マチュピチュ・ナスカ紀行(7) パルパの地上絵
承前 マチュピチ・ナスカ紀行(6) ナスカ地上絵編 地上から眺める
ナスカからパンアメリカンフリーウエイを北上し、リマに向かいました。走り始めてしばらくして、時間があるので、もう一箇所地上絵を観ましょうという事になった。パルパの地上絵と呼ばれているそうです。
山の斜面に4人の像が彫られていますね。家族の地上絵とも呼ばれているそうです。これは、ナスカの地上絵よりも年代は古いそうで、紀元前600年頃から紀元後200年頃の按配で記録されたのではないかと考えられているそうです。
左端は長い鳥の羽のようなものを左右に頭から伸びています。左から二番目が一番重要そうですが、でかい顔で後光が差しているように見えます、まるで太陽の化身のようです。
右端の二人は小さく描かれているので、子供のようだから家族という名前が命名されたのかもしれない。しかし、多分違うでしょうね。此処に描かれたのは神話の世界でしょうね、ナスカでも山の斜面に大きく描かれた宇宙人がいましたが、多分、このパルパの山の斜面の絵の系統を引いているように感じました。
4名の像から離れた少し上にこんな地上絵も有りました。可愛いい地上絵ですね。
『ナスカの横顔』と呼ばれる岩です。なかなかの男前ではないだろうか。
ところで、地上絵はどのようして描かれたか、現在の定説は相似拡大法と呼ばれる方法です。現地の空港で、NHKのビデオが放映されていましたが、アナウンサーの住吉さんが灼熱の40°Cのナスカ高原で相似拡大法で4時間をかけて数名の人々と一緒に地上絵を描いていました。
先ず、目視出来る範囲の大きさで原画を地上に描きます。そして、少し離れて相似拡大法の基点となる適当な場所に杭を打つ。そして、その杭から縄で原画の特定のポイントを結び、その数倍の長さの距離に杭を打つ。これを、同じ拡大倍率で基点杭から原画の距離の数倍の長さに杭を打って行き、拡大画像の主要ポイントを決め、つないで地上絵を描くと言う方法です。
この説の根拠は、現地で杭の跡が発掘されたからだと言われている。しかし、何故一筆書きで全ての地上絵が描かれたのかは解明出来ていません。私は、素人だけどこの描いた線の上を沢山の人々が巡礼というか祭祀の目的で歩いた道ではなかったかと考えます。だから、一筆書きでなければならないのです。
ナスカの地上絵を描く季節が来ると、部族単位で櫓を立てて、絵を描く指示をする人が櫓の上に立つ、そして、部族の人々は一列になり長い縄を持ち指示される方向に縄を持ち歩いてゆく、あたかも蛇が縫うように縄は地上を這って行き、所々で、部族員は縄を持ち立ち、全ての絵が完成すると縄の周囲の黒い石を取り除き、白い地面を出す。
昔から縄張りという方法が日本ではありました。世界共通に縄張りという考えはあったと思います。人々は絵を描く事が目的ではなくて、その描いた神聖なものから霊的な何かパワーを貰う為にその地上絵の線の上を巡礼、参拝、したのではないだろうかと思います。
これが、一筆書きに拘った私の解釈となります。
(蛇足)
・頭から長い羽根を二本垂らす姿は、長江下流域から倭人の特徴と似ています。船に乗る人の頭には二本の長い羽根が伸び櫓を漕ぐ姿の絵を埴輪だったか、弥生時代の土器に描かれていた記憶がある。羽人と呼ばれる倭人の姿です。天の鳥船。
・アメリカ先住民は縄文時代からの倭人が船で辿り着いた人々と共通する図柄だと思いました。
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