士たちはこの美しい風景を眺めながら眠っています。
『金印公園』
次は江戸時代に偶然に農夫が発見した金印の出土場所を訪ねます。
江戸時代、天明4年(1784年)に偶然に耕作中に金印を見つけました。
『 後漢書』によれば、57年に光武帝が倭国の奴国王に金印を下賜したと記録されており、その時の金印であるとされています。
何故此処で出土したかは複数の仮説がありますが、奴国の金印を受けた人物か王の墳墓に埋納されたのではないかと考える説が有力だそうです。勿論、偽物説もあります。もう一つの説明は印の使い方ですが、封泥と呼ばれるものです。西洋人が親書に蝋燭を垂らし印を押すのと同じです。
ベンチで奴国時代を空想するMuの爺さんです。卑弥呼の使いで魏に出かけた儺升米という大夫は奴国王だったんだろうか、邪馬台国が狗那国と戦闘状態の時に卑弥呼を見限り儺升米に黄幢を渡したのは本当だろうか。色々と、想いは尽きない。
一度はこの玄界灘を壱岐、対馬と渡り洛東江河口の金海(キメ)まで行ってみたいですね。
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