スリランカ紀行(16) 世界遺産 ポロンナルワ歴史地区
シギリアロックの東方に中世の時代、都として栄えた世界遺産 歴史的地域であるポロンナルワを歩いてみます。1017年にアヌラダプーラから遷都し1255年に都としての此の地は放棄されるまで約250年近くシンハラ王朝の都として栄えました。
スリランカの歴史は常に南インド地域の王朝(タミール人の王朝)との抗争の歴史のようです。スリランカの王朝は北部インド出身のシンハラ族が主に統治して来たが、常にインド南部のタミール人の侵略を受け抗争を繰り返して来たという。1983年から2009年まで続いたスリランカの内戦はシンハラ族とタミール系のタミル・イーラム解放のトラとの激しい内戦だった。
大野晋さんの日本語の起源はタミール語であるという本に出会って(岩波新書 日本語の起源)以来、是非、南インドやスリランカに出かけてタミール語に出会ってみたいと考えていました。しかし、スリランカでは軽々にタミールに関する話をするのは慎重であるべきだという事が現地で感じた、長い過酷な内戦を理解した上で話をしないといけない。現在タミール人が多く住む北部・東部に行けば彼らに出会える事が判った。
『パラーラマ・バーフ1世の宮殿跡(Parakrama Bahu)』
12世紀、都が一番輝いた頃に建造された7階建ての宮殿です。現在は破壊され3階部分までしか残っていません。
レンガ造りで壁の厚さは3メータあります。創建当時は漆喰が塗られていたそうです。白亜の宮殿だったそうだ。今でも一部残っている。
ガイドさんの話では妾さんは1階暮らしだそうで、妃さんになれば上の階で住めたそうです。
漆喰が残っている部分が有りますね、ちゃんと保存しないと朽ち果てそうで心配になりました。
王宮の裏手です。沢山の基壇が残っています。
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