築紫紀行(2) 志賀海神社その1 安曇族の総本宮
志賀海(しかうみ)神社です。今、NHKの朝の連ドラ『おひさま』の舞台は安曇野、古代に海の民である安曇族が開拓した土地が信州の安曇野です。安曇族は海を生活の場とした人々であり綿津見(ワタツミ)の三女神を信仰する人々であります。即ち底津綿津見神(ソコツワタツミ)・中津綿津見神(ナカツワタツミ)・上津綿津見神(ウワツワタツミ)の三女神です。
安曇族は私の意見では縄文時代から海の商人として日本列島の津々浦々から、船で各地の川を遡上し交易拠点を築いていたと考えています。信州穂高神社の安曇野の開拓は多分、日本海の姫川の翡翠の交易の為に拠点を糸魚川流域にも築いたのが最初と考えています。青森の三内丸山遺跡で発掘される姫川の翡翠も安曇族がもたらした可能性が高いと思います。
安曇族は日本海沿岸から琵琶湖の水運へも進出し、神功皇后の生まれた息長氏も安曇族の一派であり彼女は朝鮮半島に遠征に出る時も琵琶湖から日本海ルートで博多湾に出かけています。(仲哀天皇は瀬戸内海ルート)
安曇族の痕跡は列島の津々浦々に残っており、和歌山県の日高郡の志賀、渥美半島、熱海、等々ときりが有りません。実は私の母のルーツが安曇族である事が確かです。名前が渥美でした。この件は別途詳しく調べる予定です。父は筒族であり住吉神の系譜の海の民でした。という訳で、私は日本を代表する二つの海の神を信奉する2部族の血を引く人間である事が判っています。
志賀海神社に戻ります。ワタツミ(綿津見)とはワタ=海の古語、ツ=の、ミ=神霊であり海の神霊という意味になるようです。戦前の教育を受けた人なら誰でもワタツミと聞けば海の神と理解出来ますが、戦後の教育を受けた人は知らないでしょうね。
安曇族と志賀(シカ、シガ)とは関係が深い事が今回の旅で判りました。志賀海神社には沢山の鹿の角が奉納されているそうです。鹿は神の使いですが、その背景は弥生時代に遡る事を最近記録しました。
現在の滋賀県のルーツは志賀となるんでしょうね、何故なら安曇族である息長氏の故郷であるからです。その後、継体天皇も息長氏の父系(琵琶湖西岸の高島)と安曇族の越前の母系を受け継いだ天皇でした。
「日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事
- エゾライチョウとクマゲラを見る旅 総括編(2018.07.09)
- 2018年春の渡りの飛島 総括編(2018.07.09)
- 南ゴビ砂漠探鳥紀行(2018年6月15日~20日) 総括(2018.07.06)
- 2017年 春の渡りの飛島記録(2018.05.15)
- 豪州鳥見紀行 ケアンズ・エアーズロック・シドニー チエックリスト(2018.02.21)
Comments