築紫紀行(4) 志賀海神社その3
ところで、日本列島と大陸との海路はどうなっていたんでしょうか。
一番北側には宗像大社の系列がある海上ルートがありますね、沖の島即ち海の正倉院と呼ばれる宗像一族の聖なる島を経由し対馬や朝鮮半島南部に行き来するルートです。
もう一つは博多湾の志賀島経由で壱岐に向かうルートが奴国のルートですね。魏志倭人伝の世界では壱岐から末盧の呼子の港を結ぶルートでした。
此れは、宗像大社の本宮、中津宮、沖津宮の位置を図示したものです。
海の神はこのような宮の配置を考えるようですが、此れは水平思考、山里の神社は垂直思考です。山の上に山宮があり、麓に里宮があり、人々の暮らす田圃の付近に田宮が存在します。神は山の岩座から降下され、人里に来られるのですね。
中国との交易を考えると、有明海ルートや琉球ルートでは薩摩半島が考えられます。
古代は木造船ですから、湊を海には作れない、海に川が注ぎ河口から貿易船が川を遡り繋留する。古代の都が作られた場所は殆どがこのような場所である。
今回の築紫紀行では私の父の祖先のルーツを探る旅でもあり有明海と大陸のルートには大いに関心がありました。
さて、志賀海神社でした。
御由緒によれば、『龍の都』、『海神の総本社』と呼ばれ、歴史は古いようですね。やはり、神功皇后に関する伝承が多いようです。
元々は神社は志賀島の北の端、勝馬の場所に存在したようです。
志賀海神社拝殿の様子です。
「日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事
- エゾライチョウとクマゲラを見る旅 総括編(2018.07.09)
- 2018年春の渡りの飛島 総括編(2018.07.09)
- 南ゴビ砂漠探鳥紀行(2018年6月15日~20日) 総括(2018.07.06)
- 2017年 春の渡りの飛島記録(2018.05.15)
- 豪州鳥見紀行 ケアンズ・エアーズロック・シドニー チエックリスト(2018.02.21)
Comments