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ベトナム縦断1800キロの旅(13) 中部編 ダナンからフエへその4

 承前 ベトナム縦断1800キロの旅(12) 中部編 ダナンからフエへその3

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 北部のハノイからホーチミンに向かい走行している列車です。フランスの植民地時代に建造されたベトナムの南北経済圏を繋ぐ重要な鉄道です。ハノイから北部は中国まで繋がっているそうです。

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  一度は乗ってみたいと思っていましたが、今までその機会が訪れていません。

鉄道ファンにはきっと興味があるんでしょうね。

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百済はなぜクダラと呼ぶか

 昔から百済を何故、クダラと発音するのか疑問が残っていた。二回も百済の故国を訪ね疑問を解消しようとしたが、未だに解決していない。韓国語ではペクチェと発音するので、どうも違うようだ。

以前の百済紀行で記録した、百済=クダラ発音説は彼らが大国(クンナラ)から日本に来たという説や百済の港の名前からだとか、そんな説を紹介したが、今だ納得していない。そこで、今回は新しい私の珍説を御紹介したい。

 『百済をクダラとするのは南の海上に存在する観音浄土(Potaraka)(サンスクリット)補陀洛からきている』

 百済は朝鮮半島北部に建国し同じ扶余族の一派は朝鮮半島を南下し百済を建国した。百済は南朝に朝貢し仏教で国を建国しようとした国である。彼らは観音信仰を尊び理想とする国は観音浄土の世界である(Potaraka)=補陀洛であるとした。ダライラマのチベット王宮はポタラ宮殿と呼ぶがこれも同じくサンスクリットで観音浄土世界を意味している。

 実はこの考えは先日、テレビで内田康夫の「熊野古道殺人事件」を観ていて補陀洛渡海の話を聞きながらスリランカを思い出し、百済を思い出した事による。

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 紀伊半島には那智大社の南の海岸に仁徳天皇の時代にインドから渡来した裸形上人が開基したという伝説を持つ補陀洛山寺(ほだらくさんじ)という世界遺産に指定された寺があります。中世の時代に一番活発に行われた補陀洛渡海の基点となったお寺です。勿論、足摺岬とか室戸岬からも当時は補陀洛渡海がされたようです。

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 船に30日分の食料と水を積み、密閉された部屋に渡海し観音浄土を目指す坊さんが乗船し扉は閉められ外から釘で閉ざします。部屋の外側の四方には鳥居が建てられ、船は引き船に曳航され那智の湾を出て行き綱が切断される。生きたまま棺桶に入れられた坊さんの水葬に類似しています。仏教の世界なのに何故鳥居が4個も存在するかは当時の神仏混淆の思想によります。

 今でもお寺には補陀洛渡海した坊さんのお墓があるようです。江戸時代に禁止されたようです。

 ところで、補陀洛(落)を広辞苑で引くと以下のように説明しています。

 補陀落・普陀落とも書き、梵語(Potalaka)の音写である。光明山・海島山・小花樹山という。インドの南海岸にあり観世音菩薩の住所という山である。男体山も昔は二荒山(ふたらさん)と呼ばれ補陀落を連想させる。

 このインドの南端の海に浮かぶ島とはスリランカの事ではないだろうか。インドでは早くに仏教は廃れたがスリランカでは現代に至るまで仏教の華が開いた国である。釈迦も三度、スリランカに渡海していると言われ、釈迦の仏舎利はスリランカから世界中のお寺に配布されていると聞く。スリランカはインド人や仏教を信じる人々にとり浄土であったと考えられる。

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スリランカ紀行(32) 世界遺産ダンブッラ黄金寺院(7) 境内

 承前 スリランカ紀行(31) 世界遺産ダンブッラ黄金寺院(6) 第四・五窟

 石窟寺院の境内の模様についてのご紹介です。

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20115surilanka_870  山全体が大きな一つの岩ですが、横穴を穿ち寺院を作っています。世界でも有名な一つの石窟寺院と考えられています。

岩の壁にも彩色壁画が描かれていました。庭には聖なる菩提樹の木が御神体のように守られています。

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 山はこんな按配です、まさに岩の塊ですね。日本の磐座信仰に通じる気持ちがしました。

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20115surilanka_877  磐を神聖なものと考える事は世界共通の古代からの信仰ではないでしょうか。

スリランカに来て、仏教はスリランカで華が開いたと強く感じました。釈迦も三度、海を渡りスリランカに来ているのですね。

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メキシコ紀行が決まった

 この数日間、メキシコ紀行の予約作業で忙殺されていた。

 今回は義妹と息子さん、そして家内と私の4名で10月下旬から11月初旬の期間メキシコシテイと娘の住むオアハカを『死者の日』に合わせて訪問する計画となりました。4年前、同じ頃にオアハカを訪問しています。

 参考 死者ん日が近い オアハカ情景(2007年10月27日)

 オアハカに興味ある人は『オアハカ紀行』を参考にして下さい。

 参考 オアハカ紀行目次編(2007年10月)

 オアハカは日本で言えば京都のような古都にあたります。静かで文化と歴史の香りが満ちた素晴らしいところです。娘が住んでいるのに4年も御無沙汰していたんですね。

 特にメスカルというサボテン(龍舌蘭)から造る蒸留酒は格別に美味しい。メキシコシテイではテキーラと呼ばれている酒です。

 今回はメキシコシテイにも滞在しティオティワカンの遺跡や博物館をじっくり見学する積りです。

 成田→米国西海岸→メキシコシテイ(滞在)→オアハカ(滞在)→メキシコシテイ(滞在)→米国西海岸→成田 こんな飛行機のスケジュールと現地滞在のホテルを全て予約完了した。これが結構大変な作業でした。しかし、今は便利、全てインターネットで予約も支払いも可能なんです。

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ベトナム縦断1800キロの旅(12) 中部編 ダナンからフエへその3

 承前 ベトナム縦断1800キロの旅(11) 中部編 ダナンからフエへその2

 ダナンはグエン朝の頃から国際貿易港としてホイアンにとって代りました。ホイアンが河の砂が堆積し港としての機能が低下したからです。ベトナム戦争では米軍の海兵隊がダナンに上陸し米軍基地をダナンに建設した。現在も、ダナンの港は国際貿易港として活躍し、多くの日本企業がダナンに進出している。

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20116vieatnum_444  ベトナムを南北に貫くフランス植民地時代に建造された鉄道に沿いダナンからフエに向かい北上している。

写真は線路に沿い蓮の池が多く存在し、美しい花を咲かせている。我々はベトナム南北を縦断する国道1号線を北上しています。

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20116vieatnum_456  ベトナムの国土は南北に長く東西は狭い国土です。東は太平洋、西は他国と国境を接している、例えばラオスである。

この辺りで一番東西が狭い場所があるそうで、東西が30キロしかないという話を現地のガイドさんから聞いた。

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長江に浮かんでいる船に似ていますね。

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スリランカ紀行(31) 世界遺産ダンブッラ黄金寺院(6) 第四・五窟

 承前 スリランカ紀行(30) 世界遺産ダンブッラ黄金寺院(5) 第三窟

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 第四窟です。西の神殿と呼ばれており第一窟、二窟とともに古い石窟だそうです。奥の右側の仏陀は西洋人の女性が汚したという事で塗り替えられたそうです。

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 この仏塔(パゴダ、ストゥーパ、ダガバ)は盗掘されたそうです。王妃の宝石が盗まれたそうです。日本でも百済のお寺の塔と同じく心礎の下に仏舎利と宝石を納める風習がありますね。飛鳥寺の塔心礎埋納品も見事な宝石が発掘されていますね。

 参考 飛鳥寺塔心礎埋納品

 日本では古墳時代からの埋葬儀礼の伝統が仏教伝来の時代でもこの塔の心礎に古墳時代から伝統ある埋納品が引き継がれたという説を何処かで読んだ記憶が有ります。

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ベトナム縦断1800キロの旅(11) 中部編 ダナンからフエへその2

 承前 ベトナム縦断1800キロの旅(10) 中部編 ダナンからフエへその1

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20116vieatnum_410  ダナンとフエの陸上の交通路で最大の難所は『ハイバン峠』でした。ベトナムの幹線道路である1号線はこの峠を越えるのに1時間30分以上必要で幾多の事故が多発していました。日本政府は2000年から200億円の有償資金協力事業として6280メータの『ハイ バン トンネル』を完成させた。

 東南アジアでは最大のトンネルであり、予備坑も備えた立派なトンネルであり、ベトナムのホーチミンとハノイの経済圏を連結する大動脈の安全運航に日本は貢献した。

 参考 東南アジア最大のトンネル『ハイ バン トンネル』

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 トンネルを抜けると美しい港町の風景が広がっています。

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 日本では日本海沿岸に多く存在する潟と呼ばれる内海ではないでしょうか。

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 干潮時には殆どの部分が干潟になるようです。夕方再度訪問した時は写真の小屋まで歩いて行ける状況でした。

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スリランカ紀行(30) 世界遺産ダンブッラ黄金寺院(5) 第三窟

 承前 スリランカ紀行(29) 世界遺産ダンブッラ黄金寺院(4) 第二窟その2

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第三窟です。18世紀中葉に建造された石窟です。キャンディ王朝最後の王が建立しました。

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 57体の仏像が安置されています、15体の立像と42体の座像です。

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第八回 三輪山セミナーイン東京 (そのⅡ)

 承前 第八回 三輪山セミナーイン東京 (そのⅠ)

 『古墳出現前夜の土器の移動』

 大塚さんの話では、弥生中期後半頃から列島内の土器の移動、交流現象があるという。纏向遺跡では東海・関東・北陸・山陰・瀬戸内海地域の土器の到来は有名な事実である。特に東海系の土器が多く存在する事は事実である。

 大塚さんの考えでは、弥生終末期の外来系土器の移動はその背景に、人・もの・情報の激しい動きが考えられ、社会的な新しい胎動を創り出すエネルギーになったと考える。

 東国における土器の交流現象について、西遠江の山中式土器の移動と東遠江の菊川式土器の移動について解説する。

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 ・神奈川県綾瀬市神埼遺跡(環濠集落)では95%の土器が弥生後期の西遠江の山中式土器が出土した。

西遠江の人々が集団で東に船で移動したと考えられる。

 ・東京都新宿区下戸塚遺跡(環濠集落)では東遠江の菊川式土器が出土し、弥生終末期に東遠江の人々が集団で船で新宿区まで大移動して来た事実が判明している。この場所は私が62歳から勉強を始めた早稲田の敷地内です。

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 ・小田原の弥生中期の中里遺跡では大阪は摂津地方の弥生土器が出土しており、弥生中期には摂津の人々が集団で船で小田原まで移住していた事実が判明している。

比田井克仁氏の『古墳時代の始まりと外来土器』という資料を参考に、大塚さんは小田原から多摩川流域にかけての地域では山中式土器と欠山式系土器が外来土器として顕著であると述べ、千代田・新宿・中野・北区・板橋区・和光市・大宮市の地域は菊川式系土器が外来系土器として顕著であると分析する。

 注:山中式土器の特徴 

 伊勢・尾張・三河・西遠江(三重県・愛知県)の弥生後期土器様式。櫛歯状工具で押し引いた横線や波状文が特徴である。

 『東国各地の出現期古墳について』

 

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・千葉県市原市 神門(ごうど)3・4・5号墳 (纏向型前方後円墳)

 5号墳(42.6メータ)、4号墳(48.8メータ)、3号墳(49.1メータ)

古墳時代前期1段階、外来系土器が多い。5号墳は畿内系加飾壺、北陸系土器、元屋敷系高杯、S字状結節文の壺などが出土している。4号墳からは畿内系加飾壺、叩き甕、手焙形土器、小型器台、元屋敷系高杯、在地系壺が出土した。3号墳も同系統である。

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第八回三輪山セミナーイン東京 (そのⅠ)

 承前 第七回三輪山セミナーイン東京(2010年8月)

 今回は考古学の重鎮 明治大学名誉教授の大塚初重さんの『東国の出現期古墳と大和政権』についての講演を私なりに理解した範囲で、ご紹介します。

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『列島の古墳出現年代』

 大塚さんの話では従来の考古学の常識では最古の古墳と言えば奈良盆地東南部の三輪山の麓に位置する『箸墓古墳』が常識でした。しかし、最近の考古学の成果により纏向の石塚古墳・勝山古墳・矢塚古墳・東田大塚古墳・ホケノ山古墳が箸墓に先行する古墳である事が判明した。

 注:本件に関しては私も過去に記事を多く書いています。

  参考 桜井茶臼山古墳と纏向紀行

  参考 三輪山周辺を歩く

  参考 三輪山と日本古代史

 3世紀前半から中頃にかけて畿内周辺、及び瀬戸内海・山陰・北陸を始め広汎地域で弥生墳丘墓が登場した。例えば

 ・倉敷市楯築弥生墳丘墓

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 箸墓の特殊器台の源流はこの古墳ではないかと考えられている。吉備と箸墓古墳の関係は濃密である。この古墳を研究され、考古学の重鎮 近藤義郎先生はもう故人である。

 参考 楯築弥生墳丘墓に関して

 ・島根県西谷墳丘墓群

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 四隅突出型墳丘墓ですが、特殊器台・特殊壺という箸墓の源流となる遺物が出土している。その他北陸系土器や吉備産の特殊土器も出土している。

 ・徳島県萩原塚墳丘墓

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 3世紀前半の墳丘墓でありホケノ山古墳の埋葬施設の原型ではないかと考えられる石囲木槨構造の竪穴式墳墓である。画文帯神獣鏡も出土している。現地のテレビ局が当時、真面目に報道していました。

 参考 四国放送(萩原2号墳に関する報道)

 ・兵庫県綾部39号墓

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 参考 綾部山39号墳説明(御津町教育委員会)

 説明では、埋葬主体部は『石囲い(石塁壁)・竪穴式石榔・木棺』の3重の構造であり、ホケノ山古墳の埋葬施設との類似性が瀬戸内海を挟んだ向かいの鳴門の萩原塚墳丘墓とともに影響を与えていると考える。

 

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朝ドラ ayakaの歌『おひさま』

 NHKの朝ドラ『おひさま』を最初から楽しんでいます。陽子の子供が生まれたのが私が生まれた昭和21年で同じで、テレビドラマで陽子が『ひなこ』を産んだ日に娘が北海道で男の子を出産しました。7月25日の事でした。

 最近になり土曜日の朝だけ平原綾香さんの『おひさま』の曲が流れるようになりました。

 You Tube 平原綾香『おひさま』

 かの大戦の時代に青春時代を送り、敗戦の廃墟の時代から生き延びる安曇野の強い女性群像を描いている作品です。前回の『てっぱん』も素晴らしい作品でしたが、今回も素晴らしい作品となりました。

 ayakaの歌も素晴らしいと思います。

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北海道の思い出(2011年7月~8月)そのⅦ 富田ファーム編

 

承前 北海道の思い出(2011年7月~8月)そのⅥ 美瑛の丘編

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 今回は富良野の富田ファーム編です。ラベンダーが咲き誇っていました。

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 花の絨毯が丘にどこまでも続いています。

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北海道の思い出(2011年7月~8月)そのⅥ(美瑛の丘)

 承前 北海道の思い出(2011年7月~8月)そのⅤ

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 美瑛の丘です、牧草ロールが丘の上に置かれています。

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 美瑛の丘は写真で見ると現実よりも美しいと思います。

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北海道の思い出(2011年7月~8月)そのⅤ

 

承前 北海道の思い出(2011年7月~8月)そのⅣ

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 輪厚川の堤防から夕張岳の右方向に見える山並みです。帯広方面ではないかと思いますが、山の名前は不明です。

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 輪厚川の堤防から左の山並みは夕張岳ではないかと思います。

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 輪厚川と千歳川の合流地点に看板がありました。

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 千歳川です、此処で輪厚川と合流していました。

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北海道の思い出(2011年7月~78月)そのⅣ

 

承前 北海道の思い出(2011年7月~78月)そのⅢ

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 北海道滞在4週間の予定ももう残り少しとなりました。名残惜しいですが、横浜も恋しいので予定通りに来週金曜日には横浜に戻る予定です。家の周りの美しいお花さんともお別れです。

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 健康な節制した生活を4週間北海道で続け、体重も72キロ台に戻り、血圧も130台で安定しました。禁酒がダイエットに抜群に効果があったように思います。

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 この鴨とたんぼの風景は7月下旬の風景です、8月半ばの今の田圃は稲穂がでています。北海道の思い出そのⅡの写真の通りです。

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北海道の思い出(2011年7月~8月)そのⅢ

 

承前 北海道の思い出(2011年7月~8月)そのⅡ

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 トンボが沢山飛んでいます。輪厚川の堤防です。

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 あざみの花も咲いていました。

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美瑛の丘(2011年7月24日の記憶)

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 美瑛の丘の報告の続編が続きます。昔懐かしい『ケンとメリーの木』です、コマーシャルで撮影現場となった美瑛の丘の木です。『愛のスカイライン』、想い出す人が多いと思いますが・・・・。

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 丘に湧き上がる夏の雲です。

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美瑛の丘とラベンダーの富田ファーム(2011年7月24日の記憶)

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 美瑛の丘の景色です。この日は快晴でした。

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 沢山の観光客が訪れていました、特に中国からのお客さんが多かったですね。北海道は中国人に人気のようです。

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2011年7月24日の富田ファーム

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 ラベンダー満開の富田ファームでした。今回で二回目の訪問となりました。

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大勢の誕生会

 昨日は娘の旦那の誕生日であり、且つ、新生児誕生のお祝いが行われた。娘の旦那さんのご両親も横浜から駆けつけられ、総勢9名での宴会となった。本来なら庭でジンギスカンをやるのが北海道流なんでしょうが、屋内で行われた。

 今回も男の子誕生となり、おめでたい宴会となりました。

 娘の友だちからは、アメリカ流のバルーンが宅急便で届き、大きなダンボールを空けると、大きな風船が飛び出してきた。It`s a Boy という巨大な足を模した風船と金玉二個を模したような風船が飛び出してきた。大笑いでした。

 男の子が二人もこの3年間の間に北海道で産まれてしまいました。素晴らしい自然が残るこの北の大地で育つ事を祈るばかりです。

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