築紫紀行(12) 吉野ヶ里遺跡その1 南内郭へ
鳥栖から長崎本線に乗り『吉野ヶ里公園』で下車し、駅の案内所に立ち寄り荷物を預け、歩いて吉野ヶ里遺跡に向かう事にした。
田圃の中を歩いて向かうが、北に見えるのは背振山です。吉野ヶ里は風水に適した場所であり、北に背振山の玄武を抱き、東に遺跡に沿って南北に流れる田手川が青龍である。そして、佐賀から長崎に延びる道が西に広がり白虎となる。まさに、都城に相応しい地形である。遺跡は南北に連なる5メータ程度の高さの高台の上に南北に50ヘクタールに渡り展開する弥生時代の高地性大環濠集落である。
此れが遺跡の東端を南北に流れる田手川であり、筑後川の支流であり有明海に繋がっています。弥生時代は海岸線は随分と近くであったと推測出来ます。有明海から大陸と交易を行い且つ、陸路では五島列島に連なる長崎や、北上すれば博多湾であり伊都国や奴國という玄界灘に面する国々と交流があったと推測出来る。
今回は時間の関係で南の内郭と北の内郭を訪問するが、全ての遺跡を歩くとなると一日は最低かかりそうだ。
この遺跡は忘れてはならないのは高島忠平さんがおられたから工業団地開発から守る事が出来ました。親子二代に渡る吉野ヶ里遺跡への愛着が産んだ歴史のドラマでしたね。彼が佐賀県教育委員会に居られなければ、この遺跡はとっくにブルトーザでひっくり返され、跡かたも残らなかったと思います。1989年からの発掘の興奮は今も私は忘れる事が出来ません。日本中がロマンに酔った記憶が甦ります。
写真集は徐々に追加して行きます。記事の進行に合わせて追加します。
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