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築紫紀行(15) 吉野ヶ里遺跡その4 北内郭

 承前 築紫紀行(14) 吉野ヶ里遺跡その3

吉野ヶ里遺跡で一番重要な北内郭に行きましょう。二重の柵で囲まれた空間であり、発掘状況から主祭殿を中心とする祭祀場であったと考えられています。

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 主祭殿で三階建てであり、二階は政治を議論し議決する場であり、三階は巫女が神のお告げを聴く神聖な場所として復元されています。明らかに魏志倭人伝の邪馬台国をイメージした復元です。

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 二重の環濠に囲まれています。

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20119tsukushi_301  発掘時の様子ですが、主祭殿と思われる柱跡、その前にベランダ付きの正方形に近い特殊な形をした高床の建て物(最高の司祭者の住む場所と想定)、東祭殿と呼ばれる夏至の日の出と冬至の日の入りを結ぶ線上にある高床の建て物の柱穴、そして物見櫓と思われる柱穴跡が発掘された。

 私はボランテイアの人と話しこんでしまい、主祭殿には登る時間と体力が有りませんでした。同行のMuBlogの旦那がカバーされていますのでそちらを参照して下さい。

 参考 MuBlog吉野ヶ里紀行 北内郭祭祀場

 

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 私はこの遺跡は弥生中期から後期の遺跡であり、比較するとすれば池上曽根遺跡や唐子・鍵遺跡ではないかと考えています。纏向遺跡は古墳時代が始まる頃ではないでしょうか、しかし、この祭りの場を復元はこれ等の弥生時代の土器片に描かれた線刻画をベースに復元されたと考えています。(弥生時代の環濠集落から出土した土器の線刻画)

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 この祭祀場の北には大規模な弥生墳丘墓や甕棺墓が発掘されています。甕棺は2500基を超えるのではないでしょうか。これ等の墳墓の形態から、未だ大王や最高司祭者巫女の為の墳丘墓の段階ではないと思います。まだ、集団指導体制ではないでしょうか。

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