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築紫紀行(1) 志賀島を目指す (安曇族のルーツ)

 私は羽田から福岡空港に飛び、地下鉄で博多にでて友人とホテルで待ち合わせた。レンタカーで先ずは江戸時代に出土した金印『漢委奴国王』(委の字は倭の簡略体の委を使用)の現場を観る為に出かけた。

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 左手に博多湾が見える。地図で観てみましょう。

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 博多は古代では奴国と呼ばれた倭国を代表する国でありました。詳しくは昔の記事を参照して下さい。

 参考 邪馬台国への旅(続篇) その5 奴国(2010年12月記事)

 那珂川、御笠川、宇美川を超えると奴国の北には不弥国が存在していたようです。我々は一路、志賀島を目指します。現代では砂州で陸地とモンサンミッシェルのように繋がっています。天橋立のようでもあります。

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 綺麗な砂浜が志賀島まで帯のように繫がっています。運転は京都のMuBlogの旦那さんです。

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 魏志倭人伝の時代の大陸と倭国のルートは末廬国の呼子、今の松浦半島を拠点としたルートです。

 参考 邪馬台国への旅(続篇) 末盧国(2010年12月)

 ヤマト王権が確立すると博多湾から大陸と交易する事となりました。安曇族がその中心となります。実はワタツミの三女神を信仰する海人に対して、底筒男命・中筒男命・表筒男命の三女神(ツツノオ)を信仰する住吉(すみのえ)の海人が存在します。

 三輪王権からオキナガタラシ姫・応神天皇から新たに始まる河内王朝と関係が深い海の神であります。

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 私はヤマト王権が博多湾を中心に大陸貿易を活発化させた理由は継体天皇の時代に発生した築紫の磐井との内戦の結果、磐井側が大和王権に差し出した糟屋の屯倉(大陸との交易権)からではないかと考えています。

 さて、NHKの朝の大河ドラマの舞台である安曇野を開拓した安曇族のルーツ、志賀海神社を訪問しましょう。

『追伸』

 同行のMuBlogの旦那さんの記録記事は以下の通りです。

 MuBlog  九州2011夏:前口上・博多中洲の夜

 

 

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日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

Comments

 まずは金印の志賀島からですね。
 香椎線とか海路を経験出来なかったのが残念でした。
 またの機会にでしょうね。

Posted by: Mu | 2011.09.09 07:30 PM

Muの旦那さん 御苦労さまでした

 一緒に楽しい築紫の旅を有難う御座いました。

 お互い目的は違いましたが、お互い見ている風景は現代の風景では有りませんでしたね。時代を超えた時間軸を旅するのは本当に楽しいです。

 此れからの、MuBlogでの築紫紀行を楽しみにしています。

Posted by: jo | 2011.09.10 01:05 AM

どうして綿積三神は女神で、また同じく筒男三神も女神なのですか?

Posted by: Goetinnen | 2011.11.20 08:33 AM

Goetinnenさま 

 宗像三女神は記紀でも宗像大社社伝でも女神と記録されていると理解しています。社伝では沖津宮は田心姫神(タゴリヒメ)、中津宮は瑞津姫神(タギツヒメ)、辺津宮は市杵嶋姫(イチキシマヒメ)となっていると思います。

 ニニギノミコトさんが禊をした時に生まれたスミノエノ神々は私は今まで女神だと思っていましたが、判りません、男神かも知れません。

 ただ、海人族が信奉する神は女神だと言う先入観がありましたので、そう思っています。

 では何故、海人族が信奉する神々は女神なのか、その理由は私にも判りません。オトタチバナヒメがヤマトタケルの為に荒れる海に身を投げ入れる話も女性が航海の安全を守ってくれた事例ですね。

 西洋でも船は女性名詞で呼びますが、何故か航海する人々の安全を守るのは女神であるという、世の東西を問わず存在するような気がします。

Posted by: jo | 2011.11.20 11:09 AM

 早速のご回答有り難うございます。
 筒男の神は「男」という文字を含んでいるので、男の神だと思っていましたが・・・
 他方、綿津見の神の性別は不明ですね。筒男という男神とペアで生まれたから綿津見三神は女神の可能性がありそうな気がします。
 対馬には和多都美神社と海(わだつみ)神社があって、共に豊玉姫を祀っています。また、能登半島の志賀町の安津見(あづみ)という集落には奈豆美比咩(なづみひめ)神社があって、ここには豊玉姫が祀られています。ちょっと不思議です。
 

Posted by: Goetinnen | 2011.11.20 12:56 PM

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