弥生土器の線刻画 弥生時代の信仰(その2)
4. 特別な建物『たかどの』は一般の家や倉庫と異なる
弥生土器や銅鐸に描かれた建物は殆どのが高床式の建物であり竪穴住居ではない、又、単独で建物を描くのではなく、動物や人間と一緒に描かれているのが特徴。最も多く絵画土器が出土する唐子・鍵遺跡、清水風遺跡の建物では棟の両端に渦巻き状の棟先飾りが見られ特殊な建物であると考えられる。
辰巳さんの話では此れは、古墳時代に大王が王権儀礼をする『たかどの』ではないかと推測する。記紀では、「高台」、「台」、「楼閣」、「観」、「楼」などと表記されている物ではないかと推測。例として、仁徳天皇が皇后と一緒に難波高津宮の高殿にのぼり、国中から煙がたたないので、民は疲弊してると考え3年間課役を免除した話がある。
此れは、辰巳さんの話では台所から煙が出てる話ではなく、大王の国見の大王儀礼を記録しており、民の湧き上がる生命力の気を大王は受け止め、我が物にして国土の繁栄を予祝する儀礼を表していると考えている。民の気力が湧いていないので、大王は課役を免除したのである。
政治家には本当に「国見」は必要なんですね。
5. 鹿は土地の霊でもある
「日本書紀」や「播磨国風土記」などで鹿にまつわる地名伝承が多く伝えられています。鹿がその土地を支配する霊であると考えられていたようです。例えば、辰巳さんの話では仁徳天皇が陵の土地を探していた時に、野原から鹿が飛び出してきて突然倒れた。鹿の耳からは百舌鳥(モズ)が飛び出して飛んで逃げた。鹿は大事な霊力を持つ耳を喰い破られ霊力を失い死亡した。そして、その土地を百舌鳥耳原と命名したという話がある。
神の声を聞く予知能力を持つ耳を失った鹿は霊力を失い大王がその土地を奪っても構わないという話になる。中臣祭文によれば、「鹿の八つ耳」という祭文があるそうです。神々は鹿のように多くの人々の意見を聞く為に鹿の耳が必要であると説く。
6.高殿での王権祭儀
万葉集巻一に舒明天皇の国見歌があります。天皇が香具山に登り国見をしました。『・・・国見をすれば 国原は 煙立ち立つ 海原は かまめ立ち立つ うまし国ぞ あきづ島 大和の国は』とあります。煙は湧き上がる活力・生命力となります。国土の繁栄を予祝するのが国見である。
仁徳天皇は皇后と一緒に高殿ののぼり、菟餓野(とがの)の鹿の声を聴く王権儀礼を行っている。此れは秋に行われ、牡鹿が牝鹿を求めて鳴く牡鹿の声に紙の声を聴くとともに、そこに新しい生命のはぐくみを期待された。『鹿鳴聴聞の儀礼』と辰巳さんは命名していました。ひょっとすると、高殿で性的な儀式が行われたのではないかと辰巳さんは推測されている。
高殿ではこれ等以外にも、大王が夢を観た内容を皇后に告げ、その意味を皇后が占う『夢占いの儀』や、『袖振りの儀』(稲魂の再生と豊饒を祈り鳥の姿をしたシャーマンが鳥の羽ばたきをまねた動作で魂を奮い立たせる儀式。)が行われた。
7.高殿に昇る二人
唐子・鍵遺跡から出土し現在は京大の文学部博物館に収蔵されている、高殿への梯子を昇る二人の姿が描かれた土器がある。高殿では巫女と男の覡(げき)か地上の政治を行う男が二人で祭祀を行った証拠遺物ではないかと辰巳さんは考えるようです。
魏志倭人伝で書かれた卑弥呼(巫女)と男弟(実務を行う男)の関係がこれ等の弥生土器の線刻画から推測可能ではないでしょうか。
その他沢山のメモは必要ですが、疑問が未だ沢山存在しますし、もやもやは未だ晴れない事も多い。鳥装の巫女は確か津和野でも伝統の祭りとして存在しますね。
考えてみると、現代でも未婚の女性が着る「振袖」はひょっとすると、弥生時代から綿々と続く日本の精神世界なのかも知れない。
ところで、ヤマトトヒモモソヒメが三輪山の大物主の祭祀を行う巫女だったとすると、地霊が鹿ではなく、巳さんでしたね。辰巳さんはトトヒ=飛ぶ鳥との解釈ですが、トトヒモモ=10×10=100という意味であると考える研究者も居られます。
酒の事を「おみき」と呼びますが、「み」は巳なんでしょうね。
もう少し頭の整理が必要だと思います。
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