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マチュピチュ・ナスカ紀行(10) ナスカの織物そのⅡ(Majoroホテルにて)

 承前 マチュピチ・ナスカ紀行(9) ナスカの織物そのⅠ(Majoroホテルにて)

 ナスカの織物の続篇です。

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20114peru_667  狩猟の場面ですね、網に小動物を追いこんでいる様子です。投げ槍を投げている人もいます。角を観ると鹿のように見えますがどうでしょうか。

 彼らは海で漁業もし、狩猟も農耕も行う民族だったようです。

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 戦争捕虜の処刑の場面ではないかと想像します。右上の兵士が勝利者の兵士で縄で繋がれているのが敗者で、逃げてるのも敗者だと思います。敗者達は幾人も縄で繋がれ鳥の餌食となっています。

 画面に前方後円墳の形をした図案が散らばっているのが気になります。壺のようでもありますが、まさか3世紀の日本の神仙思想の箸墓古墳のあの世の形と呼ばれる前方後円墳の壺形宇宙を表しているんではないでしょうね。同時に、顔が幾つも散らばっているが、これは首狩りの風習を示していると思います。彼らは、殺して首を刎ね口が開かないようにして持ち歩いたそうだ。

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20114peru_663  生きたまま、禿たかの餌食にさせたのでしょうか。意外とナスカの人々は残酷だったようですね。

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 これは、推測するに発掘されたナスカのミイラを覆っていた姿ではないかと思います。この衣服の中にミイラが存在していたと思います。

一見、アイヌの衣装のような錯覚を受けませんか、私はそんな感じを受けました。これ、着物風ですよね、明らかにアジアの風貌であり、北方騎馬民族の姿ではない。しかし、派手な衣装だと思います。

 いったい、何世紀頃のミイラだったんだろうか、知りたいですね。

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 これらは、全く私には判りません。何だか急いで走る姿のようですが、涙を流しているようです。

これから、ナスカやインカの勉強ををすれば徐々に判ってゆくかも知れませんね。

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