築紫紀行(18) 旅を終えて
儺の津(奴の津、奴國)の夜の那珂川の風景です。京都のMuBlogの旦那からの誘いで今回の築紫紀行は実現しました。悠か彼方の歴史に思いを馳せ、時空を超えた楽しい旅でした。
志賀島の『金印』、太宰府八幡宮、九州国立博物館、吉野ヶ里、佐賀、武雄と旅は続きました。私の父の故郷は武雄の橘村、江戸時代の杵島郡蘆原村になります。明治の時代まで有明海航路で大陸との交易湊として栄えたそうです。父のお母さんは高貴なお家から来られ、お姫様とよばれていたという。蘆原村は明治の世になり橘村となり、父の実家は庄屋さんから村長さんとして地元では名士だったそうだ。
地元の食料品製造会社の社長さんの話では、400町歩を超える田圃を抱える大地主だった語られていました。明治も終わりになり、海運から陸運に日本経済は転換し、佐賀を捨て大阪に転出したという歴史だったようです。
佐賀の居酒屋の看板です、港で魚を入れる木箱ではないでしょうか。呼子とは魏志倭人伝に登場する末盧国の湊ですね。戸ヶ里とは吉野ヶ里と同じ肥前独特の方言で戸の里と呼ぶ訳です、昔の条里制の無残りですね。戸とは水戸とか瀬戸、鳴門、ヤマト、同じで川や海の出入り口の事を指します。
唐房、多良漁港とは大陸・朝鮮半島との関係が深そうな名前ではないですか。まさに、佐賀は大陸・半島との一衣帯水の距離にある場所である事を感じさせます。
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