埴輪あれこれ
先日、東博の古墳時代の埴輪が展示されているのを見学した。
・犬 群馬県伊勢崎市境上武士出土 かわいい首に鈴をつけた犬です
・埴輪 踊る人々 埼玉県熊谷市野原出土 モガリという葬送の場での歌舞か
・埴輪 腰かける巫女(重文)群馬県大泉町古海出土 古墳時代の巫女の姿
・埴輪 挂甲の武人(国宝)群馬県太田市飯塚町出土 東国武人の姿
・橿考研博物館 古墳時代の埴輪
・桜井市立埋蔵文化財センター 出土遺物展示
古墳時代の埴輪のあれこれ、一部です。埴輪に一番興味があるのは継体天皇の陵墓と考えられる今城塚古墳から発掘された埴輪群でしょうね。大王の宮殿や政務の状況が埴輪で表現されていたと思う。(色んな意見があります、葬送儀礼の様子だとか・・・)
今回の茅原大墓古墳から出土した盾を持つ人物埴輪から、少し、埴輪についてメモを残しました。実は、隣の箸墓古墳が『卑弥呼さんの墓』だとすると、100人程度の奴婢が殉死させられ埋葬されたと魏志倭人伝は伝えている。
埴輪の起源については、記紀によれば、垂仁天皇の頃であり、出雲から出張してきた野見宿禰さんが、殉死はかわそうだから、埴輪を作り身代わりにすると提案し、殉死が無くなったという話が有ります。人物埴輪が出ると記紀年代から言うと、垂仁天皇時代以降の古墳であるという事になりますね。
箸墓には吉備系の特殊器台の埴輪が周濠からでているが、人物埴輪は出土していません。というか、古墳本体は宮内庁管轄で発掘が出来ないから、判らない。
埴輪にからんで、三輪山周辺の巨大古墳群、オオヤマト古墳群、磐余の桜井茶臼山古墳の初期前方後円墳の出土遺物は祭祀に関係する遺物が多いと考古学者が言ってます。その典型は神仙思想の銅鏡です。しかし、百舌鳥・古市古墳群あたりになると突然に副葬品が戦闘的になります。今まで、騎馬民族征服説が唱えられたのも古墳の副葬品の激変が一つの理由でした。
ある学者は三王朝交代説を唱え、三輪王朝から河内王朝に神功皇后・応神天皇の頃に代わり、最後は継体天皇の時に又、王朝が交代したという説です。
私は天皇陵が学術調査が出来ない限り、日本の古代史はなかなか物証で証明出来る歴史像が描けないと思います。しかし、今までの考古学の成果としては、記紀は再評価されていると思います。
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