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マチュピチュ・ナスカ紀行(14) インカの首都クスコ編 サント・ドミンゴ教会

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 さて、インカ時代から現在もクスコで一番大事な場所から始めましょう。インカの時代に太陽神殿『コリカンチャ(Qoricancha=黄金の有るところ)』が存在した場所です。スペインのピサロに征服されたあと、この黄金の神殿から金を剥がしとり、太陽神殿の基礎の上に教会を建造しました、それが、サント・ドミンゴ教会です。

 マイフォト インカの首都クスコ 写真集 詳しくは写真集を観て下さい。

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20114peru_057  少し小高い場所にあります、石垣の土台部分は『コリカンチャ』の石垣です。上部の教会の建物はスペインが征服後に建てました、が、今まで二度の大地震に遭遇し教会の建物だけは完全に破壊されたそうです。

如何に、インカ時代の石組工法が耐震性がある建造物であるかを歴史が示しているのです。

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 見事な曲面を持つインカ時代の精巧な石組みではないでしょうか。多分、13世紀か14世紀頃のインカ時代に建造されたと思います。今でもびくともしていない。

 それに比較し、スペインの建造技術は耐震性が貧弱な工法である事が判ります。インカの石積工法では日本の伝統的な木造建築で使用されるアーキテクチャである『貫』も使用しているそうです。柱材を貫く横木の組み立て手法ですね。

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 サント・ドミンゴ教会の入り口です。

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 教会の中庭です、周りをスペインが建造した回廊が取り巻いています。これらは全てインカ時代の太陽の宮殿の上に建築されました。しかし、庭の真中に井戸がありますね、これはインカ時代から存在する井戸だそうで、昔は黄金が貼られていた井戸だそうです。

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 太陽の神殿には、月・太陽・稲妻・星・虹という部屋が存在したそうです。インカ時代は壁は金箔で覆われていた部屋があったそうです。スペインは教会に改造する時に石壁に漆喰を塗り、壁画を描きインカの人々が裸の石組を観るとインカ時代を思い出すのを阻止したそうだ。

太陽の宮殿の部屋は特別に春分・秋分か冬至・夏至の時に太陽の光が特別に部屋に差し込む仕掛けをしたそうだ。スペインは、神殿に仕掛けられていた金銀の装飾品を全て剥がし、溶解し自国に持ち帰ったそうだ。

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 インカでは3と言う数字が大事な数字です。3部屋の神殿の部屋を貫いて見通す事が出来る窓があります。見事にカミソリの刃が入らない石組工法と建築のレベルの高さが判りますね。

 次回も、太陽の神殿の続篇を続けます・・・・

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