東方海上に浮かぶ神仙界(蓬莱山)
古来、中国では東方海上には不老長寿の仙人達が住む神仙の世界、所謂、蓬莱山が海に浮かんでいると考え、信仰していました。その証拠に、中国を初めて統一した秦始皇帝は徐福に船や数千人の子供達を与え、東方海上に浮かぶ蓬莱山に不老不死の薬を求めさせた、これが徐福の大航海であります。日本では伝説だが、中国では史実として捉えられている。
何故、このような思想・信仰が発生したのか判らないが、山東半島あたりが道教のルーツであることから、東シナ海を眺め、太陽が昇る方角に憧れの世界を創り出したのかも知れない。ひょっとすると稲作を日本列島に伝えた人々の動機そのものが、積極的な神仙世界への移住計画だった可能性もあり得る訳です。
従来、私が考えていた水田稲作の日本列島への伝播は大陸や朝鮮半島の政治的動乱の結果、避難した人々が水田稲作を伝播した人々ではないかと推測していた。動機そのものが政治的動乱であったとの考えです。しかし、憧れの、夢の島、蓬莱山を目指したGO EASTの聖なる移住であった可能性があります。まるで、清教徒達がニーナ・ピンタなどの船に乗り欧州からアメリカ東海岸を目指したと同じ歴史だとすれば、面白いし、ロマンがあります。
実はこの神仙思想と密接な関係が存在するのが、巨大な前方後円墳です。江戸時代から議論されてきた、日本独自の墳墓形式である前方後円墳は何故そんな、鍵穴のような格好であり周濠に囲まれ、全長400メータを超える巨大古墳を建造したのかという謎です。
最近の主流の意見は、中国人が当時神仙世界では宇宙というものが壺の形をしているという、壺宇宙を古墳で実現した世界であるという考えです。周濠は海を表現し、海に浮かぶ神仙世界、蓬莱山を表現したと言います。その最初が箸墓古墳であり、卑弥呼の鬼道との関係を推論する人々も多く存在します。
朝鮮半島では公孫氏が魏により滅ぼされ、楽浪郡も劇的な混沌とした政治情勢が起こっていました。魏は江南の呉と朝鮮半島を巡り確執があり、東アジアそのものが政治的に動乱期にありました。そんな時局に、突然に近畿地方に巨大な前方後円墳が出現するのです。瀬戸内海航路を東に移動する中国の使者や商人、武人達は明石海峡で巨大な五色塚古墳を左手に、茅渟の海(ちぬのうみ)大阪湾に入ると度肝を抜く大仙古墳(仁徳天皇陵)を筆頭に百舌鳥古墳群、古市古墳群を目の当たりにする。
大和川を遡上すると奈良盆地に入り、東の山の裾にはオオヤマト古墳群や三輪山の箸墓古墳が迫るのである。これは、まさに宗教的な威圧であり、此処は壺形世界の宇宙の中心、神仙世界である事を強く訴えており、オオキミは神仙世界の神である事を無言のうちに訴えている。神々の世界であることで大陸の人々と対峙しようとしたのではないだろうか。
何故、弥生時代末期までは九州地方が先進諸国であり、日本の中心的な場所であり、先進地域であったのが、3世紀に突如、近畿地方に巨大な前方後円墳が出現し政治的な中心が近畿に発生したのか謎である。
私の今のところの推論は、北九州の末盧国や奴国や伊都国は元来、漢王朝の楽浪郡とのパイプにより大陸との貿易を独占する権利を与えられていたのではないかと推測する。権力が保証・庇護されていた。しかし、漢王朝が崩壊し、それに応じ、公孫氏が朝鮮半島で台頭し、半島も動乱の渦に巻き込まれる。日本も倭国大乱という今迄の北九州諸国の権威の保証人が崩壊する事で瀬戸内海諸国や、出雲諸国、越諸国、近畿諸国、東海諸国、関東諸国の間で戦乱が続いた。
大和盆地の東南地域の磐余地域や三輪山地域はヤマト川上流域であり、瀬戸内海諸国や木津川を利用した琵琶湖地域や山陰諸国との道も開け、宇陀経由で東海地方、関東地方とも接する交通の要のような場所であった。即ち、古代最大のマーケットである海石榴市(つばいち)や箸墓古墳のある大市(おおいち)が繁栄する事になったのである。纏向遺跡に日本中の土器が出土する理由はこの地域が巨大なマーケットであった事を示している。
此処で、諸国は連合する邪馬台国連合が出来て九州の伝統的な漢王朝に庇護された諸国を打ち破ったのではないだろうか。そして、洛東江流域の弁韓・辰韓地域の鉄を獲得したと考えます。大陸との経路では魏志倭人伝時代は私の爺ちゃんの故郷である末盧諸国の海路であり、その後、宗像氏の支配する博多ルートとなりました。
今でも海の神は二系統存在します、宗像の神と住吉の神ですね。私の想像では宗像の海人は初期のヤマト王権と密接な関係があります。住吉の海人は神功皇后・応神天皇所謂、河内王朝と密接な関係がありました。
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