百済はなぜクダラと呼ぶか
昔から百済を何故、クダラと発音するのか疑問が残っていた。二回も百済の故国を訪ね疑問を解消しようとしたが、未だに解決していない。韓国語ではペクチェと発音するので、どうも違うようだ。
以前の百済紀行で記録した、百済=クダラ発音説は彼らが大国(クンナラ)から日本に来たという説や百済の港の名前からだとか、そんな説を紹介したが、今だ納得していない。そこで、今回は新しい私の珍説を御紹介したい。
『百済をクダラとするのは南の海上に存在する観音浄土(Potaraka)(サンスクリット)補陀洛からきている』
百済は朝鮮半島北部に建国し同じ扶余族の一派は朝鮮半島を南下し百済を建国した。百済は南朝に朝貢し仏教で国を建国しようとした国である。彼らは観音信仰を尊び理想とする国は観音浄土の世界である(Potaraka)=補陀洛であるとした。ダライラマのチベット王宮はポタラ宮殿と呼ぶがこれも同じくサンスクリットで観音浄土世界を意味している。
実はこの考えは先日、テレビで内田康夫の「熊野古道殺人事件」を観ていて補陀洛渡海の話を聞きながらスリランカを思い出し、百済を思い出した事による。
紀伊半島には那智大社の南の海岸に仁徳天皇の時代にインドから渡来した裸形上人が開基したという伝説を持つ補陀洛山寺(ほだらくさんじ)という世界遺産に指定された寺があります。中世の時代に一番活発に行われた補陀洛渡海の基点となったお寺です。勿論、足摺岬とか室戸岬からも当時は補陀洛渡海がされたようです。
船に30日分の食料と水を積み、密閉された部屋に渡海し観音浄土を目指す坊さんが乗船し扉は閉められ外から釘で閉ざします。部屋の外側の四方には鳥居が建てられ、船は引き船に曳航され那智の湾を出て行き綱が切断される。生きたまま棺桶に入れられた坊さんの水葬に類似しています。仏教の世界なのに何故鳥居が4個も存在するかは当時の神仏混淆の思想によります。
今でもお寺には補陀洛渡海した坊さんのお墓があるようです。江戸時代に禁止されたようです。
ところで、補陀洛(落)を広辞苑で引くと以下のように説明しています。
補陀落・普陀落とも書き、梵語(Potalaka)の音写である。光明山・海島山・小花樹山という。インドの南海岸にあり観世音菩薩の住所という山である。男体山も昔は二荒山(ふたらさん)と呼ばれ補陀落を連想させる。
このインドの南端の海に浮かぶ島とはスリランカの事ではないだろうか。インドでは早くに仏教は廃れたがスリランカでは現代に至るまで仏教の華が開いた国である。釈迦も三度、スリランカに渡海していると言われ、釈迦の仏舎利はスリランカから世界中のお寺に配布されていると聞く。スリランカはインド人や仏教を信じる人々にとり浄土であったと考えられる。
アンコールトムを見学していて巨大な観音様の建造物を眺めていると、スリランカから海上ルートで仏教は伝播したと考えられます。
百済は同じ扶余族である高句麗が朝鮮半島北部から中国東北部に国を建国したが、朝鮮半島を南下し建国した。彼らは当時の中国の南朝に朝貢し仏教を輸入し仏教の国を建国しようとしたと考えられる。まさに、彼らは日本人と話をする時に百済は(補陀洛の国)と呼んでいたのではないだろうか。朝鮮半島南部に位置する観世音菩薩の住所であるのが祖国であると彼らは説明していた。
日本に多くの経典や僧を派遣し、飛鳥寺建立の折りにも瓦博士・露盤博士・その他寺院建設技術者を派遣してきた。まさに、観世音世界の故郷となろうとしていたと考えられます。
浅見光彦のミステリーを観ながら、以上のような事をず~と考えていました。これは、真夏の夢かも知れません。
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