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ベトナム縦断1800キロの旅(3) 三度の海戦(バクダン江)

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 ハノイからハロン湾に向かいました。ここでどうしても、ベトナムの中国からの独立の歴史に触れておきたいと思います。写真はハノイにある軍事博物館に掲げてあるバクダン江の戦いの場面です。相手は1288年中国は元軍です。これは、中国とのバクダン江での三度目の海戦となりました。

 参考 旗台と軍事博物館(ハノイ)

Photo

 ハノイを攻撃するには紅河の河口から紅河を遡上して攻撃します。バクダン江(白藤江)は河口から少し遡上した場所にあります。

 実はベトナムは過去の歴史に於いて中国とこの場所で三度戦い、三度とも大勝利を収めています。

 第一回バクダンの海戦(938年)  相手は南漢軍

 第二回バクダンの海戦(981年)  相手は北宋軍

 第三回バクダンの海戦(1288年) 相手は元軍

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 全ての戦いに於いてベトナム軍はバクダン江の川底に丸太や鉄の杭を打ち込み満潮時には杭が見えないようにしておいた。そして、相手を誘いこみ、わざと負けたように振る舞い相手を杭の上流側まで誘いこむ。そして、引き潮時に一斉に川上から総攻撃をかけ相手を下流方向に追い込む、そして、彼らの船団を杭の中に閉じ込めたり、杭で船底を破損させ火船を突入させ相手船団を丸焼きにしてしまった。

 まるで、白村江での飛鳥朝廷軍の水軍が全滅したのと同じような光景が繰り広げられたそうだ。しかし、中国は同じ戦法で三度も負けるとは情けない話だ。

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 ベトナムの歴史に少し触れますが、秦の始皇帝の時代に始皇帝は紅河のデルタ地帯の豊かな地域が欲しかった、中国では紅河デルタ地帯を交跡と呼びその後、交跡郡となりました。始皇帝没後は、中国広州南部の南海郡、桂林郡、交跡郡、九真郡あわせて南越国と称して中国から独立した。

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 これが、ベトナム国の最初の記念すべき独立国である。名前に注目である、南越国であり、実は北の東シナ海沿岸には同じ越族が暮らしていた。百越と呼ばれる筈だが、ともあれ、南の越族の国と名乗った。発音すると、ナム ベトとなる。実は、南越国はその後漢王朝に滅ぼされ、千年間中国の植民地となる。独立出来たのは第一回バクダン江の海戦からであり、939年となる。そして、南越の国号を称したかったが、中国が認ず、やむなく、越南(ベトナム)と国号を称する事となる。

 

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千年の恨みをベトナム人は中国に対して抱いているのです。

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