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築紫紀行(4) 志賀海神社その3

 承前 築紫紀行(3) 志賀海神社その2

 ところで、日本列島と大陸との海路はどうなっていたんでしょうか。

Photo  一番北側には宗像大社の系列がある海上ルートがありますね、沖の島即ち海の正倉院と呼ばれる宗像一族の聖なる島を経由し対馬や朝鮮半島南部に行き来するルートです。

 もう一つは博多湾の志賀島経由で壱岐に向かうルートが奴国のルートですね。魏志倭人伝の世界では壱岐から末盧の呼子の港を結ぶルートでした。

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 此れは、宗像大社の本宮、中津宮、沖津宮の位置を図示したものです。

海の神はこのような宮の配置を考えるようですが、此れは水平思考、山里の神社は垂直思考です。山の上に山宮があり、麓に里宮があり、人々の暮らす田圃の付近に田宮が存在します。神は山の岩座から降下され、人里に来られるのですね。

 参考 宇佐神宮とヤマ信仰(2004年12月記事)

 中国との交易を考えると、有明海ルートや琉球ルートでは薩摩半島が考えられます。

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 古代は木造船ですから、湊を海には作れない、海に川が注ぎ河口から貿易船が川を遡り繋留する。古代の都が作られた場所は殆どがこのような場所である。

今回の築紫紀行では私の父の祖先のルーツを探る旅でもあり有明海と大陸のルートには大いに関心がありました。

 さて、志賀海神社でした。

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20119tsukushi_033  御由緒によれば、『龍の都』、『海神の総本社』と呼ばれ、歴史は古いようですね。やはり、神功皇后に関する伝承が多いようです。

元々は神社は志賀島の北の端、勝馬の場所に存在したようです。

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 志賀海神社拝殿の様子です。

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 境内にある粟島様(淡島)だそうです。色んな説がありますが、船出の時の風を占う神と関係がありそうです。住吉の神だという説やイザナギ・イザナミの二番目の子であるとか、少なくとも海の民と関係が深い神さんのようです。

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 境内の今宮神社を参拝されるMuの旦那さんです。

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 松尾社の鳥居です。秦氏の神社が何故此処にあるんでしょうか。新羅との関係や息長氏との関係を少し次回は整理してみましょう。

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