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世の中はゴールデンウイーク

 昨日は、5月5日の子供の日、端午の節句でした。北海道の娘からは孫を祝う手作りの『こいのぼりイナリ』の写真や、茹で卵を上手に剝く孫の写真が送られて来た。鯉のぼりを買ってあげると言うのに、娘はいらんというてました。

 連休だけど、息子はカレンダー通りに今日も会社に出勤している、久しぶりに息子も寝正月みたいでした。お陰で主夫は忙しく、食事の世話で仕入れにでかけたり、料理をしたり、ラジコン飛行機の制作をしたり、大変だった。スーパーは最近は概ね、3.11震災以前の状態に戻りつつあります。

 世間では、生肉の『ユッケ』を食べて既に4名が亡くなっている。未だ重症患者がいるという。世の中に韓国料理の『ユッケ』というものが存在する事を知ったのは10年前位の話だ、子供の頃、肉を生で食べるなどの習慣は存在しなかった。というか、牛肉なんぞは冠婚葬祭の時でないと食べれない貴重なものだった。

 しかし、私が大学受験の頃には父が土曜日は半ドンで帰宅途中の大阪の何処かで肉を買いタケノコの皮で包まれた牛肉を買って来てくれていた。息子に体力をつけさせる親心だったと感謝している。肉かカステラかどちらかが何時もの土曜日の土産でした。たまには、異なる珍しい物でも買えばいいのに、親爺はワンパターン人間だった。

 明治生まれの人にとり、牛肉とカステラはハイカラな食べ物、西洋の香りがするものだったと推察する。ところで、牛肉を生で食べる習俗は何処の国のものだろうか。私が知る限りイヌイットがアザラシの肉を生で食べる事を知っていました。理由は、野菜が無い世界なのでビタミンを生肉から摂取するしか方法が無いからだと理解していました。氷河時代、野菜畑は出来ないですよね。

 日本人は仏教が伝来して以来、多分、飛鳥時代頃から律令体制下の農民は肉を食べる習慣は無くなったのではないだろうか。江戸時代は勿論、一般庶民は肉を食べていない。しかし、時折、江戸暮らしの大名でも近江牛は食べていたという話が紹介されているようだ。勿論、山に住む狩人達はイノシシや兎(ウサギは庶民でも食べて良かったそうだ、何故なら1羽2羽と数えるでしょう、獣ではなく鳥なんです・・・庶民の知恵)を食べていた。

 漢民族は絶対に生モノは食べないのが特徴だ。広大な国土の国だから、流通の問題で新鮮なものは存在しない前提で世の中の仕組みができている。イスラムの人は豚を食べないし、ユダヤ人は左右対称でない生き物は食べない習慣がある。

 日本人は魚を生で食べるし、世界で一番珍しいのが卵を生で食べる珍しい民族である事だ。蛇と同じである。しかし、江戸時代には豚も存在していなかったし、牛は存在したが農耕の力仕事や、貴族の牛車を牽いていた。食料の対象では無い。邪馬台国の時代には豚はいたそうですが、何時の頃からは日本人は豚を食べなく、飼育しなくなったのが謎だそうだ。豚の飼育は人間の糞尿で飼育するのが漢民族の習慣だが、日本人は肥料として利用する文化が生まれ、豚が存在出来なくなったのでしょうか。

 

 朝鮮半島の民族については、複雑なので難しいが、私の理解では南部に存在した人々は海洋性の倭人と同類ではなかったかと推測している。馬韓・弁韓・辰韓と呼ばれる時代です。その後、北方から遊牧民が南下し、百済・高句麗を建国した。新羅は辰韓の流れを汲む民族だと思う。何故、『ユッケ』という生肉料理が韓国で発生したのか、今後の研究課題です。

 念のため蛇足ですが、日本列島に住む民族は朝鮮半島以上に複雑だと思います、黒潮に乗り渡来した南方の人々、長江下流域から渡来した人々、朝鮮半島から渡来した人々、アムール川下流域から樺太経由で渡来した人々、氷河時代には樺太とユーラシア大陸は氷で繋がっていたので、マンモスを追いかけていたイヌイットや北米中米南米の先住民族と同族の人々も渡来していたでしょうね。要は、混血の極致が日本列島であった。

 生肉と言えば、学生時代にしょっちゅう信州は松本や大町あたりをウロウロしていた、牛肉は当時は殆ど見つける事は出来なかった。馬肉でしたね。今でも、赤とんぼの合宿では山小屋管理人が『馬刺し』が大好きなので、馴染のお肉屋さんで購入して食べています。冷凍されてた馬刺し用のお肉です。

 ところで、モンゴル人は生肉を食べるのだろうか、不明です。多分食べないと思いますね。ただ、彼らの先祖が世界最大のモンゴル帝国を築いた頃、兵士は馬上で走りながら馬を少し傷をつけ、馬の血を吸いながら行軍したという話を何処かで聞いた記憶が有ります。

 考えて見れば、人類が草原に出た頃から生肉は食べていた筈です、その頃は人間の体内に生肉を食べても大丈夫なような細菌類を飼育していたと思う、しかし、生肉を食べない習慣となり、昔、体内で飼育していた細菌類も存在しなくなり、免疫が無くなったのかも知れない。

 オホーツクの哲ちゃんのブログで紹介されている、無農薬リンゴの話と何処か似てるような気がする。

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Comments

タルタルステーキのこと

 ユッケは食したことがありません。
生の牛肉のミンチに生卵のようですね。
当方は(馬刺)は大好きで、店のメニューにあると喜んで注文します。
馬のたて髪の付け根の脂肪、なんてのをサシミで出す店も松山にはありましたな。

 ところで西洋人の生食の一つとして(タルタルステーキ)というのを聴きますね。
東京へ流れたばかりのころ、横浜で、あるフランス料理店を訪ねました。
京都でよく行っていた小料理屋の主人の若い知り合いがオープンした店でした。
(当店の名物料理はタルタルステーキです)
と、その若いオーナー・シェフが言います。

 どれどれとすぐに注文しました。
もう味は覚えていませんが記憶に残っているのは牛ではなく馬だというお話。
なんでも、牛は寄生虫がいるけれど馬なら大丈夫なんです、とのことでした。
フランスは馬に縁深い国なので、そんなもんかなあと思いました。

 タルタル人とはタタール人すなわちモンゴルの末裔が訛った言い方だとも言われます。
モンゴル人が大切な馬を生食したかどうか分かりませんね。
ただモンゴル草原では牛よりは馬だったのではないでしょうか。
何しろ牛は、種類にもよるでしょうが、脚が速くないですからなあ。

 ユッケ事件を聴き、そんなことを思い出しました。

Posted by: ふうてん | 2011.05.06 01:54 PM

ふうてんさん 御無沙汰です

 お元気そうですね、この前は失礼しました、帰国直後で昼夜逆転し、昼は寝ていました。未だに、昼に2時間程度寝ないと駄目のようで、朝方、何故か目が覚め起きてウロウロしています。

 ところで、『タルタルステーキ』、これが『ユッケ』の元祖のようですね、やはり、朝鮮半島の人の多くの先祖は遊牧民ですからね。

 タタール、『韃靼疾風録』(司馬遼太郎)を思い出しましたよ。タタール人=韃靼人、彼らの馬肉を使う料理だったのですね。馬刺しの原型ですね。

 息子が大好きなハンバーグのルーツもタルタルステーキを焼いただけのものかも知れませんな~。

 しかし、今回の事件で今後しばらくは『ユッケ』『馬刺し』『タルタルステーキ』を注文する人は激減するでしょうね。

 今日は夕方から、新橋で宴会です。『うどんすき』だから、安全でしょうね。

Posted by: jo | 2011.05.06 03:20 PM

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