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桜井茶臼山古墳に新たな副室が存在か

 承前 桜井茶臼山古墳関連記事 桜井茶臼山古墳と纏向紀行

 承前 桜井茶臼山古墳関連メモ(2011年2月)

 今日、朝、MuBlogを眺めると、橿考研が桜井茶臼山古墳に新たな副室が後円部主室の東と北に存在するであろうと発表したようだ。

 参考 MuBlog記事 桜井茶臼山古墳に異変が?

 この古墳を橿考研が再調査をしている数年前に偶然に京都在住のMuBlogの旦那と一緒に現場を訪問した経緯があります。今回のニュースを集めると。

 テレビ番組報道 MBS放送動画(多分数時間で消滅の可能性あり)

 読売新聞記事 副室とみられる遺構発見

 産経新聞記事 二つの副室 中身は不明

 2009年11月 現地説明会動画

 この古墳に関しては何回も記事を書いています。磐余の地にある初期の大王級の前方後円噴であり、石室には200キロを超す金より高価と考えられた朱が惜しみなく使用され、80面以上の銅鏡や遺物を考えると明らかに大王の陵墓であろうと考えられている古墳だ。

 今回、何故、橿考研が副室の存在だけを発表したのか真意は不明です。調査の予算の獲得が目的かも知れない。

 この古墳には私も、京都のMuBlogの旦那も大いに興味を持っています。ヤマト王権の発祥の地が磐余(いわれ)と考えられているからです。神武天皇が皇祖を祀ったのが桜井茶臼山古墳の稜線を遡り聳え立つ鳥見山だからです。

 トリは外山(トビ)に発音が似ており古来この古墳は外山(トビ)茶臼山古墳と呼ばれていました。近くには何故か、宗像神社が存在し神武東征と関係がありそうな雰囲気です。古来、新しい王朝を開くにはこの磐余に宮を構える必要があると主張する考古学者が居られます。歴代の王朝が新しく創設した疑いのある大王について研究された論文がありました。

 

 邪馬台国奈良盆地説の考古学者は概ね、ヤマト王権の初期の大王は奈良盆地の東に南北に巨大な初期前方後円噴が存在する地域から交代で大王が選出されたと主張する研究者がおられます。北から萱生環濠集落近くの巨大な前方後円噴の大王、柳本古墳群の大王、三輪山・纏向地域の古墳群の大王、そして最南部の磐余の巨大前方後円墳の大王です。

 桜井茶臼山古墳は古墳としては古い形態である丘尾切断型の前方後円噴であり、後円部の墳頂部の各種遺構は実に興味深いものが多数存在し、今だ解明されていない事が多いと思います。

 副室とは主体部に埋葬された人物に関係する副葬品を納めたケースが多いと思います。沢山の鏡が納められたり、刀剣類や勾玉類もあり得ると思います。生贄については、魏志倭人伝の卑弥呼崩御の時の殉死百名の女官の話と垂仁天皇の時代まで貴人が崩御すると殉死とか生贄の風習が残っていたと思います。

 江戸時代でも人柱の風習は残っていたのではないでしょうか。祭祀の時に動物を生贄にする風習は中国伝統の道教の風習として存在しています。

 いずれ、橿考研ではこの副室の発掘を行うと思いますが、楽しみです。

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