地震二日目 横浜
朝の2時過ぎに、ほうほうのていで息子が自宅に辿り着いた。東京都は頑張った、私鉄の東急さんも頑張ったようです。一時は、東急に乗り継げないので、途方に暮れたそうだが、東急は頑張って深夜であるが、電車を走らせたそうだ。乗客からは拍手が湧いたという。
それにつけてもJRはどないなってんでしょうね。是非、今回の地震が終息した時点で徹底的に公共機関としての行動を分析し、次世代に生かせるような調査・分析が必要だ。
朝、大倉山駅前の八百屋さんでは、朝帰りの若いOLさんが買い物をしていました、昨夜は帰宅出来なかったそうです。そんな人々が多かったのではないだろうか、それは、全て、JRが一切の電車を動かさなかったからである。
しかし、青森、岩手、宮城、茨城にかけての太平洋側は津波により甚大な被害を受けている。あの神戸淡路大震災の250倍のエネルギーが放出されたという。津波は海岸の村落を飲み込んで跡かたも無い。悲惨な事態が起こってしまいました。つい最近、九州の霧島連山で噴火が起こり、驚いていたが、どうやら列島は地震・噴火の活動期に突入したんだろうか。
日本海側でも東北で地震が発生している。列島は地震・噴火の活動期に入ったように見えますね。政治も駄目だが泣きっ面に蜂ですね。神は日本に試練を与えていると考えましょう。頑張って、苦境を乗り越えましょう。
昨日から安否を伺う電話が我が家にかかっています、メキシコ在住の娘からは2回も電話があったそうだ。北海道からも、京都からも、大阪からも有りました。皆さん、関係者の皆さま御心配をおかけしました、我が家の面々三人は元気に暮らしています、有難う御座いました。
『縄文時代と弥生時代』
縄文時代の人々の居住跡は標高が高い場所にある。関東の貝塚のある場所をプロットすると一目瞭然である。勿論、縄文海進により海面は今より上だった。そして、弥生時代になると水稲稲作の為に人々は低地に移動した。しかし、弥生時代の名前になった弥生は本郷台地の上であり、水田は低地であるが住居は標高の高い台地の上に竪穴住居を構えていた。先日、『ブラタモリ』で現場を確認した。
縄文時代も弥生時代も人々は、川は台風や大雨で氾濫するし、地震があれば津波が川の下流から押し寄せる事を知っていたのでしょうね。だから、高地に住居を構えていたのではないでしょうか。高地と言っても、土砂崩れが起こりそうな場所は住めない訳で、緩やかな丘陵地帯が一番であり、水が確保出来る場所が必須だった。
問題は海を生活の場とする人々の暮らしです。古来、海抜どの程度高ければ津波の被害から逃れるか、子子孫孫伝えられたのではないだろうか。しかし、数百年に一度しか起こらないような自然災害を伝えるのは困難ですね。今回の津波は海から4キロも川を遡った場所を呑みこんだ。
まるで、浦嶋太郎が何処かに漁に出駆けていて、海岸の自分の村落に帰還すると全てが津波に呑みこまれ、跡かたも無く、途方に暮れたのではないだろうか。そんな、シーンを想像しながら悲惨な津波を眺めていた。
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