追悼・天才オンラインプログラマー 九川和久さんを偲ぶ
昨日夜、日本に帰国したが、実はその日は九川さんの告別式だった。
本当に別れの祭祀に立ち会え出来なくて申し訳が有りませんでした。九川さん、本当に今まで仕事やそれ以外でもお世話になりました。あなたの異変は正月に哲ちゃんから、メールがあり、内緒だけど『九川君が肺癌の宣告があり、手術も出来ない』という状況である連絡を受けた。
実は、正月に私は寝屋川高校時代からの親友である、あだ名が”馬くん”からも肺癌に罹病した旨の連絡を受けていた。同時に会社生活では40年前から一緒してる九川君の肺癌について哲ちゃんから内密に連絡を受けていた。私はこの日から、タバコを捨てました。彼らが生きてこの世を過ごせるなら、自分は大好きなタバコを捨てますと神に約束した。
昨夜帰宅すると、哲ちゃんのホームページで異変が起こっていた事が判明した。あの、素晴らしい優れたソフトエンジニアであり、男前のハンサムな、言葉が少ない、九川くんが死んだ事を知った。もう一日早く帰国していれば、彼の葬送の儀に参列する事が出来た、残念至極でありました。
名前は九川和久さんと言う人でした。出会いは私が入社した昭和44年頃でした。当時、全国の銀行のコンピュータを直接連結する『全銀協システム』のシステム構築の仕事を電電公社のデータ通信本部と一緒に仕事をする仕事で出会った。彼は、私より先に入社していたが、年齢的には後輩だが、高専卒業で既にKDDのデユアルシステムを辻先輩の指導の元に福永先輩達と開発していた。
この当時、KDDのデュアルシステムは世界最先端の安全システムでありました。指揮官は熊本出身の加藤栄護(山村)さん、パッケージの原型は赤とんんぼの三浦さんが開発、岩手出身の池田先輩の配下で私の師匠である宇治の寿司屋の息子で先輩の辻さんや1年先輩の福永さん達が、その後のNASAの安全システムの原型となるデユアルシステムの開発を成し遂げていた。
私の理解では、同時に二台のコンピュータが同じ仕事を行う、その同期はタスクの動作が終わる単位でお互いにコンピュータ同士が結果を照合し合い、同じ結果であれば、次に進む約束で二台のコンピュータが同じ処理を進める、タスク同期システムであったと聞いている。世界で初めて開発したコンピュータによるコンピュータを信用しない自立システムであると理解している。
その後、三台のコンピュータが同時に同じ仕事をこなし、多数決論理により結果を照合し、仕事を進めるコンピュータシステムに進化したのだ。システムは民主主義に移行したのだ。今でもNASAのシステムはこのシステムであると理解している。
九川さんとはその後、仕事は分かれた、彼はオホーツク出身の同期の哲ちゃんと川崎重工さんのリモートバッツチRJE(リモート・ジョブ・エントリーシステムの開発作業に従事した。当時は最先端のマルチ・リービング・システムの開発であり、私は同期の阪大出身の吉村さんと伴に、トヨタさんのファックスの蓄積交換システムの開発を行っていた。
吉村さんとはその後、別れ、彼はニューヨークに移り、国連に採用され、仕事をしたと聞いている。彼とは銀座の画廊を暇があれば一緒に巡回していた。私は絵が好きだったが、彼も絵が大好きな人間でした。
高専について一言述べます、私の年代では中学時代に最高のレベルの成績にある人だけが、高専に進学出来たのです。当時、大学に進学するにはお金がかかりました、優秀な人材で家庭が経済的に恵まれない秀才は高専に進んだのだ。
九川さんは、まさに、天才に近い秀才でした。私の先輩の宇治出身の先輩の辻先輩とシステムの開発の心配をしてると、九川君は簡単にこれでどうかと、仕様書を持って来た。世の中にはこんな秀才が存在するんだと、開いた口が塞がらない、多くの事を経験した。学歴ではない、本当に優秀な人材は学歴には関係が無い事を実感した。その後、私を支える哲学は九川君との出会いから始まりました。
世の中、理不尽な事が多いが、最後に確信するのは人間同士の尊敬に帰着する。尊敬する後輩や先輩や同輩に恵まれるかどうかで本人の幸せが決まるような気がする。勿論、尊敬する相手が、私より時折、馬鹿な面を持つ人こそ、親友である証拠かも知れない。
本当に生きていたからこそ、味わえた人との交流では無かっただろうか。
参考 てっちゃんブログ
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Comments
Joさん
お帰りなさい 南米ペルーの旅、満喫の様子、続編を楽しみにしています。
最新医学の進歩を信じ、夏にはゴルフを一緒に行けるものだと思っていましたが、余程悪性の癌細胞にやられたのでしょうか・・・治療を始めて、あっという間の出来事にいまだに信じられない気持ちで一杯です。
Joさんのいう通り、天才オンラインプログラマーというより、もっと広範囲な言い方で天才的なソフト開発者と言っていいでしょう。一昨年まで、哲の隣で仕事を手伝っていただいたのですが、還暦を過ぎても現役の天才ソフトウェア開発者でした。
奥様とのんびりとを楽しむ人生設計をしていたのに・・・彼のような人物をこんなに早く天に召してしまう神様に、理不尽さをおぼえる哲です
Posted by: 哲 | 2011.04.13 09:30 PM
てっちゃん 御苦労さまでした
今回の九川さんの件では大変な御苦労されたでしょうね。お疲れ様でした。
正月から彼の様子について聞いていましたが、本当に突然の出来事でした。ショックです、葬儀に参加出来なかった事が心残りとなりました。
藤城さんもそうでしたが、本当に素晴らしい人材が早く身罷るのは残念至極です。此処から冥福をお祈りしています。
今度、福永さんや関係者と彼を偲ぶ会をしたいですね。
Posted by: jo | 2011.04.13 11:03 PM