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孫が今日産まれました

 本日夕方、三人目の孫が産まれました。朝ドラと同じ日に産まれました。

幸い母子ともに健康です、男の赤ちゃんでした。私は子供を三人持っていますが、出産の時にそばに居たのは初めての経験です。幸い旦那さんも今日は休みだったので幸いでした。

 

 本当に良かったです。

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明日から一カ月間北海道に移住します

 今日も台風の影響で横浜は朝から断続的な雨と風に見舞われた。突然に雨がバケツを引っ繰り返したように降るので困る。先ほど、メキシコ在住の娘から電話があり彼女の絵が掲載された雑誌を至急に三名に送れと指示が有り、クロネコ便さんまで梱包して届けた。しかし、帰りにサバ寿司とおはぎを購入して外に出ると大雨。傘を指して自転車に乗るがずぶ濡れだった。

 そうそう、私の高血圧を心配して宇治の姉と大阪は熊取の姉が電話をしてくれた。二人とも高血圧だそうで、どうも母も高血圧だったようです。早い話が、遺伝で私も高血圧体質のようです。そういえば、母は90歳まで存命でしたが、風呂場で倒れて亡くなりました。

 高校時代の親友のH君も電話をくれた。高校時代から親友で二人でよく奈良に出かけたし、利尻富士も彼と二人で登った事が有りました。そんな彼も正月に肺癌である事を連絡してくれた。その時から私はタバコを断ちました。彼の手術が成功する事を祈って止めました。

 そんな彼から久しぶりの電話、一刻一刻を大事にお互い生きようという話でした。学生時代に約束した東海道53次の弥次さん喜多さん道中は未だ実現していない。

 血圧は今日の朝も139~70で落ち着いて来ている。禁酒が利いているし、体重も減りお腹周りもへこみました。医者と相談し、薬を32日分貰い、注意事項を伺い北海道に行けることになりました。

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ベトナム縦断1800キロの旅(10) 中部編 ダナンからフエへその1

 承前 ベトナム縦断1800キロの旅(9) ハノイ 一柱寺とホーチミン廟

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 さあ今回の旅のハイライトはベトナム中部です。先ずハノイからダナン空港に向かいます。約1時間程度のフライトです。

観光の中心はダナン北部の古都フエとダナン南部の古都ホイアンになります。フエは1802年から1945年の期間繁栄した阮朝(グエン)朝の王宮のあった場所です。ホイアンはベトナム中部の港町として古代より栄えた東アジア貿易の世界の拠点港でした。日本人町も栄え関ヶ原の頃には日本人は千人も暮らしていたそうです。

 さて、ベトナム中部はハノイを中心とする越人とは異なりマレー系の海洋民族であるチャム人が住みついていた。紀元前の頃、ハノイでは越人が青銅器のドンソン文化の華を開かせ、中部ではチャム人がサーフィン文化の華を開かせていた。この文化は実は甕棺による葬送を行いフィリピンや黒潮の北である九州や南朝鮮の弥生時代の甕棺に通じる興味ある文化圏を構成していた。

 そして、チャンパ王国を建設しインドはたまた、欧州と中国を海でつなぐ海のシルクロードの担い手としての海洋民族として活躍したのです。唐王朝の頃までは林邑と呼ばれた国です、日本の遣唐使の平群広成が帰路難破して記録された崑崙国とは林邑=チャンパ王国の事でした。

 前置きはそれぐらいで、ダナン空港から一路北のフエに向かいましょう。

 実に美しい海岸線です。

 車もオートバイも少なく本当にリゾート地という感じですね。しかし、最近は日本企業もどんどん進出して工場を建設しています。高級リゾートホテルもカジノも建設され昔とはみちがえるようです。

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 あれ、タライ船だ!佐渡のタライ船とそっくりではないですか。

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 竹で編まれているようです、黒いのはアスファルトではないだろうか。日本の越国の文化と本場越国の文化が繋がりましたね。

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 ダナンの空港です、海岸線に沿い北上しフエに向かいます。バスで2時間程度でしょうか。

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参考 グーグルアース ベトナム中部の町 ダナン(Da Nang)

「da_nang.kmz」をダウンロード

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スリランカ紀行(29) 世界遺産ダンブッラ黄金寺院(4) 第二窟その2

 承前 スリランカ紀行(28) 世界遺産ダンブッラ黄金寺院(3) 第二窟その1

 第二窟の続編です。

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 第二窟釈迦立像16体の一部です。

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 第二窟の釈迦座像40体の一部です。

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 第二窟ですが、天井の壁画も素晴らしい。

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 第二窟釈迦座像40体の一部です。

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スリランカ紀行(28) 世界遺産ダンブッラ黄金寺院(3) 第二窟その1

 承前 スリランカ紀行(27) 世界遺産ダンブッラ黄金寺院(2) 第一窟

 ダンブッラ石窟で最大の石窟が第二窟です。

 『偉大な王の神殿』とも『マハラジャの石窟』とも呼ばれています。

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 御本尊の釈迦立像です。16体の釈迦立像と40体の釈迦座像があります。長さ52メータ、奥行き23メータ、高さ7メータと巨大な岩窟です。BC104年に即位したバラガンバフ王は即位後タミール人の侵略を受け、都のアヌラダプーラを追われ、この岩窟で身を潜めた。そして、BC88年に再起し都を奪還したという。故に、このダンブッラの岩窟僧院に感謝し、寺院として建立したという。

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 その王が座像の右側に立つ人です。バラガンバフ王だそうです。

入口の左側に立っています。

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 聖水が岩窟の岩から浸み出し、壺の中に溜まります。ダンブッラという名前は『水の湧き出る岩』という意味だそうです。巨大な岩山の亀裂に沁み込んだ水がこの岩窟で浸み出していると考えられる。

まさに、聖水だそうです。

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 聖水と釈迦座像群です。

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 仰臥される釈迦像の前でお祈りをする敬虔な仏教徒たちです。(涅槃像ではありません)

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『なでしこジャパン』旋風一夜明けて

 今日は少し寝坊して5時半起床、血圧は137~67と随分と改善されている。やはり、禁酒と節制と朝夕の散歩の効果が利き始めているんでしょうか。明日は、医者に状況報告と今後の相談をする予定です。木曜日からは北海道に1カ月間疎開するので、北海道での医者の事と薬の事とか相談です。

 しかし、昨日は早朝から『なでしこジャパン』旋風で感動の一日、血圧も上昇し久しぶりに150を超えた。サッカーは血圧が高い人には、観客でも過酷なスポーツのようですね。しかし、久しぶりに感動するゲームでした。点を入れられても、幾ら攻め込まれても、やられればやり返す戦いでした。遂に、PK戦までもつれこんだ所で『なでしこ』の方に分があった。

 対戦後、米国のエースストライカーのワンバック選手の言葉が印象的でした。『今日の「なでしこ」は何時もとは異なっていた。なにかが背後で押しているものを感じた。』と、言いました。まさに、北京オリンピックで米国に完敗しメダルが取れなかった事や、彼女達の今までの厳しい生活体験や、最大の惨劇である東日本地震・津波・原発災害から立ち上がる執念が彼女達の背中を押したのかも知れない。

 5時半頃から何時もの早朝ウオークに出かけたが、小雨が降っていた、台風の影響のようです。そういえば、コンビニのツバメの巣はどうなっているか気になり、何時のコースを止めコンビニに向かった。何と、今度は二カ所にツバメの巣が出来ており、2家族が生活をしていた。6月のツバメは既に巣立ったのでしょうね、新しいツバメが巣を利用しているのでしょうか。

 参考 大倉山梅雨の季節便り(つばめの巣)

 コンビニに入り、巣の事を色々と店員さんに訊いてみようと思ったが、客が多く忙しそうなので遠慮した。少し店内をウロウロして店を出ると、大変、バケツをひっくり返したような大雨だ。散歩どころでは無い、直ぐに自宅に引き返す事にしたが、アスファルトの道路は川のように流れ、傘など利かない、全身がびしょぬれとなり自宅に帰還した。

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ベトナム縦断1800キロの旅(9) ハノイ 一柱寺とホーチミン廟

 承前 ベトナム縦断1800キロの旅(8) ハノイ 文廟再訪

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 李朝11世紀に最初に建立された寺ですが、蓮の池に咲く蓮の花をイメージして造られたデザインの寺です。何回も建てなおされているそうですが、今は一本の柱がコンクリートで出来ています、昔は本当に巨木の一本の柱の上に寺が造られていたようです。

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20116vieatnum_1277  延祐寺です一柱寺の正式名です。内部は金ピカですね。

太宗の長寿を祈った寺だそうです。

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なでしこW杯で優勝する

 我が家では、息子と家内が朝の早くから『なでしこジャパン』の米国とのW杯決勝戦を観戦していたようだ。私は布団の中で前半戦の中継の音だけを、少し聞いていたが直ぐに眠りに戻った。

 私が起きると、息子は逆に寝ていたが、家内だけが起きて観戦していた。後半戦で日本が負けていたが、私が観戦すると同点に追いついた。そして、延長戦へと突入した。

 延長後半に米国のエース、ワンバックが見事なゴールを獲得し、もはやこれまでと観念した。しかし、その後延長の後半も終わり頃に奇跡が起こり、澤が同点のゴールを獲得し、試合をPK戦に持ち込んだ。

 PK戦が始まる前、日本は全員で円陣を組んでいた。中継された監督の顔も選手も満面の笑みで円陣を解いた。この時、ひょっとするとPK戦は日本が勝つのではないかと予感した。全員が笑みを浮かべ、緊張から解き放たれているが如き特殊な雰囲気が日本チームを包んでいたのは確かでした。

 予想通り、米国は3人連続で外し、日本はPK戦を制し優勝を勝ち取った。見事でした。

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スリランカ紀行(27) 世界遺産ダンブッラ黄金寺院(2) 第一窟

 承前 スリランカ紀行(26) 世界遺産ダンブッラ黄金寺院(1)

 第一窟 『偉大な神の神殿』

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 全長14メータの釈迦の涅槃像が岩から刳りぬかれています。足の親指が少しずれているので、涅槃像だそうです。20115surilanka_756

 足元には一番弟子の、悲嘆にくれる『アーナンダ』だそうです。

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 釈迦の足の裏です。

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ベトナム縦断1800キロの旅(8) ハノイ 文廟再訪

 承前 ベトナム縦断1800キロの旅(7) 世界遺産ハロン湾その4 水墨画の世界

 ハノイに4年ぶりに帰ってきました。懐かしいです。

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 文廟の塀に鏡をかけて道行く人の頭を刈る散髪屋さんです。

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 天秤棒を担いだ女性の物売りさんです。懐かしいですね。

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 ベトナムは敬虔な仏教徒、蓮の花を買っています。これが大きな蕾ですね。

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 文廟です、11世紀、李朝の頃に最初に孔子廟が作られそして、最古の大学として官吏養成の学問所となりました。1484年から300年間の科挙試験合格者の石碑があります。2007年にも訪問しており、その時の記事もあります。

 参考 文廟(2007年) 訪問記

 参考 文廟写真集(2007年、2011年)

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スリランカ紀行(26) 世界遺産ダンブッラ黄金寺院(石窟寺院)(1)

 承前 スリランカ紀行(25) ポロンナルワ 野生の動物達

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Photo_2  シギリアロックの南の方角に世界遺産ダンブッラ黄金寺院(石窟寺院)があります。高さ200メータ程度の全山が岩で出来た山の中腹に紀元前3世紀の頃から岩を刳りぬいて僧院が幾つも出来ていたそうだ。そして、紀元前1世紀の頃に寺院として(石窟寺院)として整備が始まった。

 第19代シンハラ王朝の国王はタミル人にアヌラダプーラを追いだされ、此の地で匿われ、再起を喫し再度アヌラダプーラに凱旋できたという。王はそれを記念し此の石窟僧院を寺院にしたという。世界有数の石窟寺院であり世界遺産に登録されている。

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 岩山の中腹まで歩いて登る必要があります。見晴らしは素晴らしいです。

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 階段を登ります、シギリアロックに比較すれば簡単です。

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 巨大な岩の山です。土は有りません、木は岩の裂け目に根をはっています。寺院の入口が見えてきました。

  参考 グーグルアース ダンブッラ黄金寺院(石窟寺院)

「Dambulla.kmz」をダウンロード

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縄文期最大ヒスイ管玉 奈良・秋津遺跡で出土

 承前 葛城王朝栄華の址 秋津遺跡発掘(橿考研)

 橿原考古学研究所は秋津遺跡を発掘しているが、今回、同遺跡で縄文時代晩期(約2800年~2500年前)のヒスイ製管玉(くだたま)、長さ3.8センチ、直径約2センチが出土したと13日発表した。研究所の発表では、ヒスイ製の縄文管玉としては国内最大であるという。

 動画ニュース(MBS) ヒスイの管玉出土ニュース

 読売新聞の記事によれば、中央がやや膨らんだ円筒形で、新潟県糸魚川産とみられるらしい。両側から穴(直径0.8センチ)を開けており、当時としては高度な技術である。この時期のヒスイの管玉は長さ2センチ前後で3センチを超えるのは稀らしい。

 このヒスイは墓から出土したのではなく、水路のような小川の近くで出土しており集落を纏める地位の高い人が誤って落としたのではないかと推測している。ヒスイは16日から橿原考古学研究所博物館で展示されるそうです。

 参考 共同通信『2800年前の翡翠の管玉発見 奈良の秋津遺跡で』

 参考 日本経済新聞 同上記事

 参考 読売新聞 縄文人 ビッグな翡翠首飾り

 実はこの遺跡で5月24日に縄文時代のノコギリクワガタの全身が発見されていたんですね。

 参考 毎日新聞 縄文時代のクワガタ発見 奈良・秋津遺跡

 葛城の地が如何に縄文時代から繁栄していたかを示す遺物の出土ではないでしょうか。葛城の奥の深さを考えさせる一連の橿考研の発掘成果ではないでしょうか。

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新説『未完成の安閑天皇陵』(読売新聞2011、7、13記事)

 本日、読売新聞朝刊にて掲記見出しの記事が掲載された。(大阪文化・生活部の清岡央さんの記事)

 継体天皇に関係する記事なので、放置出来ないという事で概略を紹介しておきます。

 新説を提唱されたのは、堺市文化財課の十河(そごう)良和さんだそうです。以下、概略要旨を述べます。

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 ・大阪の松原市・羽曳野市に存在する日本で5番目に巨大な前方後円墳である河内大塚古墳(全長335メータ)はかつては雄略天皇の陵墓と考えられた事もあるが、その後、この古墳が6世紀に築造された事が判り欽明天皇の陵墓ではないかという説も出現していたが、今回、十河良和さんは『継体天皇第一皇子だった、安閑天皇の為に6世紀前半に築かれた見完成の墓』であると新説を展開した。

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 ・その理由は、この古墳から南西5キロの地点にある日置荘(ひきしょう)西町窯跡群(堺市東区)に謎を解く鍵が存在した。この遺跡は、1980年代から大阪文化財センターが断続的に発掘を続け、7基の埴輪窯を発掘した。6世紀半ばの窯とみられ、復元すると高さ1.3メータにもなる円筒埴輪が多量に出土した。

 ・等間隔の帯状の模様が墳丘上に並べると綺麗に揃い、この種の埴輪の最盛期は4世紀である。6世紀でこの埴輪と類似を求めると、継体天皇の真の陵墓と考えられる高槻の今城塚古墳の築造時に埴輪を供給した新池埴輪制作遺跡だけである。従い、十河さんは今城塚の完成後、新池の工人が次の大王墓である安閑天皇陵の埴輪を焼く為に、日置荘に移動した可能性が高いと述べる。

 ・6世紀の河内で、あれだけの大きな埴輪を並べるのにふさわしいのは、河内大塚古墳だけであると考えられる。その為に多量に焼いたが、古墳の築造が中断され、使われなかったと考える。

 ・大阪市大の岸本直文准教授(考古学)は墳丘に大きく崩れた跡がないのに、高さ20メータの後円部に対して前方部は4.5メータと著しく低く、且つ周濠も浅く、周濠の土を前方部に盛り上げる途中に築造が中断したと考える。見完成説を支持している。

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 ・継体天皇が身罷られた531年、日本書紀では百済の歴史書が伝える話として、『日本の天皇、太子、皇子が同時に没した』という記録を紹介している。3人が身罷った原因は皇位継承にからむ混乱が原因ではないかと推測する学者も多い。『辛亥の変』と呼ぶ研究者もいる。

 ・十河さんは、安閑天皇の墓は生前から作り始めていたが、辛亥の変で安閑が殺され、急遽、皇后陵として築かれた高屋築山古墳(現、安閑陵、羽曳野市)に埋葬されたと述べる。

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転んで怪我をして命が救われる

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(2011年7月13日水曜日 朝5時半の鶴見川と国際競技場)

 今回の事件は、反省する事が多く少しでも皆様の参考になればと記録する事にした。

 1.事件の発生

  ・2011年7月9日、『G4の会』にて車山の散策をほぼ終えようとしていた時に、散策道の土砂流出止めのタイヤバンドのようなものにけつまずき、転倒、望遠レンズのカメラを首からかけており、左手で保護しようとして、がれきに左手をつき、左手に二カ所大きな擦り傷、裂傷を起こした。幸い、小島さんが洗浄・殺菌・軟膏をすりこんで三角きんで見事な応急処置をして頂いた。

  ・念のため、破傷風が気になるので諏訪中央病院に連れていって貰い処置をお願いに出かけた。そこで、何故か医師にかかる前に、問診と、血圧を測る事が義務となっていた。自動で計る血圧計で計り、計測結果の紙片を持っていると、小島さんがお前、数値が変だから再度、血圧を測り直して来いと指示。

  ・何回やっても上が200を超え、下は100程度だった。看護婦さんに破傷風対策の注射を打って貰うとき、貴方の今の状況は何時なんどき脳溢血で倒れてもおかしくない状況ですと警告を受ける。医者に、狭心症の薬を二日分貰い急遽、翌日の木曽駒ケ岳登山への参加は断念する事とした。

  ・その日から、酒は禁止となり翌日は4時起きで皆さんが木曽駒登山となるので、一緒に起床し、念のため諏訪中央病院に行き血圧を測定、上は何と214という異常な数値であった。従い、私は『G4の会』から離脱し、茅野駅から朝6時39分発の『あずさ2号』で帰宅する事となる。

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 2.医者のみたて

  ・日曜日は医者は休みなので、月曜日に出かけると血圧は170~90程度であり、血液検査をする事となる。そして、新横のビックカメラで血圧計と体重計を購入し、毎日記録を始める事となる。翌日、血液検査の結果が判明し、医者の説明を受けた。

  ・基準値をオーバーする項目は幾つか見つかった。肝臓の数値(γGDP127、GOT49)で、総コレステロールが253、尿酸7.5 それ以外では異常な数値は検出されなかった。

  ・結論は酒をしばらく止める事と減量作戦を行う事と決まった。今年正月まではヘビースモーカーが突然禁煙し、体重が72キロだったのが半年で10キロも増加したのが最大の原因であろうという結論になった。タバコやめて、死にそうな身体になるなんて思いもよらんかった。

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第11回『G4の会』 車山散策

 2011年7月9日(土曜日)第11回『G4の会』温泉と山歩きの会が開催された。2年前より夏には蓼科の古河さんの別荘で開催する事になり、これが三回目の蓼科合宿となった。ちなみに、1回目は蓼科山登山、二回目は八ヶ岳、天狗岳登山と決行し、今回は中央アルプス、木曽駒ケ岳・宝剣岳登山を計画した。

 という訳で、前日の土曜日は軽く、車山を散策する事とした。リフトを2基乗り継ぎ、頂上までリフトに連れて行って貰い、車山肩から湿田を歩き車山の裾を歩き、車山乗越し、そして、ニッコウキスゲの群落を眺めながら下山した。

 マイフォト 第11回『G4の会』 車山散策(2011・7・9) 写真集

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 眼下に白樺湖。

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 車山山頂にて。

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 湧き上がる入道雲は少年時代を思い出してくれる。

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スリランカ紀行(25) ポロンナルワ 野生の動物たち

 承前 スリランカ紀行(24) ポロンナルワ ガル・ヴィハーラ

 スリランカの中央部、特に古都、ポロンナルワはジャングルに覆われていた。今でも周りはジャングルである。珍しい野生の動物をみかけたので、御紹介です。

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 野生の象さんです、水を飲みに水場に来ました。一日100リットルの水と200キロの草を食べると言われています。

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20115surilanka_651  スリランカには今でも野生の象さんが、多く生息しているそうです。

手前の沼では魚を捕っているようです。

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 これ、オオトカゲだそうです。

遺跡の近くで突然に遭遇しましたが、驚きました。まさか、コモドドラゴンではないと思いましたが、怖いですね。

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 サルさんです、本当に仰山の種類の猿が遺跡には住んでいます。

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スリランカ紀行(24) ポロンナルワ ガル・ヴィハーラ

 承前 スリランカ紀行(23) ポロンナルワ アターゲ

 『ガル・ヴィハーラ Gal Viharaya』 スリランカ最大の磨崖仏寺院

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 12世紀に建立された磨崖仏です。釈迦座像は高さ4.6メータあります。花崗岩の岩から彫り出しています。

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20115surilanka_624  大きな花崗岩の岩山から三体の像を彫り出しています。座像、立像、涅槃像です。

写真は釈迦の瞑想する座像です。

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20115surilanka_630  金網の中の釈迦の小さな座像です。とても厳重に管理されています、余ほど重要なものと思われます。

見事なお姿、お顔ではないでしょうか。

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 高さ7メータの立像です、腕を胸で交差させておられます。釈迦の像という説と、釈迦が涅槃に入り悲しみに暮れる弟子のアーナンダの像であるという説があるそうです。

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ベトナム縦断1800キロの旅(7) 世界遺産ハロン湾その4 水墨画の世界

 承前 ベトナム縦断1800キロの旅(6) 世界遺産ハロン湾その3 ティエンクン鍾乳洞

 今回の旅のハイライト、ハロン湾のクルーズが始まります。

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 貧乏くさいTシャツを着てしまった。数年前にベトナム在住の友人のラジコン所長は世界遺産の海、KatBaの釣り船の甲板からラジコンモーターグライダーを飛ばし、見事に船上で回収した話を思い出した。彼は未だ、ハノイでラジコンのジェットエンジンを開発しているんだろうか。

 参考 世界遺産フライト KatBa(ラジコン所長)

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 海上生活者が生簀で魚介類を販売しているので、船は生簀に着岸し昼飯に追加で食べたい食材を購入出来る、船で直ぐに昼飯に料理してくれる。海上生活者の生活を守る為ではないでしょうか。

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甲蟹、これ生きた化石だけど、こんなもん食べるんかいな。シャコはでかくて美味しそう。

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 海上生活者の物売りの船が接近し、屋根の上に立ち、上手に観光船の窓際で物売りを始める。

素晴らしい特技であり、許されているようだ。

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 マイフォト 世界遺産ハロン湾クルーズ 写真集

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ベトナム縦断1800キロの旅(6) 世界遺産ハロン湾その3 ティエンクン鍾乳洞

 承前 ベトナム縦断1800キロの旅(5) 世界遺産ハロン湾その2 鍾乳洞の島に渡る

 ベトナムには世界最大の洞窟があります。ベトナム中部の世界遺産『フォンニャ・ケバン国立公園』内にあるソンドン洞窟です。そして、このハロン湾に存在する無数の島々には鍾乳洞が存在するようです。石灰岩が浸食されて出来た景観です。今回は、代表的なティエンクン(天宮)鍾乳洞を訪問しました。

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 最近はカラフルな照明を使用していますね、最新の経験では韓国の済州島の鍾乳洞でもこのような展示でした。

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 まさに、天空の宮殿ですね。

 マイフォト ハロン湾鍾乳洞(ティエンクン) 写真集

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ベトナム縦断1800キロの旅(5) 世界遺産ハロン湾その2 鍾乳洞の島に渡る

 承前 ベトナム縦断1800キロの旅(4) 世界遺産ハロン湾その1 乗船

 ハロン湾観光船は先ずは沖合の鍾乳洞のある島を目指します。ティエンクン(天宮)鍾乳洞と呼ぶそうです。

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この洗濯物に生活感がにじみ出ています、彼らは船上生活者なのです。きっと、数千年前から先祖はこのハロン湾で生活をしていたのではないだろうか。

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 ハロン湾とは龍が舞い降り口にくわえた玉を海中に放り出し、多くの島を作ったという。ベトナムが中国の船団による攻撃を受ける時は必ずこの湾を中国艦隊は通過する。此れだけの島があれば、何処からでも奇襲攻撃が可能である。まさに、龍が守ってくれているのだ。

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15年前の職場の仲間

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 今日は梶山さんの呼びかけで、15年前の職場の仲間が新橋で集まった。実に、10年振りに会うメンバーもおられました。

本当に懐かしい、集まりで、当時の仕事の話で大いに盛り上がった。

 このメンバーの中で二人は北海道の大学出身で、大いに蝦夷地の話で盛り上がった。

 今は皆さん、別々の仕事場で頑張っておられます。農業とクラウドコンピューテングの世界を開拓している人もあり、話を聞くと面白い世界が今、展開中である事も刺激になった。

 今回の集まりのきっかけは、15年前の特許に関して報奨金が出たのがきっかけだったようです。宴会を二回程度は開催出来るという事で、企画が始まったそうだ。しかし、肝心の報奨金は未だでていないので、今回は割り勘となった。(笑)

 残念ながら、一人は未だ仕事があるという事で、ウーロン茶のみとなり現場に帰って行った。

 次回は、メンバーを拡大してやりたいという幹事さんの話でした、本当に楽しい時間有難う御座いました。

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スリランカ紀行(23) ポロンナルワ アタダーゲ

 承前 スリランカ紀行(22) ポロンナルワ ラター・マンダパヤ

 『アタダーゲ Atadage』

 11世紀にウィジャヤバーフ王(1070年~1110年)が建立した仏歯寺跡です。

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 鳥居のような門が残っています、釈迦の歯を安置したお寺として有名です。現在はキャンデイーに仏歯寺があります。(別途掲載予定)

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 石碑はタミル語で書かれているそうです。

 碑文にはこの釈迦の歯はシンハラ人ではなく、傭兵であるタミル兵が守ったと記録されている。

 アタダーゲのアタとは8と言う数字を意味するそうです。8日間でこの建物を建造したという話や8つの宝物が存在したとも伝えられているそうです。

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20115surilanka_558  52本の柱の上に建物は建造されていたそうだ。

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スリランカ紀行(22) ポロンナルワ ラター・マンダパヤ

 承前 スリランカ紀行(21) ポロンナルワ サトゥマハル・プラサーダ

 『ラター・マンダパヤ Lata Mandapa』

 12世紀にKing Nissanka Malla が建設したスリランカのバロックともロココとも呼ばれる華やかな様式の柱が特徴の仏塔です。8本の柱は蓮の茎をイメージしクネクネしています。『Flower Scroll Hall』と呼ばれています。

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20115surilanka_549  説明板の通り、小さな真中の仏塔を守る建て物が蓮のイメージを持っています。見事な柱は可憐さを漂わせていますね。

屋根は、もっと蓮の花を意識したデザインではなかったでしょうか。

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ベトナム縦断1800キロの旅(4) 世界遺産ハロン湾その1 乗船

 承前 ベトナム縦断1800キロの旅(3) 三度の海戦(バクダン江)

 ハノイから180キロ、バスで3時間半もかかる。高速道路は殆どが日本のODAで建設されている。日本の高速道路なら1時間半で到着出来そうだが、ベトナムや先日、訪問したスリランカでも時間がかかる。移動時間が日本の倍以上かかるのだ。時折、牛の群れが高速道路を横断しているので、停車しないといけない。

 これでは、ハロン湾の観光にとり不便であり、現在、ハノイから鉄道をハロン湾まで建設中である。さて、何時実現するんでしょうね。

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 ハロン湾到着です、いよいよ観光船に乗ります。食事も出来る船で我々グループで貸し切りでした。

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 桟橋です、ハロンとはハ=Ha 舞い降りる、ロン=Long 龍 即ち龍が舞い降りる湾という意味になります。縁起がいい場所なんですね。

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 こんな船も有りますよ、多分一人とか二人で鍾乳洞の対岸の島に渡るのに利用出来るのかも知れない。この船でハロン湾を遊覧しているのはあまり観た事が有りません。

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 どうですか、桂林を思い出しますね。

 参考 桂林紀行 目次編

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ベトナム縦断1800キロの旅(3) 三度の海戦(バクダン江)

 承前 ベトナム縦断1800キロの旅(2) バッチャン焼きの里

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 ハノイからハロン湾に向かいました。ここでどうしても、ベトナムの中国からの独立の歴史に触れておきたいと思います。写真はハノイにある軍事博物館に掲げてあるバクダン江の戦いの場面です。相手は1288年中国は元軍です。これは、中国とのバクダン江での三度目の海戦となりました。

 参考 旗台と軍事博物館(ハノイ)

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 ハノイを攻撃するには紅河の河口から紅河を遡上して攻撃します。バクダン江(白藤江)は河口から少し遡上した場所にあります。

 実はベトナムは過去の歴史に於いて中国とこの場所で三度戦い、三度とも大勝利を収めています。

 第一回バクダンの海戦(938年)  相手は南漢軍

 第二回バクダンの海戦(981年)  相手は北宋軍

 第三回バクダンの海戦(1288年) 相手は元軍

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 全ての戦いに於いてベトナム軍はバクダン江の川底に丸太や鉄の杭を打ち込み満潮時には杭が見えないようにしておいた。そして、相手を誘いこみ、わざと負けたように振る舞い相手を杭の上流側まで誘いこむ。そして、引き潮時に一斉に川上から総攻撃をかけ相手を下流方向に追い込む、そして、彼らの船団を杭の中に閉じ込めたり、杭で船底を破損させ火船を突入させ相手船団を丸焼きにしてしまった。

 まるで、白村江での飛鳥朝廷軍の水軍が全滅したのと同じような光景が繰り広げられたそうだ。しかし、中国は同じ戦法で三度も負けるとは情けない話だ。

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ストーンヘンジ 新しい仮説の登場

 承前 英国紀行その8 ストーンへンジ前篇

 承前 英国紀行その10 ストーンヘンジ後篇

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 (グーグルアース ダーリントンウォールズ

「durrington.kmz」をダウンロード 詳細がわかりますね)

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 昨日NHK教育テレビにて英国の『ストーンヘンジ』に関する新しい仮説と発掘の番組を報道していた。これは、ナショナルジオグラフィックがスポンサーとなり発掘を支援しているプロジェクトである。

 新説の要点を述べると、先ず『ストーンヘンジ』の北東30キロのエイボン川のほとりにダーリントンウォールズという石の代わりに木を使用したサークル遺跡が発掘された事実である。

 マガカスカルの遺跡を発掘していた考古学者のパーカー・ピアソン氏の説は、このダーリントンウォールズは生きている人々の世界であり、ストーンヘンジは死者の世界であると考える。夏至や冬至の大事な時には人々はダーリントンウォールズとストーンヘンジをエイボン川を使用し行き来して祭祀を行っていたと推論する。

 マダカスカルでは、木は朽ち果てるものであり、石は骨と同じく永遠に存在する死後の世界であり先祖の世界である。又、木は女であり石は男であるという。ストーンヘンジから発掘される骨は男性ばかりであり、女性の骨は未だ見つかっていない。火葬や埋葬された高貴な人はストーンヘンジに埋葬され、それ以外はエイボン川に灰が流されたという。

 ストーンヘンジでは52体の火葬骨と240人分の土葬骨が今まで発掘されている。ストーンヘンジは夏至の日の出と冬至の日没を観察する祭祀装置としての機能があり、逆にダーリントンウォールズには冬至の日の出と夏至の日の入りが観測出来る祭祀装置として機能していると仮説は述べる。

 参考 ナショナルジオグラフィック ダーリントンウォールズ記事

 参考 米流時評

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ベトナム縦断1800キロの旅(2) バッチャン焼きの里

 承前 ベトナム縦断1800キロの旅(1) 4年振りのハノイ

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 ハノイから車で30分程度、東南方向に走ると紅河の中洲に陶器の里、バッチャン(Bat Trang)村があります。15世紀から17世紀のかけて最も陶器で栄えた村です。中国の明朝への貢物の官製工場として発展した村であり、同時に貿易津としても栄えました。日本では桃山時代から安南焼きとして有名ですが、特に、ホアハム(青い花模様の染付)と紅安南(赤・黄・緑)が特に好まれました。

 場所: グーグルアース Bat Trang

「bat_trang.kmz」をダウンロード

17世紀末には中国も清朝となり鎖国も解け、中国の高品質な陶磁器が海外に輸出が始まり衰退が始まったという。勿論日本の江戸幕府の鎖国も影響している。

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20116vieatnum_044 若い陶工達が働いていました。

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 焼き物のタイルで創作されたバッチャン村の風景です。牛の荷車で粘土を運んでいますね、なごやかな風景です。

 マイフォト バッチャン焼きの里 写真集

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ベトナム縦断1800キロの旅(1) 4年振りのハノイ

 今回はハノイから入り、ハロン湾やハノイの見学をして、空路で中部のダナンに行き、フエやハイフォンという古都や遺跡を巡り、最後に空路でホーチミンに行き、メコン河の恵みを満喫する紀行である。

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 ハノイでは年に2回米の収穫が出来る。ホーチミンのメコンデルタでは3回の収穫が出来る。ハノイは大河、紅河の河口のデルタ地帯に青銅器のドンソン文化の時代から繁栄してきたクニである。デルタ地帯の風景はまさに、ハノイを漢字で書けば判ります、河内と書くからです。私は北河内の出身ですが、淀川と大和川のデルタ地帯が河内と呼ばれたは御存知でしょうか。昔は大和川も河内湖に注いでいたのです。

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 4年前と異なる風景はバイクに乗る人々がヘルメットをしてる光景です。どうやら、交通法規で規制が始まったのでしょうね。熱い国でヘルメットを被るのは大変だと思います。

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 懐かしい風景は4年前も変わらないです。ホンダさんやヤマハさん、頑張ってバイクをベトナムの為に現地で頑張って製造しているんですね。

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ベトナム1800キロ縦断の旅 無事帰国しました

 承前 ベトナム縦断1800キロの旅 企画

 本日無事、ベトナム南部のホーチミンから帰国しました。4年振りのハノイ訪問から始まり、中部のダナン、フエ、ミーソンの古都を訪問し、最後にホーチミンでは豊かなメコンの恵みを体験して来ました。

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 ハノイに住んでいて一度も訪問した事が無いハロン湾、『海の桂林』という失礼な表現をする人がいるようですが、やはり素晴らしい世界でした。

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 ベトナム最後の王朝、ベトナム中部のフエの阮(グエン)朝の王宮の跡です。美人のベトナム女性に遭遇しました。熱さが吹き飛ぶ瞬間でした。(笑)

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 ミーソンのチャンパ王国の都の跡です。やっと来る事が出来ました。

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 背景はミーソンの山です、美しい山という意味で、日本の『み わ やま』と同じ美しい山という意味です。ミーは美しい、日本でも美しい尊い、という接頭語ではないでしょうか。ソンは山という意味です。チャンパ族の首都として4世紀後半から13世紀まで繁栄を極めた。

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 チャンパはヒンドゥー教の世界です、リンガが至る所で立ち、水の祭祀が行われた遺跡が存在していました。

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