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マチュピチュ・ナスカ紀行(25) マチュピチュ遺跡編その4

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20114peru_393  生贄の台と呼ばれる祭壇の石です。神官が登る階段も有ります。祭壇の横には生贄を縛ったと考えられる輪っかが有ります。

誰が生贄になったか、現地のガイドさんはリャマだと言います。実はこの近くで女性の遺体が多数確認されており、女性が生贄だという説もあります。しかし、マチュピチュからスペインとの戦争に男達がマチュピチュを出て行き、残された女性達がその後生き延び、彼女達の墓だと考える事も可能です。

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 眼下にはウルバンバ川が流れています。この川はアマゾン川の源流の一つだそうです。スペインとの戦いに負けたインカの人々はアマゾンへと逃れて行ったとも考えられているそうです。

インカの文化にはアマゾンの鳥の羽根とか鉱物でも関係が深いそうです。

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 遺跡への門があり、左に巨石がゴロゴロ、石切り場です、その奥の高台が天文台です。右の建物群は技術者の人々の家と呼ばれています。痩せ尾根、両側が千尋の谷の場所に遺跡が築かれている事が判ります。

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 遺跡を見下ろす、見張り台と段々畑です。

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 段々畑の石垣には人が登り降り出来るような石が飛び出ています。この飛び出た石段を登り降りしたのでしょうね。この付近は人骨がでた場所だそうです。

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 ワイナピチュとマチュピチュ遺跡の全景です。私の立っている後に未だ高い山があり、水源が有るのです。だから、マチュピチュは人が住める場所になりました。

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 マチュピチュ遺跡の背後に聳える高い山、これがマチュピチュ(老いた峰)なんです。

 ハイラム・ビンガムがインカの人に遺跡の名前を訊いた時に、彼らは間違って山の名前であるマチュピチュと答えたのが始まりだそうです。だから、マチュピチュは遺跡の名前では無いそうです。

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 人骨が出土した場所からマチュピチュを眺める、高い崇高な山なんです。

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