マチュピチュ・ナスカ紀行(12) ペルーの海岸線
リマとナスカの距離は450キロ程度あります、パンアメリカンハイウエイをバスで移動して8時間はかかります。海岸から内陸にかけて乾燥地帯が広がり砂漠です。私が昔住んでいたカリフォルニアも同じで、砂漠をアメリカ人は人が住めるようにシェラネバダ山脈からの伏流水を利用し灌漑し、水を撒いて緑の大地を人工的に作った街なのだ。
サンフランシスコからサンノゼは自然に任せると砂漠地帯なのだ。多くのカリフォルニアの西海岸は砂漠地帯であり、今は、緑豊かに思えるが何もしないとペルーのような砂漠地帯となる。如何にアメリカ人は頑張って国土を開拓したか、昔のアメリカ人の凄さを忘れている。
リマとナスカの往復16時間をバスで経験し、砂漠地帯の風景を確認した。その時に、アメリカがメキシコと戦争し獲得したカリフォルニア西海岸の現代の風景と、獲得した時代の風景をペルーの西海岸を走りながらダブらせた。
アメリカ人は今は世界中で憎まれているが、本来は堅実で真面目で質実剛健な田舎者の集まりなのだ。彼らは、昔、カリフォルニアの砂漠を人が住める緑の大地に改造開拓した人々なのだ。今、ペルーはそれに挑戦している。
今、ペルーでは政府が管轄する海岸の砂漠地帯に5年間、不法占拠したら、自分の土地として認める政策を進めている。砂漠地帯に小さな木造の小屋を建設し3年目あたりから、日干しレンガで家を建造し自分の土地にする人々が増え始めた。5年目になると国は電気を引いてくれるそうだ。
又、大規模な鶏舎を営む業者が海岸の砂漠地帯に進出し、事業を大規模に展開している。電気も無い場所でどうやって鶏舎を運営しているんだろうか。水はアンデスの地下水を利用していると思います。
時折、こんな綺麗な街があり驚きます。
海岸近くはサンフランシスコと同じで、霧が立ち込め涼しいです。アメリカ大陸の西海岸は北から寒流が海岸線を流れているので、このような霧が立ち込める風景が多く見られる。
ナスカに移動してる時に食事した素敵な海岸線にあるレストランで昼食です。
私は、アメリカ時代を思い出し、ハンバーガー、家内は魚料理を注文していました。
丁度、ペルーでは大統領選挙の終盤でした。帰国の日が投票日だったと思います。従い、ナスカに向かった日から三が日は公共の場では飲酒禁止でした。レストランでも酒の販売は禁止です。
リマからナスカへ向かう地帯では圧倒的に日本国籍のフジモリ元大統領の娘のケイコさんが圧倒的に人気です。ガイドさんの話では、昔この地帯で大規模な地震があり、その日にフジモリ大統領は駆け付け、被災者の為に住宅を建造する約束をし、それを守ったといいます。今でも、リマからナスカにかけての砂漠地帯の貧乏な人々はその恩を忘れず、娘のケイコさんを大統領に推挙してるそうです。
先日、投票は終わり、現職大統領とケイコさんの二人は残り、決戦投票になる予定だと聞いています。日本人はリマでも尊敬されているそうです。
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