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須見祥子2011年度個展 銀座『O GALLERY』

 承前 須見祥子2008年度個展

 今日、久しぶりに須見祥子さんの個展を観に銀座に出かけた。彼女は年に一度は東京で個展を開かれるので、個展でお会い出来ます。彼女はメキシコ在住の画家です。

 今回の個展は6月5日まで開催されていますので、是非、一度お立ち寄り下さい。

 須見祥子個展(2011) 2011年5月30日→6月5日

 場所: 銀座1-4-9 第一田村ビル3階 (03)3567-7772

      『O Gallery』 須見さんのホームページ個展紹介

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 『山と月のはざま』

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 『エスマ ESMA』

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 『メキシコの扉』

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20115syokosan_032  『TEHUIの教会』(左)と『うごめく春』(右)です。

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20115syokosan_036  『大きな岩』(左)と『街の月』(右)です。

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今週末は恒例 『赤とんぼ』夏合宿 於:白馬村『ちんぐるま』

  承前 2010年度 『赤とんぼ』夏合宿記録

 今週末の金曜日から、恒例の夏合宿です。今回は、岩ちゃんがテニスの試合があり残念ながら欠席となります。わこちゃんも友人のお通夜があり、二日目からの参加となる予定です。という訳で、初日の夕食と翌日の朝食のシェフはカッチンとjoの二人で頑張る事になりそうです。

 昨年の夏合宿は快晴に恵まれました、7月中旬に開催でした。今年は梅雨を避けて早めに開催となりましたが、思わぬ台風が来たりして、狂っています。さて、天気はどうでしょうか。

 白馬村の天気予報

 どうやら、今年も天気は大丈夫そうな雰囲気です。

 昨年を振り返ると、午前中に少し飛行機を飛ばし、午後は山小屋で外のベランダに机や椅子を出し、昼間から宴会してましたね。爺さんばかりだから、長く緊張感が持続出来ないのでしょうね。安全と言えば、安全です。

 今回は、ラジコン親爺が電動3Dヘリに挑戦するようです。現在、パソコンで猛訓練していると思います。彼は凝り性なので、徹底的に物事に凝ります。飛行機の時がそうでした。パソコンのフライトシュミレータで徹底的に訓練するんです。有償の高価ですがラジコン飛行機マニアの為にシュミレータが販売されています。

 パソコンに本物のプロポ(送信機)を接続し機体を撰び又は、独自機体であれば機体の各種性能を入力し自然現象のパラメータを入力して模擬操縦します。これが、最新のシュミレータは素晴らしく出来ており、これで練習するとほぼ確実に実際のラジコン飛行機を飛ばす事が可能となります。初心者がいきなり飛行機を飛ばすことは不可能ですので、シュミレータから入ります。

 3Dヘリとは実機のヘリでは絶対出来ない演技を行う技です。ヘリの背面飛行とか、観た目にムチャクチャな飛行をやります。まるで、観てると破れかぶれみたいな飛行です。(笑)以前、ラジコン飛行機大会で外人で3Dヘリを飛ばすのが得意な人を観ましたが、開いた口が塞がらない感じでした。

 さて、カッチンと二人で三浦さんの家に行き、三浦さんの車に乗り替え、恒平君と4名で白馬を目指す事になります。帰りは、わこちゃんの車で帰るが、問題は三浦さんの家に置いたカッチンの車を忘れないようにしないといけない。

 

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スリランカ紀行(7) アバヤギリ仏塔・ジェータナバ仏塔・クッタムポクナ沐浴場

 承前 スリランカ紀行(6) マハービハーラ寺院のルワンウェリセーヤ仏塔

 スリランカ最古の仏塔『ルワンウェリセーヤ仏塔』(紀元前2世紀建立)ともお別れです。

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 この地区にはこの他に有名な仏塔が2個存在します。紀元前1世紀に建立された『アバヤギリ仏塔』と、紀元4世紀、日本では三輪王朝から河内王朝に移行した可能性が高い謎の時代ですが、『ジェータナバ仏塔』です。

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 修理中の『アバヤギリ仏塔』です、仏旗がはためいています。

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 これが4世紀に建立された『ジェータナバ仏塔』です。本来はレンガの上に漆喰が白く被覆されていた筈ですが、今はレンガがむき出しです。私はこの方が趣が有り好きです。

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 此れが中国を経て朝鮮半島を経由し、日本では五重塔になるんですが、心礎に舎利容器を埋めるのは同じですが、それ以外はどう考えればいいのだろうか。一番上は相輪(そうりん)でその下の四角い部分は露盤にあたるのでしょうか。

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メッシのバルセロナ UEFA王者となる

 日曜日の朝は午前3時半に起きて、欧州チャンピンリーグの決勝戦、マンチェスターユナイテッドとFCバルセロナの試合をかたずの飲んで見守った。序盤の立ち上がりはマンチェスターが押し気味でしたが、試合が落ち着いてくると、予想通りバルサが圧倒的にボールを支配し、可憐なパスまわしでマンチェスターのゴールを脅かした。

 結果的にはメッシも点を入れ3対1でウェンブリースタジアムで開催された試合で、バルセロナが圧勝した。これで4度目の優勝だという。メッシは3年連続UCL得点王である。

 如何にバルセロナが圧倒したかは、数字が示している。枠内シュート回数12対1、枠外シュート回数4対2、CK回数6対0、ボール支配率63%対37%、ファウル数5対16,マンチェスターはファウルでバルセロナを止めるしか手は無かった。今、黄金期かも知れない。

 しかし、可憐な美しい流れるようなリズムでパスが繋がり敵陣を崩して行くバルサのサッカーは観ていて楽しい。英国・ドイツのサッカーは強いサッカーですが、ロングボールを多用し前線に放り込むサッカーですから面白くないです。狭い場所を針の穴を通すようなパスで敵陣を突破する南米流儀のサッカーは面白い。

 ところで、マンチェスターは経営面で韓国企業が面倒をみているという話を数年前に聞きました。今も韓国の企業が支えているのではないでしょうか、京都パープルサンガで活躍した朴智星がマンチェスターのMFで活躍していました。アジア人では彼が一番欧州で認められた人材ではないだろうか。

 マンチェスターにはルーニーという点取り屋がいますが、バルサの可憐な軍団の前では結果を残すことは出来ませんでした。しかし、素晴らしい試合でした、久しぶりに理想的なサッカーを観た気分でした。

 日本のJリーグは昨日、川崎の中村憲剛が大活躍し2得点し、ガンバを破る。彼のブログでも書いていますが、昨日のロスタイムのフリーキックは本当に嬉しかったようでした。又、代表に復帰して欲しいです。遠藤のガンバを破ったのが素晴らしい。

参考 『ふろく』(ケンゴの勝ち)

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スリランカ紀行(6) マハービハーラ寺院のルワンウェリセーヤ仏塔

 承前 スリランカ紀行(5) ロハパサダ(Loha Pasada) 真鍮精舎(Brazen Palace)

Photo  世界遺産アヌラダプーラの仏教遺跡を歩いています。この地区を歩いていてランドマークタワーのように何処からでも見える白亜の大仏塔があります。マハービハーラ寺院のルワンウェリセーヤ仏塔(ルワンワリサーヤ仏塔)と呼ばれる紀元前2世紀に建立された仏塔です。

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 お釈迦さんが悟りを開いて2600年、仏旗がはためく聖地です。

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スリランカ最初に建立された仏塔だそうで、ドゥッダガーマニー王の時に建設が始まりサッダーティッサ王の時に完成したそうです。

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 この白亜のストゥーパ(Stupa)時にパゴダ(Pagoda)とも呼ぶようですが、中国経由で日本に入ると五重塔になりました。卒塔婆とはサンスクリットのstupaの音訳ですね、日本ではお墓に建てる供養の凡字を細長い板に描いたものを指しています。昨年訪ねた、チベット族でもこのイスラムの寺院の丸天井のような形でした。

 

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 実に美しい仏塔です。

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スリランカ紀行(5) ロハ・パサダ(Loha Pasada) 真鍮精舎(Brazen Palace)

 承前 スリランカ紀行(4) スリーマハー菩提樹 釈迦が悟りを開いた菩提樹の子孫

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 聖なる菩提樹の近くに巨大な僧院の遺跡があります。何と、石柱が40×40=1600本も建つ遺跡であり、その石柱の上に建物が建造され(高床式建物)、僧坊が1000部屋存在し、真中には真鍮で屋根が葺かれ、お釈迦さんの右の鎖骨が納められていた部屋があったそうだ。名前は『Loha Pasada』、『The Brazen Place(真鍮の精舎)』とも呼ばれている。

 どうも建造した王は『Dutugemunu王』という人らしいですが、紀元前3世紀~2世紀頃のようです、しかし、15年後に火災にあったそうですが、何回も再建されていたようです。当時は未だ釈迦の仏像が出来る以前の時代(仏像が出来るのは紀元後1世紀以降)ですから、仏像は無く、釈迦を崇拝する色んな象牙や金・銀を使用した聖なる物が作られていたそうです。

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 スリランカの建物の特徴は3メータ程度の四角い石柱を地中に掘立柱の工法で立て、その上に建物を建築するように思えます。その後、スリランカの色んな遺跡を巡りましたがそんな気がします。

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 今回の旅で感じる事は、仏教を学びたければ中国に行くのではなく、何故、発祥の地であるスリランカに留学しなかったのだろうかと思います。もし、飛鳥時代から日本の古代人がスリランカに仏法を学びに出掛けていれば、今の日本の仏教事情も異なっていたと思います。

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 とにかく遺跡群はまだまだ未発掘な場所ばかりです、長い内戦が続いた訳でカンボジアと同じ状況ではないでしょうか。ユネスコが応援しているが、日本も世界で数少ない仏教国の一つとして、温かい遺跡に対する援助が出来ないものだろうか。

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スリランカ紀行(4) スリーマハー菩提樹 釈迦が悟りを開いた菩提樹の子孫

 承前 スリランカ紀行(3) イスルムニア寺院(精舎)続編 浅草寺に舎利を送る

 聖なる菩提樹が存在する場所を訪問します。紀元前249年にお釈迦さまが悟りを開いた場所、即ちブッダガヤの菩提樹の小枝をスリランカに持ち込み、植えた菩提樹が今も残っています。持ち込んだのはアショカ王の息子マヒンダの妹サンガミッタでした。

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20115surilanka_180  細い枝で横に伸びてる菩提樹の樹が聖なる菩提樹です。大事につっかえ棒で支えられています。本当に大事な菩提樹であり、厳重に軍が警備をしています。

この事実はスリランカの歴史書『マハーパンサ』に記述されているそうです。

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20115surilanka_184  樹齢2千年とは思えない細い幹ですが、大事に信仰で守られて来たのでしょう、小高い塚の上に生えており、お堂もあります。信者達が花を携えてお参りに来ています。

 まさに、仏教の聖地ではないでしょうか。お釈迦さんが生きていた頃から命を繋げた菩提樹がまさに、御神体のようです。釈迦の教えを生きて伝えている菩提樹なのだ。

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 大きな写真は聖なる菩提樹のお堂の窓でした、左の小さな写真はイスルムニア寺院(精舎)の窓です。

 この連子窓(格子窓)はまさに、アンコールワットでも観た窓と同じでしたね。

 参考 アンコールワット 連子窓(格子窓)

 アンコールワットやタイの仏教文化のルーツはスリランカにある事が判ります。

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スリランカ紀行(3) イスルムニア寺院(精舎)続編 浅草寺に舎利を送る

 承前 スリランカ紀行(2) 世界遺産 最古の都アヌラダプーラ イスルムニア寺院(精舎)

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20115surilanka_141  お寺の裏に回れば岩山に登れます、丁度工事中で私は登れませんでした。

ところで、この寺は浅草寺の五重塔に仏舎利を贈呈した事で日本では知られているそうです。

 参考 浅草寺公式ホームページ(五重塔の舎利)

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 宝物殿に飾られてる有名な『恋人の像』です、サーリア王子と恋人のアソカマーラの像です。4世紀~6世紀と書かれていますが、王族とカーストの下層階級の彼女とは通常結婚出来ない。サーリア王子は王位継承権を捨て、彼女と結婚する道を撰んだと言う。

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20115surilanka_148  幾つかのレリーフが遺物として保存されています。『馬と男』というレリーフに説明もありました。

肉感的な写実的作品で感動します。

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スりランカ紀行(2) 世界遺産 最古の都アヌラダプーラ イスルムニア寺院(精舎)

 承前 スリランカ紀行(1) 仏陀悟りを開いて2600年記念

 さて、スリランカの世界遺産を巡る旅に出ます。先ずはスリランカの京都と呼ばれる古都であり、最初の王朝が開かれたアヌラダプーラを訪問します。日本からスリランカ航空直行便で到着する空港はコロンボの少し北にあるネゴンボ(Neganbo)にあり、空港近くのホテルに宿泊しました。Taji Airport Gardenというインド系のホテルですが素晴らしいホテルでした。

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 翌朝にはスリランカの北の内陸部に位置する古都、アヌラダプーラまで210キロ、3時間30分程度かけてバスで向かいました。(スリランカには未だ高速道路無し、時間がかかる)

 グーグルアース アヌラダプーラ地域

「Jetavanaramaya.kmz」をダウンロード

 『イスルムニア寺院

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  イスルムニア寺院(精舎)はRock Templeと呼ばれるように岩山を削り建造された石窟寺院であります。

スリランカに王朝を初めて築いたのは北インドから侵攻してきた民族であり、紀元前5世紀の頃だという。その王の名前は『ビジャヤ王』というそうです。そして、紀元前3世紀に『デーバナンヒア・ティッサ王』がインドから招聘した高僧『マヒンダ長老』と僧侶たちの為にこの寺院を建造たという。

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 スリランカとかタイ、インド等々の寺院では帽子を脱ぎ、靴は脱がないと入れません。靴下ははいたままで大丈夫です。裸足では、石が焼けたように熱いので、靴下ははいていた方が安全です。本堂の入口には釈迦を守るガードストーンが左右に構えています。階段の所には半月の形をしたムーンストーンが置かれています。見事な彫刻が施されています。

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20115surilanka_113  寺院の古い形式とは岩山を削り作るのが本来のかたちだったのかも知れない。

 僧たちは岩穴で暮らしており、昼間は巨木の菩提樹の木の下で瞑想していた可能性が高いと思います。

後に、世界第2位の巨大な石窟寺院であるダンブッラの石窟寺院も御紹介します。

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20115surilanka_122  アンコールワットでもそうですが、沐浴場が必ずありますね。身体を清めたと思います。

岩には彫刻がされていました。

 本当に灼熱の32度を超える暑さには倒れる程です、此処は北海道より少し狭く、九州よりでかいスリランカの島の真中の北部という内陸部ですから、乾燥してやたら熱い。

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セト、ナルト、ヤマトあれこれ

 今回のスリランカ紀行中に読んだ本は、網野善彦さんの『中世の○○と遊女』、工藤隆さんの『古事記の起源 新しい古代像を求めて』の二冊でした。海外旅行をしながら、日本の古代や中世の本を読むアンバランスが面白い。

 旅行中に気になりメモをしたのが、セト(瀬戸)・ナルト(鳴戸)・ヤマト(倭・大和)というヤマト言葉でした。いやいや、もっと『ト』について気になり始めました。

 自宅に帰り、一応、広辞苑を調べて見る。

 瀬戸(セト)= 幅の狭い海峡 せとぎわの略

 鳴門・戸(ナルト)=干満の潮流がゆきあって鳴り響く瀬戸

 水戸・門(ミト)=トは入口の意味、海水の出入り口、大河の海に入る所

 港(ミナト)=上と同じで大河が海に入る所(古代の木造船はフナ虫が強敵真水で停泊)

 江戸(エド)=江に臨むところ、

 能登(ノト)=日本海に突出する半島

 喉(ノド)=口腔の奥で食堂と気道に通じる部分を指す

 井戸(イド)=用水を得る為に地を掘って地下水を吸い上げる所

 鵜戸・殿(ウド)=日南市宮浦の大社

 淀(ヨド)=流水のよどむこと 木津川・桂川・宇治川の合流場所

 音(オト)・琴(コト)・角(カド)・里(サト)・木戸(キド)・・・・・・・等々の日本語があります。

 『ト』を調べると

 上代特殊仮名遣では甲乙2種類存在したという。

 ①外と同源、さき、まえ、とき、あいだの意味。

 ②人の意味③十の意味、数④戸・門の意味⑤所・処の意味⑥利・鋭・疾の意味⑦音の意味でオが脱落したもの⑧砥石の意味⑨鳥の意味⑩跡の意味⑪土の意味⑫斗の意味⑬吐の意味⑭図の意味⑮度の意味⑯徒の意味⑰途みちの意味⑱都 入口の多いおおきな町 みやびやかなこと おさめる事 取り締まること⑲渡の意味 水を渡ること 渡し場 ・・・・・・・・多数あり

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スリランカ紀行(1) 仏陀悟りを開いて2600年記念

 承前 スリランカから無事帰国しました

 スリランカでは今年は仏陀が悟りを開いて2600年という事で国中が盛り上がっており、特に私が訪問した5月の満月の日は特別な、ウェサック・ポーヤ(Versak Full Moon Poya)というお祭でした。どうやら、小乗仏教の世界、即ちスリランカ、アンコールワットのある国、タイ、などの南まわりで仏教が伝わった国々では共通の仏教徒の祭りだそうです。

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20115surilanka_029  子供達も一緒にお寺に行進している風景です。村を挙げての行事のようですね。

大乗仏教と異なり、小乗仏教は戒律に厳しさがあると聞いています。人々の生活の中に根ずいた仏教だと感じています。カンボジアやアユタヤ、スコータイ、の仏教の聖地を歩いて来ましたが、仏教が人々の生活に強く入り込んでいる印象を受けています。

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 今年は仏歴2555年ですから、釈迦が悟りを開いて45年後に入滅された訳ですね。そういえば、戦争前の日本では紀元2600年記念とか言ってました、これは神武天皇が橿原の宮に即位された日本書紀の記録を根拠としています。キリスト教歴では2011年となります。

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20115surilanka_168  スリランカでは2600年記念で至る所でこの旗を見かけます。仏旗ですね。1885年にセイロンのコロンボ会議にて仏教徒の旗としてデザインされ、1950年にスリランカで開催された世界仏教徒会議で正式に『国際仏旗』として承認されたそうです。

 本来はこの写真のように幡ですが、子供達が掲げて行進してる旗のようなデザインもあります。色は五色ですね、青・黄・赤・白・橙で構成されています。日本では1954に永平寺で開催された日本仏教徒会議で承認されたそうです。

 

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スリランカ(昔のセイロン)から無事帰国しました

 承前 週末土曜日からスリランカです

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 シギリアロックの美女とも出会えました。どうです、えらい美人でした。

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 5世紀ですから百舌鳥や古市に巨大な前方後円墳が河内に建造された時代です。スリランカの王と南インドの王は互いに戦争をしていた歴史があるようです。こんな岩山の上に宮殿を作るとは、想像を絶した世界でした。

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 ミラーウオールから垂直に螺旋階段を登りシギリアレデイに会いに行きます、強風に階段は揺れるので恐怖感があります。

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 ライオンの足です、岩山にはライオンの像が岩山を掘り抜いて建造されていたが、今は足だけが残っている。

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 このライオンの足からも岸壁にへばりつく鉄の階段を強風に吹かれながら垂直に登ります。この岩の上に宮殿を建造し、父を殺した王は弟がインドから攻めてくる恐怖と戦ったそうです。

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お茶の話

 昨夜は十五夜+八十八夜とでも言うのでしょうか、満月でしたが、この時に新芽を摘み新茶を作ると極上の煎茶が出来るそうです。テレビでも報道されていましたが、体験者は気持ちの問題という按配でしたね。

 お茶については、ブログで今迄何回も記事を書きましたが、子供の頃に経験した、新茶の製造風景と香りが強烈に残っています。自宅がお茶の製造工場でしたので、お茶の季節になると沢山の茶葉が集まり、巨大なLPガスタンクのような球形の中で蒸されるのです。蒸された新茶の茶葉は取りだされ、構内の広い場所で干されます。この時の香りが強烈だった記憶があります。

 勿論、その後の行程で乾燥させられますが、その時は皆さん御存知のほうじ茶の香りのような空気が漂っていたと思います。最初の行程の蒸された茶葉が多量に、取り出された時の匂いは又、格別な匂いでした。

 さて、たまたま静岡紅茶(株)さんの記事を眺めていましたが、お茶の原産地についての話ですが、参考に御紹介します。

 参考 茶樹の原産地

 どうやら、茶には二種類あるようですね、我々が日本で飲む茶の原産地は雲南省。これは緑茶として飲むのに良さそうで、カテキンが少ないそうです。もう一つの種類はアッサム地方原産の茶だそうで、これはカテキンが多く含まれ且つ、発酵し易い(酵素の活性が強い)茶葉だそうですね、だから紅茶に適しているそうです。

 アッサム種は熱帯地方の霜が降りない低地での栽培が適しているそうで、アッサム地方、スリランカ低地、インドネシア、ケニアなどの英国連邦の地域に英国人が持ち込みプランテーションを行った歴史があるようです。英国人は七つの海を支配した帝国です、世界史を振り返ると意外と彼らは、植民地が自立出来る産業を殖産育成した歴史が認められます。

 しかし、ドイツやスペイン、フランスという国々の植民地だった国々を訪問すると、あまり産業が殖産されていなかったように思います。農業国家は植民地政策を採用して海外にでても、自分の成功体験しか教えない、英国は世界の市場を眺めその個々の植民地にとり最適の産業を見つけ殖産育成する政策を彼らは取ったのではないだろうか。まさに、グローバルな視点で植民地を眺めていた。

 参考 中国雲南紀行 目次編

 参考 雲南の千里香

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週末土曜日からスリランカ(昔のセイロン)

 承前 スリランカへの旅

 今週土曜日からスリランカ紀行が始まります。スリランカの気候はどんな按配でしょうか。

 首都コロンボの天気予報

 33度~26度ですから、暑そうですね、しかも毎日雨みたいです。熱帯ですから、しょうがないですね。

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 写真はスリランカの世界遺産地図です。赤い矢印は今回の旅行で訪問する場所と順番です。成田からスリランカ航空でダイレクトに首都コロンボに行きます。直行便は週に一度の土曜日しか運行されていません、あとの二便はマーレ経由となるようですね。直行便は9時間で到着出来るようです。

 マチュピチュは本当に長い飛行機の旅でした、それに比較すれば9時間なんて、天国みたいなもんですね。

 主な紀行先は以下の世界遺産です。

 1.アヌラダプーラ(Anuradhapura)

   スリーマハー菩提樹、ルワンウェリセーヤ仏塔、イスルムニア寺院、トゥーパーラーマ・ダーガパ、クッタムポクナ 等々の仏教遺跡の世界遺産を巡ります。

 2.ポロンナルワ(Polonnaruwa)

   宮殿跡、ガル・ヴィハーラの涅槃仏、クアドラングル 等々の仏教遺跡の世界遺産を巡ります。

 3.シギリヤロック(Sigiriya)

   シギリアレデイ壁画、ライオンロック、王宮跡、水の広場、蓮の水路、鏡の回廊 等々、今回のメインイベントの世界遺産です。

 4.ダンブッラの黄金寺院(Dambulla)

   世界遺産ダンブッラ石窟寺院観光

 5.キャンディー(Kandy)

   仏教の聖地です、仏陀の犬歯がある仏歯寺や風光明媚なキャンディー湖、等々の世界遺産の遺跡を巡ります。

 6.首都コロンボ

   概略、上記のような予定でスリランカの紀行を行う予定です。私が子供の頃はセイロンと呼んでおり、英国の植民地として紅茶の栽培で有名でした。又、日本語のルーツであるとされるタミール語を喋る人々が現在でも多く暮らす場所でもあり、楽しみであります。

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生茶葉放射能汚染

 承前 福島原発1号機メルトダウン(生茶葉汚染)

 読売新聞5月17日朝刊によれば、生茶葉から規制値を超えるセシウムが検出された神奈川県の市町村の値が報告されていた。小田原市780、清川村740、湯河原町680、愛川町670、南足柄市570(荒茶は3000)、真鶴町530、単位はベクレル、規制値は1キロあたり、500ベクレルだそうです。

 乾燥させた荒茶では濃度が5倍となり、南足柄市産の荒茶は3000ベクレルだったそうだ。現在すべて出荷が自粛されており、流通していない。法的に出荷を制限するかどうかは政府の原子力災害対策本部の判断次第だそうだ。

 厚労省では、東北南部、関東甲信越、静岡の14都道府県に対して検査体制の強化を要請したそうだ。更に、16日には乾燥させた荒茶の検査実施も追加で決めた。しかし、農水省の考えは『茶葉はあくまで原料で、茶葉の段階で規制する事に合理性が無い』と反論してるそうだ。その論理は、放射性物質は荒茶から飲料にすると1/45から1/30に薄まり、生茶葉からは1/9から1/6になるという。

 従い、1000ベクレルの生茶葉でも、茶飲料では百数十ベクレルまで下がり、規制値を下回るという論理だ。農水省の考えは『生で食べない茶葉の規制値が野菜と同じ500ベクレルでは厳しすぎる。どの段階で規制すべきか定まっていなのに制限すれば混乱を招く』だそうだ。

 食品からとる放射性セシウムは年間5ミリシーベルトまでが国際的な基準だそうです。従い、200ベクレルが検出された茶飲料1リットルを1年間毎日飲み続けても、人体への影響は約1ミリシーベルトに止まる。

 しかし、人間として茶だけ飲んで暮らしているわけではないので、他の食糧を摂取する訳ですから、総合して年間1ミリシーベルトでなければならない。セシウムは確か半減期が30年という長い年月の筈でしたね、面倒な放射能な筈です。

 300キロ以上離れた場所なのに、こんな数値を植物が示す事が心配です。昨日、1号機だけでなく、2号機も3号機もメルトダウンしている可能性が高いという話が公開された。災害から1カ月も経過して判る話なのか、疑念が生まれる。1号機は津波の4時間後にはメルトダウンしていたすれば、水素爆発時にどれだけの放射能が飛び散ったか、そして、その後も1号機から3号機まで放射能を散逸させているのか、心配になる。

 先日、NHKの教育テレビで特番が組まれ、確か長崎大学、広島大学だと思いますが、放射能汚染の専門家の先生が必死に20キロ圏内を含めて独自に土のサンプルを採取し、放射能汚染の状態を調査されている姿がありました。頭が下がる思いです、彼らは原発の敷地内には入れて貰えませんでした。これも、印象的な光景でした。

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美しい安曇野の風景 白馬村

 承前 美しい安曇野の風景

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 2009年11月の白馬村の風景です。五竜岳、唐松岳、不帰のアルプスの峰々が続きます。

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 鑓ガ岳、杓子岳の峰々です。

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 唐松岳、不帰の峰です。白馬村からの美しい眺めです。

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福島原発1号機メルトダウン

 福島原発1号機がメルトダウンしているという事が発表された。最悪の状態という事ですね。圧力容器内の燃料棒が融け、底に溜まり、複数の穴を開けてしまっていたという。1万トン注入した水の3千トンの行方が判らないという。最悪の事態です。今まで、高濃度放射能が海に放出されていた可能性が高い。

 水棺計画もこれでは、駄目、途方に暮れているのが現状ではないだろうか。もう、全体をコンクリートの水槽にするしかない。底はどのような工法でコンクリートでシールドするのか。海底トンネルを掘る掘削機を持ち込み、原発の地下にトンネルを掘りコンクリートを流し込むか水冷の循環パイプを張り巡らすか、とにかく、原子炉を冷やす事と汚染水を拡散させない処置をとらないといけない。

 『お茶の被害』

 南足柄市に続き、小田原市と愛川、真鶴、湯河原町、清川村で採取された生茶葉からも、国の暫定規制値(1キログラムあたり500ベクレル)を超える放射性セシウムが検出された。新茶の季節が直撃されている。新たに判明した5市町村にも茶葉の出荷自粛が要請された。

 この問題は重大だと思います、300キロ以上離れた小田原市でお茶の葉が被爆しているのだ。新芽に何故セシウムが蓄積されたのか、土壌が既に汚染されてしまったのか、調査は慎重に早急にしないと、来年も再来年も大丈夫かどうか、不安です。

 今回の、メルトダウンの状況や300キロ離れた場所での新茶の生葉の放射性セシウム含有の問題で本当に、福島原発を日本の総力を挙げて封じ込める事を最優先でやらねばこの国の先はないような気がする。世界中から、相手にされない国になるのではないだろうか。

 日本の技術力と人々の知恵を集め、ともかく福島原発を封じ込める事をやりましょう。

 20キロ圏内の土壌汚染の除去について、『ひまわり』の作戦が検討されているようですが、何か、宮崎駿さんの『風の谷のナウシカ』の風景を観るような気分ですね。核戦争の後始末を植物にやって貰うというシナリオでした。

 中部電力浜岡原発も稼働停止が決まり、運転を停止したようだ。急な総理の決断のようですが、多分、東海地震と被災時の影響の大きさを考えての事でしょうね。(米軍横須賀基地 第7艦隊からの厳しい要請があったという噂がありますね)

 とにかく、福島原発を一刻も早く封じ込める作戦を考え、実行し、そして将来の日本のエネルギー戦略をどうするか、仕切り直しである。

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美しい安曇野の風景

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 承前 『おひさま』優しい二男坊

 朝の連ドラの『おひさま』の舞台である安曇野の美しい景色に全国の皆さんは感動を覚えておられると思います。

 参考 安曇野観光ホームページ

 安曇野と呼ばれる地域は松本盆地、即ち上高地(昔は神河内と呼んでいた)から流れる梓川と犀川の西岸から高瀬川流域の最南部にかけての流域を指しているようです。安曇野の名前の由来は阿曇族です、日本列島では最古の歴史を誇る海人(アマ)であり、紀元前から北九州では漢王朝から金印を貰い活躍していた、志賀島を拠点とする奴国の末裔であります。

 筑前国糟屋郡阿曇郷が本拠地でありました。継体天皇の時代に磐井の乱があり築紫の君である磐井はヤマト王権に敗戦しました。磐井の息子の築紫の君葛子が糟屋の屯倉をヤマト王権に献上し命を免れた歴史があります。この事実は、朝鮮半島・大陸との交易権を築紫の君はヤマト王権に譲渡した事と解釈される。従い、この時に阿曇族は列島各地に分派していった可能性があります。528年ですから、6世紀初頭の出来事ですね。

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 しかし、紀元前の頃から阿曇族は列島各地に渡航し交易拠点を作っていました。日本海沿岸から琵琶湖沿岸、そして越から東北へと交易を拡げ、糸魚川から内陸部に遡上し松本盆地に拠点を築いたのが安曇野のルーツとなります。祭神は穂高神社であり、奥穂高岳頂上に祠があり、上高地(神河内)の明神池に奥宮の穂高神社そして、安曇野市穂高に穂高神社が存在します。

 参考 神河内(上高地)逍遥記(9) 明神池穂高神社奥宮

 以前、三内丸山遺跡を訪問した時に縄文時代には広範な交易が行われていた事実があり感動しました、即ち糸魚川の姫川の翡翠の交易品です。三内丸山遺跡まで交易されていました。その時に、ひょっとすると阿曇族が糸魚川から松本盆地に侵入し拠点を築いた理由はこの翡翠の交易品の確保ではなかったかと思いました。

 

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神奈川県南足柄の新茶の生葉から放射性セシウム

 承前 東京新聞報道 南足柄の新茶の生葉から放射性セシウム検出

 承前 FNNニュース動画報道

 承前 毎日新聞報道 足柄茶から放射性物質

 福島第一原発から300キロも離れた、しかも偏西風や風向きからは影響が少ないと考えられる南足柄で、新茶の生葉から基準値を上回る放射性セシウムが検出されたという。驚愕の事実である、一体どうしたんだろうかという疑念が起こる。狭山茶は勿論、風評被害に遭遇する可能性があり、何故、こんな事態が発生しているのか、誰か説明してくれないのだろうか。

 福島第一原発20キロ圏内の放射能除去作戦として『ひまわり』を植えようという作戦が始まるそうだ。『ひまわり』はチェルノブイリで実績があるそうだが、セシウムをカリウムと勘違いして吸収する能力が高いという。だから、『ひまわり』に放射性セシウムを吸収して貰い、それを刈り取り、何らかの方法で圧縮し、地下奥深くに埋納しようという作戦らしい。

 今日、テレビで高校生が考えた妙案は『ひまわり』の種を女性が化粧で使うラメで包み飛行機から撒く作戦を紹介していました。鳥に種が食われない為の作戦だそうだ。種がキラキラと輝き、鳥が食べないそうだ。

 しかし、お茶の木と『ひまわり』が同族とは聞いていないし、何かお茶には放射性セシウムを極端に吸収する能力が存在するのだろうか。しかし、放射能が300キロも離れた西側の地域に及んでいる事自体が重大な事件ではないだろうか。

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ヤマトの東西の境

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 第10代天皇、崇神天皇の時代に疫病が蔓延した。その時にヤマトを疫病から守る為に東西の境(坂)で祭祀を行った。当時は疫病がヤマトに侵入する経路はこの東西の坂を通過して侵入すると考えられていた。ヤマトの西は二上山の北麓である香芝市の穴虫と逢坂である。現在そこの二カ所に山口神社が存在する。

 穴虫と逢坂はともに二上山の北麓にあたり、ヤマトと河内を繋ぐ交通路(穴虫峠越え)の要衡である。

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 崇神さんの時代は三輪王朝とも呼ばれ、三輪山から太陽が昇り、多神社の真上を通過し、二上山に太陽は沈む。二上山はあの世と考えられていました。

 河内へのルートとしては、二上山の北麓の穴虫・逢坂のルートと南の竹の内街道(司馬遼太郎の御母堂の実家がある場所)がありました。航空写真で判ると思います。

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 東の坂は宇陀の榛原町萩原にある墨坂である。現在、墨坂神社が鎮座しています。宇陀は神武天皇がヤマトに侵攻した時の経路でもあり、且つ、東海・関東を始め東国に通じる要衡である。

 崇神9年3月条に『赤盾8枚、赤矛8竿を以て、墨坂神を祠れ、又、黒盾8枚、黒矛8竿を以て、大坂神を祠れ』(日本書紀)とありました。疫病の侵入からヤマトを守る為です。

 盾と矛は当時の大王の宮殿や御坐船には必ず祠れていたものです。盾は特に大王のシンボルであり、宮殿や御坐船には掲げられていました。石見形立て物と呼ばれる盾は埴輪で多く出土しています。船の埴輪にもこの盾が飾られています。埴輪だけでなく、木製の石見形立て物が出土しています。

 参考 石見形立て物埴輪

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 この独特のY字形の盾と考えられる石見形立て物には何か特別の意味があるのではないか、ヤマト王権の大王のルーツに関わる謎がかくされているような疑いを持っています。先日、ペルーのナスカを訪問した時に見かけた、木製のY字形立て物はナスカの土器群と一緒に展示されていましたが、倭族の海人とナスカの先住民との間に何か関係があるのではないかと、推測しています。

 勿論、1万2千年前にベーリング海を渡ったモンゴロイドと私が考えている倭人・オホーツク海族がアリューシャン列島の海岸を経由しアメリカ大陸に渡った人々も存在したという仮説です。

 参考 宝塚古墳出土埴輪船(松阪市) 威杖と書かれているのは石見形立て物と思います。

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スリランカへの旅

 承前 近況について(スリランカに行くぞ)

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 今日の朝刊によれば、ウイリアム皇子とキャサリン妃は新婚旅行でセーシェルに向かい、セーシェルの空港から何処かの島にヘリで向かったという。インド洋に浮かぶ美しい島々であり英国連邦の島々でもある。来週末からスリランカに旅をする予定ですが、グーグルアースを観るとスリランカの西南にモルディブがあり、更に西南にセーシェルが存在するようだ。

 グーグルアース シーギリアロック

「Sigiriya.kmz」をダウンロード

 グーグルアースを眺めているとインド洋の南北に巨大な海嶺が存在する、此処でプレートが創生されている事が判る、インド島は此処で生まれプレートに乗り東北に移動しユーラシア大陸に衝突しヒマラヤ山脈が出来たのだ。今でも押し続けている筈で、東の断層がこの前大地震を起こした四川省の断層だと思う。

 モルデイブはサンゴ礁の島々であり、地球温暖化で海没の危機に直面している。海面上昇と言えば、日本の海岸地帯に建設された原子力発電所が問題になっている。地球温暖化により気温が上昇すると海水が膨張し海面が上昇するそうだ。縄文海進時代の海岸線が一番参考になると思います。縄文時代の貝塚の位置を調べれば、当時の海岸線が判明します。

 東京都の殆どは海面下であり、大阪も、名古屋も私の住んでいる新横浜も古鶴見湾の海底である。今回の東日本大震災で液状化の影響を受け、自宅や畑や田圃が被害に会った人々が多い。明治時代や昭和初期の地図を調べ、自宅の土地が昔はどんな地形の場所であったか調べる人が増えているそうだ。昔の川跡や沼跡や海岸砂浜地帯は液状化が起こる可能性があるらしい。

 しかし、マクロ的に関東平野を観れば、扇状地であり何処でも似たようなもんではないだろうか。それより、平成海進、地球温暖化が最大の問題であり、縄文海進の規模が起これば、日本の主要都市が殆ど海面下になるという危惧にどう対処するかだ。やはり、古代に栄えた都は地震や津波や台風の被害が一番少ない自然災害から免れる場所を撰んでいたのではないだろうか。

 大阪の難波の宮は上町台地の上に有り、大阪城の傍ですが、縄文海進が起こっても大丈夫な高台に存在する。古代は上町台地が南北に延び、東は海でしたね。自然災害に備えハードウエアで対抗する国作りが近代の国の統治方法でしたが、それも、考え直す時代が来たのかも知れない。

話が脱線していました、スリランカの世界遺産です。7っの世界遺産が存在するようです。

 1.聖地アヌラーダプラ 2.古代都市ポロンナルワ

 3.古代都市シギリヤ  4.シンハラジャ森林保護区

 5.聖地キャンディ    6.ゴール旧市街とその要塞群

 7.ダンブッラの黄金寺院  以上の7カ所が世界遺産だとユネスコのホームページで記載されています。

 私が一番興味があるのは、スリランカの島のど真中に存在するシーギリア・ロックです。

 

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参考 シーギリア・ロック(動画)

 参考 シーギリア・レデイ(動画)

 参考 シーギリア・ロック観光(動画)

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東方海上に浮かぶ神仙界(蓬莱山)

 古来、中国では東方海上には不老長寿の仙人達が住む神仙の世界、所謂、蓬莱山が海に浮かんでいると考え、信仰していました。その証拠に、中国を初めて統一した秦始皇帝は徐福に船や数千人の子供達を与え、東方海上に浮かぶ蓬莱山に不老不死の薬を求めさせた、これが徐福の大航海であります。日本では伝説だが、中国では史実として捉えられている。

 何故、このような思想・信仰が発生したのか判らないが、山東半島あたりが道教のルーツであることから、東シナ海を眺め、太陽が昇る方角に憧れの世界を創り出したのかも知れない。ひょっとすると稲作を日本列島に伝えた人々の動機そのものが、積極的な神仙世界への移住計画だった可能性もあり得る訳です。

 従来、私が考えていた水田稲作の日本列島への伝播は大陸や朝鮮半島の政治的動乱の結果、避難した人々が水田稲作を伝播した人々ではないかと推測していた。動機そのものが政治的動乱であったとの考えです。しかし、憧れの、夢の島、蓬莱山を目指したGO EASTの聖なる移住であった可能性があります。まるで、清教徒達がニーナ・ピンタなどの船に乗り欧州からアメリカ東海岸を目指したと同じ歴史だとすれば、面白いし、ロマンがあります。

 実はこの神仙思想と密接な関係が存在するのが、巨大な前方後円墳です。江戸時代から議論されてきた、日本独自の墳墓形式である前方後円墳は何故そんな、鍵穴のような格好であり周濠に囲まれ、全長400メータを超える巨大古墳を建造したのかという謎です。

 最近の主流の意見は、中国人が当時神仙世界では宇宙というものが壺の形をしているという、壺宇宙を古墳で実現した世界であるという考えです。周濠は海を表現し、海に浮かぶ神仙世界、蓬莱山を表現したと言います。その最初が箸墓古墳であり、卑弥呼の鬼道との関係を推論する人々も多く存在します。

 朝鮮半島では公孫氏が魏により滅ぼされ、楽浪郡も劇的な混沌とした政治情勢が起こっていました。魏は江南の呉と朝鮮半島を巡り確執があり、東アジアそのものが政治的に動乱期にありました。そんな時局に、突然に近畿地方に巨大な前方後円墳が出現するのです。瀬戸内海航路を東に移動する中国の使者や商人、武人達は明石海峡で巨大な五色塚古墳を左手に、茅渟の海(ちぬのうみ)大阪湾に入ると度肝を抜く大仙古墳(仁徳天皇陵)を筆頭に百舌鳥古墳群、古市古墳群を目の当たりにする。

 大和川を遡上すると奈良盆地に入り、東の山の裾にはオオヤマト古墳群や三輪山の箸墓古墳が迫るのである。これは、まさに宗教的な威圧であり、此処は壺形世界の宇宙の中心、神仙世界である事を強く訴えており、オオキミは神仙世界の神である事を無言のうちに訴えている。神々の世界であることで大陸の人々と対峙しようとしたのではないだろうか。

 何故、弥生時代末期までは九州地方が先進諸国であり、日本の中心的な場所であり、先進地域であったのが、3世紀に突如、近畿地方に巨大な前方後円墳が出現し政治的な中心が近畿に発生したのか謎である。

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浦島太郎伝説の謎

 今回の東日本大震災は千年に一度と言う大災害と言われている。数日後に、海を漂う被災民が救出され日本全土で拍手が湧きおこった。

 この光景を観ていて、私は浦島太郎伝説を思い起こした。日本書紀の浦島子や丹後の国風土記の筒川嶼子(水江浦嶼子)の伝説を思い出します。

 昔、丹後地方の海岸に住む漁師の優しい男がいました。かれは動物にも優しくて人から好かれる若者でした。ある日、津波が押し寄せ彼の漁村は全滅した、彼も津波に流されたが幸いに家の破片や漂流物につかまり海に漂流する事になりました。

 偶然に、耽羅国か朝鮮半島の南部の倭族の海人(アマ)族に救われ耽羅国か朝鮮半島南部の国に連れて行かれ、歓待されていた。彼が、彼ら海人族の船で自国に戻る日が来たが既に故郷は津波で押し流され、跡かたも無くなっていた。

 私は古代にも津波は起こっていたと思います、民族の記憶として津波の事件が浦島太郎伝説として残った可能性があるのではないだろうか。多分、原型はルソン島とかインドネシアの伝承が黒潮に乗り日本列島に到着し、浦島太郎伝説に変貌した可能性ももあります。

 この前のスマトラ沖地震の光景を眺めていて、今回と同じく浦島太郎伝説を思い起こしていました。これは、私のDNAが記憶している伝承ではないだろうかと思った。竜宮城というのは異国で観たことも無い風景で歓待された景色を描写しているのではないでしょうか。

 外人を歓待したり、強運の人を神と考え女性陣を侍らせ酒と肴で大歓待をして貰った記憶ではないだろうか。

 昔、東アジアの昔物語のアニメ番組を作りたいと思い、真面目に、竹取物語のルーツを探して台湾やフィリピンを訪れた事が有りました。実は、この物語は私の故郷の近くの南山城の隼人庄に残る実在したカグヤ姫と隼人の伝承が根幹にあると思う。隼人が伝えた伝承のルーツは南の島々にあります。現在は、四川省のアバ・チベット族に残る『斑竹姑娘』が原型ではないか推測されている。

 古来、自然災害に関して形を変えた伝承や物語が語られ伝えられたのだと思います。ノアの箱舟の物語は明らかに、縄文海進時代の気候変動の世界的な記憶でであり、チグリス・ユーフラテス地域の大雨と洪水の記憶である。

 

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小笠原と平泉 世界遺産登録か

 承前 世界遺産について(2009年5月記事)

 日本は最近、世界遺産に登録されるものが少ない。観光立国を考えるならこの10年程度の世界遺産登録へに日本の取り組み方を総括すべきではないだろうか。今まで暫定リストに登録をしているものは悉く失敗してる。文化庁などがやってるから観光立国や国益を考えた中国の世界遺産戦略に全く敗北していると私は思います。

 世界遺産リスト(アジア)

 中国は38個も登録されている。インドは27、2週間後に訪問予定のスリランカはあんな島で7個も登録されている。世界遺産そのものが欧州中心主義であり、文化遺産の半分以上は欧州ではないでしょうか。

 世界遺産(欧州)

 フランス31個、スペイン40個、ドイツ31個、イタリア42個、英国27個、等々と欧州諸国の世界遺産は群を抜いている。何処か変だと思いませんか。欧州の文化が世界の文化の中心でもないし、世界中の文化を認め大事に守ろうとするのが世界遺産ではないのか。

 それにしても、日本の暫定リストを観ると、これも何処かおかしいと思いませんか。当たり前の日本が誇る、世界の人々に来てほしい文化遺産や自然遺産とは程遠いような、地方自治体のおらが村に世界遺産をというような運動に任せているだけと違いますか。

 世界遺産を獲得するのは国益であり観光立国の基本戦略である。文化庁や学者や地方自治体に任せっきりと違うか。ちゃんと、観光立国として戦略をたてて、短期的には何処を狙い長期的には何処を狙うか考え、世界遺産登録のシナリオを国益を産む道具として考えるべきである。

 私は、経済産業省が指揮をとるのがベストであると思います。

 極端な意見を述べましたが、文化遺産・自然遺産に対する心構えは私は勉強もしたし、普通の人と同じレベルだと思います。しかし、日本への観光客は激減し、こんな素晴らしい美しい自然と優しい人々が住む国に世界中から来て欲しいと思うからです。

 私は世界中をウロウロしていますが、日本という国が世界で一番だと今でもそう信じています。清潔だし、自然は素晴らしいし、人々は優しい。だから、世界遺産の数は世界一でなければならないと思うのですね。世界遺産は所詮は欧州人が決めた遺産であり、我々は関係なく日本のスタンダードで臨めばいいだけではないかと言う人がいるかもしれない。

 しかし、それでは世界中の人を日本には呼べないと思います。

 先ず、是非、世界遺産にかんしては宮内庁と先ずは話を行い、天皇家の協力が必須であると思います。巨大な古墳群は世界の人を驚かせます、具体的に見えるものでなければ、外人は判らない。関西の経済の復興にはオオヤマト古墳群や古市。百舌鳥古墳群、明石の五色塚古墳、関東にも九州にも、巨大な前方後円墳が存在します。

 出雲大社も32丈か16丈の高層の世界の人が驚く古代の出雲大社を復元すれば、世界中の人を出雲に呼べるのではないだろうか。

 

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マチュピチュ・ナスカ紀行(33) ペルー紀行を終え

 承前 マチュピチュ・ナスカ紀行(32) ペルーの首都リマ

 今回の旅はトルコ大紀行以来のシンドイ旅で、60歳代で済ませる旅である。70歳代になれば、かなり厳しい旅になると思います。日本の地球の裏側に旅をする訳ですから、飛行機に20時間~30時間程度乗らねば辿り着かない。しかし、苦労する価値のある旅でした。

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 ナスカ地上絵観光記念で貰ったカードです。私は地上絵も面白かったが、操縦席のモニター画面が二個あり、興味深くパイロットの操作を観察していた。一応、ラジコン飛行機の操縦とどう違うか観察でした。勿論、ラジコン飛行機だと宙返りやロールや背面飛行とか行うが、セスナでそれをやると機体が壊れるか墜落するんでしょうね。戦闘機なら別ですが。

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 久しぶりのロスの空港です。此処で行きも帰りも乗り換えでしたから、長時間滞在した。空港の外ではタバコを吸う人々がいます、私もつい数カ月前まではヘビースモーカーだったのだ。今はタバコを断った、京都のMuBlogの旦那もタバコをやめて1年以上になる。米国駐在中もその後も何回、このロスの空の汚れた空港とサンフランシスコを往復した事か。懐かしく、思いだされます。

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 リマからナスカに向かうペルーの海岸地帯です。殆どが鳥取砂丘のような砂漠地帯ですが、時折、リゾート地として開発されているようです。

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 実はカリフォルニアもメキシコから奪った時はペルーの海岸のような砂漠地帯でした。それを、アメリカ人はシェラネバダ山脈からの地下水を利用しスプリンクラーを廻し、水を撒き緑の大地に人工的に人が住める場所にした州なのだ。サンフランシスコだって、サンノゼだって人の手が加わらないと1年~2年で砂漠地帯に戻る筈です。

 ペルーの海岸地帯を片道8時間半もバスでリマ・ナスカ間を往復した時に、窓の外の砂漠の風景を眺めながらカリフォルニアと比較しながら、如何にアメリカ人は頑張って建国したか、尊敬に値する事をしたのだと思う。しかし、あくまで人間がメンテナンスしなければ、直ぐに元に戻る危うさも裏腹である。

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久しぶりの新橋・赤坂界隈

 昨夕は久しぶりに、爺さん4人組の温泉&山歩き会、所謂、『G4の会』(爺さん4人の会)が夕方6時から新橋で開催された。場所は『美々卯(みみう)』という、うどんすきの専門店である。私が到着すると既に古河さんが個室でビールを飲んでいた。次いで、岩ちゃんが到着し最後に小島さんが到着した。

 この店でこの会が宴会をするのは二回目ですが、研究所にいた森田さんが大好きなお店の一つでした。(関西人だからでしょうか)この店のおもろいところは、洗面器みたいな鍋に生きた大きなエビをおおきなピンセットみたいな器具で掴み、沸騰する所に押し込み急死させる行為である。残酷であるが、気を緩めるとエビは跳ね上がり鍋のそばの人々が火傷をするのだ。飯も命がけだという大阪の食文化伝統を関東に伝えている。

 小島さんに二人目の孫が出来たというめでたい席になりました。急に早く生まれ、2週間ばかりスイスアルプスとロンドンとミュンヘン旅行を御夫婦でなされ、帰国したところで生まれたそうだ。現在は小島さんの自宅が赤ん坊と孫に占拠されて賑やかだそうだ。我が家も夏には、北海道の娘に3番目の孫が生まれる予定である。

 今回の集まりは6月の温泉&山歩きを何処にするかという評定であった。しかし、殆どの議論は今回の震災、特に原発の問題に終始した。今日の朝刊では政府は浜岡原発を停止させる報道がありましたが、昨夜その話がテーマにあがっていました。

 7月の『G4』では古河さんの蓼科の別荘を基地に中央アルプスの木曽駒ケ岳に登山を行う予定ですが、6月は赤坂の某酒場の山歩きのグループとの合同ハイキング(合ハイ)が予定されている。今回は二回目で一回目は、昨年暮れに金時山に行きました。『G4』グループは宿泊で行くが赤坂グループは日帰りである。

 新橋の『美々卯』での宴会を終え、2本目に購入した芋焼酎のボトルが70%程度残っていたので、幹事の私は背中のリュックに入れ、タクシーを拾い小島さんが指示する赤坂の酒場に爺さん4人で向かった。

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世の中はゴールデンウイーク

 昨日は、5月5日の子供の日、端午の節句でした。北海道の娘からは孫を祝う手作りの『こいのぼりイナリ』の写真や、茹で卵を上手に剝く孫の写真が送られて来た。鯉のぼりを買ってあげると言うのに、娘はいらんというてました。

 連休だけど、息子はカレンダー通りに今日も会社に出勤している、久しぶりに息子も寝正月みたいでした。お陰で主夫は忙しく、食事の世話で仕入れにでかけたり、料理をしたり、ラジコン飛行機の制作をしたり、大変だった。スーパーは最近は概ね、3.11震災以前の状態に戻りつつあります。

 世間では、生肉の『ユッケ』を食べて既に4名が亡くなっている。未だ重症患者がいるという。世の中に韓国料理の『ユッケ』というものが存在する事を知ったのは10年前位の話だ、子供の頃、肉を生で食べるなどの習慣は存在しなかった。というか、牛肉なんぞは冠婚葬祭の時でないと食べれない貴重なものだった。

 しかし、私が大学受験の頃には父が土曜日は半ドンで帰宅途中の大阪の何処かで肉を買いタケノコの皮で包まれた牛肉を買って来てくれていた。息子に体力をつけさせる親心だったと感謝している。肉かカステラかどちらかが何時もの土曜日の土産でした。たまには、異なる珍しい物でも買えばいいのに、親爺はワンパターン人間だった。

 明治生まれの人にとり、牛肉とカステラはハイカラな食べ物、西洋の香りがするものだったと推察する。ところで、牛肉を生で食べる習俗は何処の国のものだろうか。私が知る限りイヌイットがアザラシの肉を生で食べる事を知っていました。理由は、野菜が無い世界なのでビタミンを生肉から摂取するしか方法が無いからだと理解していました。氷河時代、野菜畑は出来ないですよね。

 日本人は仏教が伝来して以来、多分、飛鳥時代頃から律令体制下の農民は肉を食べる習慣は無くなったのではないだろうか。江戸時代は勿論、一般庶民は肉を食べていない。しかし、時折、江戸暮らしの大名でも近江牛は食べていたという話が紹介されているようだ。勿論、山に住む狩人達はイノシシや兎(ウサギは庶民でも食べて良かったそうだ、何故なら1羽2羽と数えるでしょう、獣ではなく鳥なんです・・・庶民の知恵)を食べていた。

 漢民族は絶対に生モノは食べないのが特徴だ。広大な国土の国だから、流通の問題で新鮮なものは存在しない前提で世の中の仕組みができている。イスラムの人は豚を食べないし、ユダヤ人は左右対称でない生き物は食べない習慣がある。

 日本人は魚を生で食べるし、世界で一番珍しいのが卵を生で食べる珍しい民族である事だ。蛇と同じである。しかし、江戸時代には豚も存在していなかったし、牛は存在したが農耕の力仕事や、貴族の牛車を牽いていた。食料の対象では無い。邪馬台国の時代には豚はいたそうですが、何時の頃からは日本人は豚を食べなく、飼育しなくなったのが謎だそうだ。豚の飼育は人間の糞尿で飼育するのが漢民族の習慣だが、日本人は肥料として利用する文化が生まれ、豚が存在出来なくなったのでしょうか。

 

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マチュピチュ・ナスカ紀行(32) ペルーの首都リマ

 承前 マチュピチュ・ナスカ紀行(31) マチュピチュ遺跡編その10 お別れ

 ペルーの現代の首都はリマです、太平洋に面する海抜が殆ど無い低地でスペインのピサロが上陸し拠点を築いたという。

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 リマの中心広場、アルマス広場に建造されたカテドラルです。1532年にスペインの征服者ピサロが建造したという。現在はサン・マルコ広場とかサン・マルテイン広場と名前があるが、殆どの人は昔のピサロ時代の彼らが誇示した武器を展示した広場という意味の、アルマス広場と呼ぶ。

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 大統領官邸です。

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 カテドラルです。

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 これは市庁舎です。黄色が大地の色で市の色だそうです。

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市庁舎の隣にある有力者のクラブだそうです。国旗の中に紋章が無いので、民間の組織である事を示しているそうです。

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バルコニーの雀達と鳩の夫婦

 かれこれ、気になり出して1年になります。私の家の専用バルコニーから観えるバルコニーに雀達と鳩の夫婦が住んでいる。夕方4時頃には必ず、雀達20~30羽が帰宅して来ます。鳩の夫婦はとても仲が良く、何時も一緒です。子供が1羽いるようですが、時折居るようです。

 どうもこのバルコニーの持ち主は雀達と鳩に餌を与えているのではないだろうか。専用バルコニーには低木の植木を用意し、夜、雀達が眠れるようにしている。毎日、バルコニーの手すりを雑巾で拭いておられます。洗濯ものを干さないといけないからですね。

 多分、マンションの住人からはクレームがでている事でしょうね。近所の人のバルコニーや手すりに糞害がでているでしょうね。マンション住まいで野生の鳥に餌を与えるのはルール違反です。日本の野生動物に関する法律に詳しくは有りませんが、勝手に野生の動物に餌を与えたり、捕獲して飼育するのは法律違反であると思います。

 1年間、毎日、気になり早朝の雀達、彼ら彼女らが帰宅する夕方4時過ぎには気になり観察しています。そして、仲が良い鳩の夫婦が一日に何回も帰宅して来ます。こんなに仲が良い動物というか、鳥ですけど、あまり観た事が有りません。何時まで、この仲の良い夫婦の鳩を観る事できるんだろうか、そして、可愛いい雀達。

 ところで、気になるのは鳥は暗くなると飛べないので、寝るんでしょうが夜の6時頃から朝の5時頃まで11時間近くも寝るんでしょうか。寝過ぎのような気がするのですが、そうなんでしょうね。毎日、この雀達と鳩の夫婦を観察するのが日課となりました。

 さて、もう渡り鳥の燕達は来ているでしょうね。大倉山では何処に巣を作るか楽しみです。この前はコンビニの入口に巣を作り、時折、必要もない用を作りコンビニに観察に出駆けていました。

 子供の頃は沢山の燕が飛んでおり、家の軒下に巣を作っていました。古い日本家屋は鳥達が巣を作るには便利な構造だったのでしょうね。そして、人が近くにいると天敵から護ってくれると考えていたんではないでしょうか。特に蛇からの攻撃です。

 子供の頃、雀達は家のトユ(樋トイ)に巣を作っていました。北河内では雨を逃す樋(トイ)の事をトユと呼びます、理由は知りません。昔からトユと呼んでいます。そうそう、話は飛びますが、帰る事を『そろそろ、イヌは~』と地元の人は言うてました。去(イヌル)という古語が残っているんでしょうね。

 雀が巣を作ると、必ず蛇が近くにいるのが不思議でした。卵や、ヒナを狙うのでしょうね。鳥が恐竜の時代からハ虫類は恐竜の卵やヒナを狙っていたんでしょうか。

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マチュピチュ・ナスカ紀行(31) マチュピチュ遺跡編その10 お別れ

 承前 マチュピチュ・ナスカ紀行(30) マチュピチュ遺跡編その9

 いよいよマチュピチュともお別れです。

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 中央に太陽の神殿、奥の丘の上に天文台、右に技術者の館群、背後の山はワイナピチュです。楽しかったマチュピチュ遺跡巡りも終わりです。

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 まさに八雲立つマチュピチュ遺跡でした。全てが宗教と天文の施設でありインカ人にとり特別の場所であった事が少しは理解できました。聖地だったのですね、だから彼らはスペイン人に知られないように歴史から抹消したのだ。

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  この岩だらけの痩せ尾根は水が確保され、且つ、天体観測には最高の場所だったようです。

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マチュピチュ・ナスカ紀行(30) マチュピチュ遺跡編その9

 承前 マチュピチュ・ナスカ紀行(29) マチュピチュ遺跡編その8

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 聖なる三つの窓の神殿を見上げる。この場所は細長い谷のような場所で両側の丘の上に技術者の館群や片方には神聖な神殿群・王族・貴族の館群が並ぶ。

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 コンドルの神殿と呼ばれる場所です。狭い地上にコンドルの頭を形象した石が有ります。そして、その小さな空間を覆いかぶさるように両翼を大空に広げたような格好で神殿が出来ています。

石は、飛鳥の亀石みたいです。判りますかね。

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 コンドルの頭と片側の翼を大空に広げる。

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マチュピチュ・ナスカ紀行(29) マチュピチュ遺跡編その8

 承前 マチュピチュ・ナスカ紀行(28) マチュピチュ遺跡編その7

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 段々畑から濁流のウルバンバ川(アマゾン源流)を眺める。

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 細長い広場を挟んで両側の小高い丘に建て物を建てるのがインカ流でしょうか。眼下に生まれて2週間目のリャマが一頭います。広場の向こうの建物群は技術者達の館と呼ばれています。

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マチュピチュ・ナスカ紀行(28) マチュピチュ遺跡編その7

 承前 マチュピチュ・ナスカ紀行(27) マチュピチュ遺跡編その6

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 写真は後の高台が天文台で、手前の此処が神聖な神殿跡だそうです。しばらく、神殿を眺めます。

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 巨石を正確に加工し神殿の壁を構成しています。この石組から如何に此処が神聖な場所か判るそうです。インカの聖なる3っの窓も有りますね。

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 残念ながら崩落の危機にありますが、この神殿が一番重要ではなかったかと説明がありました。この崩落の危機の原因が貴重な物(空間)が地下に存在するからではないかと、意味深な説明が気になりました。うしろの高台は天文台です。

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 滅多にインカの石垣は崩れないのが特徴ですが、此処だけが崩れて始めている。

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