諸国荘園年貢表
網野善彦さんと森浩一さんの対談集『日本史への挑戦』(大巧社)を読んでいると、諸国荘園年貢表(網野さん、『女性の社会的地位再考』から抜粋)が掲載されていた。日本各地の荘園からどんな種類の年貢が納められていたかが判ります。
全国の荘園の年貢表を眺めた第一印象は意外と米を納めている荘園が少ないという事です。関東の荘園の年貢は殆どが布か絹なんですね。驚きです。
『米を年貢とする荘園』
・近江33(40)、大和27(41)、山城17(29)、筑前13(13)、越前12(14)、丹波11(16)、河内8(13)、播磨8(15)、備中7(9)、紀伊7(12)、肥後7(9)、越後6(9)、伯耆6(11)、遠江5(8)、若狭5(6)、阿波5(13)、築後5(5)、伊勢4(14)、備前4(5)、讃岐4(6)、伊予4(8)、肥前4(4)、伊賀3(4)、加賀3(6)、能登3(6)、出雲3(11)、周防3(8)、豊後3(3)、薩摩3(3)、
注:表の見方ですが、例えば近江には40カ所の荘園が有り、そのうち33カ所の荘園は米を年貢として納めていました。ですから、この順番は米を年貢として納める荘園が多い地域から列挙しています。これは、荘園時代の米の生産力の順位かも知れません。備前・備中・備後を合計すると13カ所の荘園が米を年貢ととして納め、筑前と並びます。
殆どが近畿圏、越の国から西日本です。近江・大和・山城・筑前・丹波・河内と大和王権が誕生した地域と九州です。米の生産力という点や人口も圧倒的にこの地域が抜きんでていたと考えていいのではないだろうか。
『関東地方の荘園』
・伊豆(3)布2、魚貝海藻1 ・甲斐(6)布5、絹2
・相模(4)布3、御簾1、畳1 ・武蔵(4)布3、絹2、馬1
・上総(4)布4、綿3、米1、油1 ・下総(2)絹1、布1、綿1
・常陸(5)絹5、綿2、油1、布1 ・美濃(24)絹24、綿3、糸5
・信濃(6)布6 ・上野(1)布1
・下野(4)絹4、布2、馬1 ・陸奥(7)布4、金4、馬4、絹1
・出羽(4)馬4、布3、金1 ・佐渡(1)貝鮑1
・駿河(3)布2、絹1、綿1 ・三河(2)米1、絹1
・尾張(14)絹12、糸7、漆1 ・志摩(4)贄3、塩1
注:見方は例えば尾張では14カ所の荘園があり、その荘園で絹を税として納めていたのが12カ所、糸を納めていたのが7カ所、云々と読んで下さい。
この統計資料の現物を調べていません、時代も正確に判りませんが網野さんを信用してある荘園時代の諸国の荘園がどんな年貢を納めていたかの参考資料として私は見ています。
子供の頃に年貢と言えば、お米を納めるものばかりと考えていましたが、それは江戸時代の特別の地域だけの話なんでしょうか。そもそもお米を作る農民の事を何で百姓と言うのかも不思議でしたね。しかし、網野善彦さんの荘園時代の荘園の年貢を見ると、色んなものを年貢として納めていた事が判ります。
まさに三関を越えた東の地域では米ではなくて、絹や布、綿が主流であった事が判ります。百姓という言葉通りの作物を作り、税金として納めていた事が判ります。古代を考える時に、稲作中心だけで、物事を判断するのは、正しくない事かもしれない。
考えてみると、粟とか稗とかは年貢にはならなかったのですね。商品価値が無かったという事ですね。そして、麦などは殆ど荘園時代には存在しなかった事が判ります。
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