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お茶の話

 昨夜は十五夜+八十八夜とでも言うのでしょうか、満月でしたが、この時に新芽を摘み新茶を作ると極上の煎茶が出来るそうです。テレビでも報道されていましたが、体験者は気持ちの問題という按配でしたね。

 お茶については、ブログで今迄何回も記事を書きましたが、子供の頃に経験した、新茶の製造風景と香りが強烈に残っています。自宅がお茶の製造工場でしたので、お茶の季節になると沢山の茶葉が集まり、巨大なLPガスタンクのような球形の中で蒸されるのです。蒸された新茶の茶葉は取りだされ、構内の広い場所で干されます。この時の香りが強烈だった記憶があります。

 勿論、その後の行程で乾燥させられますが、その時は皆さん御存知のほうじ茶の香りのような空気が漂っていたと思います。最初の行程の蒸された茶葉が多量に、取り出された時の匂いは又、格別な匂いでした。

 さて、たまたま静岡紅茶(株)さんの記事を眺めていましたが、お茶の原産地についての話ですが、参考に御紹介します。

 参考 茶樹の原産地

 どうやら、茶には二種類あるようですね、我々が日本で飲む茶の原産地は雲南省。これは緑茶として飲むのに良さそうで、カテキンが少ないそうです。もう一つの種類はアッサム地方原産の茶だそうで、これはカテキンが多く含まれ且つ、発酵し易い(酵素の活性が強い)茶葉だそうですね、だから紅茶に適しているそうです。

 アッサム種は熱帯地方の霜が降りない低地での栽培が適しているそうで、アッサム地方、スリランカ低地、インドネシア、ケニアなどの英国連邦の地域に英国人が持ち込みプランテーションを行った歴史があるようです。英国人は七つの海を支配した帝国です、世界史を振り返ると意外と彼らは、植民地が自立出来る産業を殖産育成した歴史が認められます。

 しかし、ドイツやスペイン、フランスという国々の植民地だった国々を訪問すると、あまり産業が殖産されていなかったように思います。農業国家は植民地政策を採用して海外にでても、自分の成功体験しか教えない、英国は世界の市場を眺めその個々の植民地にとり最適の産業を見つけ殖産育成する政策を彼らは取ったのではないだろうか。まさに、グローバルな視点で植民地を眺めていた。

 参考 中国雲南紀行 目次編

 参考 雲南の千里香

 英国は海洋民族として植民地で生産させた競争力ある商品を世界各地に運び、莫大な利益を獲得し蓄積した国である。この海洋民族としての英国の近世史を観ていると、何処か長江下流域から東シナ海から、山東半島海域、朝鮮半島南部沖から九州地方の海を生活の場とした倭人も海賊行為を繰り返し、スモール英国のような感覚で行動していたのではないか。

 朝鮮半島南部の洛東江流域で鉄を生産していた産業に目をつけ、日本列島の糸魚川の姫川の翡翠と交易するとか、朝鮮半島の山が丸裸になると鉄が出来ないので、日本の森に目をつけて鉄の産業を日本で殖産する為に技術者を弁韓・辰韓から連れて来た可能性が考えられます。

 東アジアの古代史を考える上で、統一国家が生まれる前の世界は、貿易は自由であり倭人は東アジアの海を舞台に大活躍したのではないだろうか。

 日本の邪馬台国統一連合国家が生まれる背景には、交易を巡る秩序作りで生まれて来た利益共同体ではないだろうか、纏向遺跡では日本列島の地域の土器が出土し、箸墓は大市というマーケットが存在した場所でした。近くには、海石榴市というこれもマーケットが存在し海洋国家、貿易国家としての日本の原型が生まれたと考えても良さそうですね。

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