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朝ドラ 『てっぱん』は面白かった

 朝ドラで毎回観たのはこの数年では宍道湖の娘と京都の舞子さんの双子のドラマ以来でした。私は22才まで関西で育ったので、関西のNHKが作るドラマの方が面白いのかも知れない。

 『てっぱん』は考えてみると、若い娘がお好み焼き屋をやるだけの、庶民的な話です。

しかし、何故か毎回観たくなる何かが有りました。それは何だったのか、未だに判らんです。

 このドラマが始まった時に、最初に妙な変なダンスをする画像が流れ、NHKらしく無いと思いました。音楽は私の息子が大好きな葉加瀬太郎さんでした。ダンスはお好み焼きをイメージした創作ダンスだそうだ。これが、大阪のイメージにうまく合っていました。

 私は、今回のドラマでは音楽とナレータの中村玉緒がうまくドラマの世界をふんわりと包み、富司純子ばあさんが大阪らしくない品のある世界を崩していない。むしろ、川中美幸が大阪の下町の世界をうまく演じていた。竜雷太や赤井英和も渋い、特に画家役の神戸浩さんは素晴らしい、山田洋次さんが多用される訳が判る。子役の民男君役も上手だ、無理が無い。

 下宿が、私が学生時代に経験したような雰囲気です。勿論コインランドリーなんかは無い世界でしたが、そういえば、洗濯はどうしていたんだろうか。私は神戸の春日野道の下町で1カ月しか下宿生活は経験していないが、先輩の下宿にはよく出かけた。暗い板張りの廊下に向かい合い部屋が幾つかある世界。

 何かあると、皆が集まる社会というのが懐かしく思えるのかも知れない。今は、核家族だけど、昔は大家族だったし、庶民のせかいでは近所や知り合いの人々で支え合う世界だった。そんな、ノスタルジックな世界を描いたのかも知れない。そこが、何とも懐かしく、魅かれる所なのかも知れん。

 ところで、本当のお父さんの話はどうなったんだろうか、気になるんですがね。

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原発に思う

 昨夜、東電の会長さんがテレビで挨拶してました、1号機~4号機は廃炉にする可能性を言っていましたが、政府は5号機~6号機についても廃炉の可能性を言及したそうだ。ところで、毎日新しい原子炉の問題が浮上し、昔、オンラインリアルタイムシステムがシステム異常を起こした時の最悪のシナリオに似てる気がする。毎回、新しい障害が見つかり、対策を立てるのが困難になり訳が判らなくなる。

 ところで、福島第2原発は本当に大丈夫なんでしょうね、心配です。最終的には福島第1原発は全て石棺で覆う事になるんでしょうか。そして、半径30キロ圏内は今の儘という訳にいかないでしょうね。東電が土地所有者に支払う賠償額は膨大なものでしょうね。海の汚染が今後何処まで防げるか、防げないとこれも賠償は膨大な金額になるかも知れない。

 それより、地震・津波の震災と原発の二次災害で打ちのめされた人々の心の傷の方が一番問題になるんでしょうね。日本の原発は殆ど全てが海岸に建造されている。50機以上有るんではないだろうか。今回の教訓は今後どう生かされるのだろうか。

 今回の原発の事故で改めて判ったのは、原発というのは核分裂を制御して起こし、その熱エネルギーを蒸気に変換しタービンを廻して発電している。極めて原始的な電力エネルギーの獲得方法なんですね。今は問題になっていないが、核分裂抑止の制御棒は大丈夫なんでしょうね。毎日という程、新しい問題が発生するので、だんだんと信用出来なくなりつつあります。

 原子力発電所については、日本は世界の最高レベルの技術にあると聴いていた。何故なら、アメリカが何年も前から原発建設を止めていたので、日本とフランスだけが世界で一番高い原発の技術力と思っていた。具体的に言うと、日立と東芝である。今回の事故を起こした原子炉は昔の会社の仲間の話では、40年前のG.E.社製だと聞いている。

 ひょっとするとオールドテクノロジーの原子炉であったのかも知れない。テレビではそんな原子炉の説明がされていないので、判らない。

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第9回『4Gの会』 高尾山・陣馬山紀行

 ・高尾山から陣馬山を縦走する計画(結果的に断念する)

 ・第9回『4Gの会』 高尾山・陣馬山紀行 無事帰還しました

 ・第9回『4Gの会』 高尾山・陣馬山紀行 高尾山を登る編

 ・第9回『4Gの会』 高尾山・陣馬山紀行 高尾山を下る編

 ・第9回『4Gの会』 高尾山・陣馬山紀行 秘湯 陣馬の湯『姫谷』

 ・第9回『4Gの会』 高尾山・陣馬山紀行 陣馬山登山編

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第8回『4Gの会』 箱根 金時山ハイキング

 ・箱根の金時山から帰りました

 ・箱根 金時山ハイキング

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第7回『4Gの会』 袋田の滝と月居山トレッキング

 ・袋田の滝と月居山トレッキング 無事終了

 ・袋田の滝と月居山トレッキング その1

 ・袋田の滝と月居山トレッキング その2

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断夫山(だんぷさん)古墳と味美(あじよし)二子山古墳 継体天皇を支えた尾張氏

Photo  熱田神宮のそばに、断夫山(だんぷさん)古墳があります、継体天皇の妃であり安閑・宣化天皇を産んだ目子媛(めのこひめ)の父である尾張連草香(おわりのむらじ くさか)の墓かと考えられています。東海地方最大の前方後円墳であり6世紀初頭と考えれる。

 全長151メータ、後円部径80メータ、前方部高さ16.2メータ、後円部高さ13メータと巨大です。森浩一さんの話では、尾張氏は歴史上二度、天皇擁立に関わったと述べている。継体天皇の時と、天武天皇の時である。継体天皇の時の話は以下の過去記事に紹介しています。

 参考 今城塚古墳 ヲホド王(継体天皇)を考える(2)

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Photo_3  断夫山古墳の北の春日井二子町に全く相似形の味美(あじよし)二子山古墳が存在します。

この古墳は継体天皇の妃となり安閑・宣化天皇を産んだ目子媛の墓ではないかと考えれている。

 森浩一さんの『僕と歩こう全国50遺跡 考古学の旅』でも、この古墳を採り上げ解説されています。この古墳の築造も6世紀初頭と考えられ、目子媛の時期と整合します。断夫山古墳も味美二子山古墳も同じ設計図で同じグループが建造したと考えられている。

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ペルー紀行 マチュピチュに行くぞ 計画編

 来週から遂に、ペルー紀行が始まります。これで、3回目の計画でやっと実現しそうです。最初は風水害でマチュピチュへの鉄道線路が流され、数カ月間閉鎖され、行けませんでした。今回はこんなあまり気乗りがしない時期ですが、行くことに決めました。

 先日、テレビでイモトちゃんが太い眉毛で蚊に刺されながらマチュピチュを歩いていましたね。インカの古代都市を巡る旅です。

 ・初日 

  成田空港→ロサンゼルス(約10時間)一度入国し乗り換え→リマ(8時間40分)深夜到着

 ・二日目

  ホテルで4時間休息し、再度、リマ空港へ

  リマ→クスコ(1時間15分)飛行機でクスコ到着 ほんま日本から遠方過ぎますね、やっと到着です。昼飯食べて、クスコ市内見学 サクサイワマン遺跡、ケンコー遺跡 探訪

  アルマス広場のライトアップ

 ・三日目

  クスコ発午前3時30分→バス(100キロ2時間)→オリャンタイタンボ駅(午前6時30分発)→汽車(約2時間)→アグアスカリエンテス駅着→バス→マチュピチュ遺跡到着 遺跡見学

  アグアスカリエンテス駅午後2時12分発→汽車→オリャンタイタンボ駅(夕方4時10分着)に戻る バスでクスコに戻る(夜の7時頃) クスコは標高3360メータもあります。高山病注意です。

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さきたま史跡の博物館

 稲荷山古墳で有名なさきたま古墳群に博物館があります。数年前に訪問していたのですが、写真を公開していませんでした。博物館では原則撮影禁止ですが、撮影の許可を頂き営利目的ではなく、広く文化財の保護と歴史に感心を持つ人々の輪を広める為に公開します。

 マイフォト さきたま史跡の博物館 写真集

 参考 さきたま史跡の博物館ホームページ

 さきたま古墳群の探訪記事は既に公開をしています。

 参考 さきたま古墳群探訪記

 参考 森田氏の稲荷山古墳関係論文

 もう三年前になるんですね、埼玉古墳群を訪問したのは。最近、地元の田園調布古墳群(荏原古墳群の一部)を訪問し、古代にこの南武蔵と北武蔵の埼玉古墳群の勢力と緊張状態にあった事を思い出した。

 稲荷山古墳は雄略天皇と考えられるワカタケル大王の時代であり、河内にヤマト王権が巨大な前方後円墳を建造していた時代だ。その時の親衛隊の隊長だった人の古墳と考えられるのが稲荷山古墳の被葬者である。

写真集にて博物館の説明は添付しましたので、楽しく博物館のホームページと連携して楽しんで下さい。幾つか私が面白いと思うものを、拾い上げてみます。

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 右は鉄製の馬冑ですが、左は蛇行状鉄製金具と呼ばれるもので、馬に乗る時に背後に旗を立てる金具なんですね。右のイラストを観れば判りますね。

それにしても、馬に鉄冑をつけるなんて、馬も迷惑だったでしょうね。

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 左は琴を弾く男性、右は捧げ物をする女性の埴輪です。男性が琴を弾くのは祭祀の一環ではないかと思います、九州で仲哀天皇が奥さんの神功皇后の意見に反対した時に彼は琴を弾いている時に突然死していますね。

 琴は男性が弾くものであったのかも知れません。

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利尻・礼文島紀行 目次編

 ・利尻・礼文島紀行 計画編

 ・利尻・礼文島より帰還しました

 ・利尻・礼文島紀行 利尻島編

 ・利尻・礼文島紀行 利尻島写真集

 ・利尻・礼文島紀行 あれこれ編

 ・利尻・礼文島紀行 礼文島編(1)

 ・利尻・礼文島紀行 礼文島編(2)

 ・利尻・礼文島紀行 あれこれ編(2)

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環オホーツク海の古代文化

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 先日、『海・潟・日本人』日本海文明交流圏 監修 梅原猛・伊東俊太郎(講談社)を読んでいて、特に北大の菊池俊彦さんの論文『環オホーツク海の古代文化』に興味が寄せられた。

 彼の説では3世紀頃から13世紀の頃までオホーツク海を取り囲む地域に文明圏が存在し、特に樺太(サハリン)から稚内、オホーツク沿岸から知床半島、根室、そして国後・択捉にかけて海を生活の場とするアイヌとは異なる人種が存在していたと言う。その民族はギリヤーク民族ではないかと述べている。

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 彼らは3世紀の頃から13世紀まで活躍したそうだが、北海道には擦文土器(さつもんどき)を持つアイヌ民族が存在した、しかし、オホーツク海沿岸には彼らとは異なる人種が存在し、アイヌにも影響を与えたと言う。オホーツク沿岸に存在した民族は大陸のアムール川沿岸の靺鞨・同仁文化圏の人々と交流が存在したという。

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オホーツク海を囲むように諸文化は栄えたという。樺太から北海道のオホーツク沿岸地域と国後・択捉からアリューシャン列島にかけての地域、オホーツク海北西岸の遺跡で今だ文化圏としての名前は存在しないが、初期鉄器時代の遺跡が存在し、オホーツク海北岸のトカレフ文化の遺跡はオホーツク文化とよく似た文化であります。

 古コリヤーク文化とは、今のコリヤーク民族の古代文化圏です。タリヤ文化とはカムチャッカ半島に広がる文化圏を指します。カムチャッカ半島の西海岸は発掘が進まず今だどんな文化文明が存在したか不明です。

 まさに、オホーツク海沿岸に一大文化文明圏が存在していたという事です。特に、この文明は大陸のアムール川流域の靺鞨・同仁文化圏の人々と交流し鉄器の文明も早くから享受していたと考えられる。樺太・北海道オホーツク沿岸地域、国後・択捉の人々は鯨や大形の海洋性生物を捕獲し食糧にしていたようです。

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英国紀行 目次編

 2009年10月久しぶりに倫敦(ロンドン)を訪問した。引退してからは初めての訪問です、今回は是非、ストーンヘンジを見学したいと考え、ロンドン・成田の往復便を確保し、現地では自由に行動する予定で出かけた。

 偶然にストーンヘンジを訪問した時に、バスの中で日本の考古学の専門家の方と出会え、現在、大英博物館で縄文土偶展が開催されている事を知った。普段ですと日本各地を訪ねないと観れない国宝級の縄文土偶を何と、海外で一堂に会した縄文土偶を見学する事が出来ました。

 問題は、大英博物館では全てが写真撮影可能ですが、何故か、日本の縄文土偶展だけは撮影禁止で、文化レベルの低い国である事を印象づけたと残念でした。何故、撮影を禁止するのか『理由を述べる必要有り』と思います。

 ・英国から無事帰国しました

 ・英国紀行 その1 (倫敦塔、タワーブリッジ)

 ・英国紀行 その2 (ウエストミンスター宮殿、バッキンガム宮殿)

 ・英国紀行 その3 (ケンジントン宮殿)

 ・英国紀行 その4 (コッツウォルズ ボートン オンザ ウオーター)

 ・英国紀行 その5 (コッツウォルズ 自動車博物館)

 ・英国紀行 その6 (バーフォード Burford)

 ・英国紀行 その7 (オックスフォード Oxford)

 ・英国紀行 その8 (ストーンヘンジ 前篇)

 ・英国紀行 その9 (オールド・セーレム Old Sarum)

 ・英国紀行 その10 (ストーンヘンジ 後篇)

 ・英国紀行 その11 (大英博物館)

 ・英国紀行 その12 (倫敦あれこれ)

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ユカタン半島 マヤ遺跡紀行 目次編

 2009年9月にユカタン半島のマヤ遺跡を訪問する機会がありました。アメリカのダラスで一泊して乗り継ぎ、リゾート地として有名なカンクンを拠点にマヤ遺跡を巡りました。現地のバスに乗り灼熱の中頑張って遺跡を探訪した。

 現地の庶民が乗る乗り合いバスは楽しく、運転手が陽気な音楽をかけ歌いながら運転していました。(本当は危険運転ですよね)

 ユカタン半島の先端に隕石が落下し、恐竜が絶滅した歴史的な場所でもあります。初めて観た神秘のセノーテ、今から思えば泳げば良かったと後悔しています。

 楽しい紀行でした、是非、ご覧下さい。

 ・ユカタン半島(隕石落下 恐竜絶滅)

 ・ユカタン半島から無事帰国しました

 ・マヤ文明の遺跡を訪ねる

 ・トゥルム遺跡(Tulum Ruinas)紀行記

 ・チチェン・イツァー遺跡紀行 セノテ・シトロク(Cenote Xtoloc)編

 ・チチェン・イツァー遺跡紀行 聖なる泉(Cenote Sagrado)編

 ・チチェン・イツァー遺跡紀行 エルカスティージョ=ククルカン神殿(El Castillo)編

 ・チチェン・イツァー遺跡紀行 ジャガーと鷹の台座、ツォンパントリ(頭蓋骨の城)、ジャガーの神殿編

 ・チチェン・イツァー遺跡紀行 球戯場編

 ・チチェン・イツァー遺跡紀行 戦士の神殿と列柱

 ・チチェン・イツァー遺跡紀行 旧チチェン・イツァー遺跡群

 ・チチェン・イツァー遺跡紀行 あれこれ編

 ・チチェン・イツァー遺跡紀行 私の感想

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3世紀 関東にも前方後円墳は存在したのか その4 浅間神社古墳その他

 承前 3世紀 関東にも前方後円墳は存在したのか その3 田園調布古墳群

 5世紀末から6世紀初めの頃の古墳と考えられる浅間(せんげん)神社古墳の御紹介です。東急東横線に寸断された田園調布古墳群の亀甲山古墳の南方向にある古墳ですが、今は古墳の上に浅間神社が建立されています。

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 古墳展示室で浅間神社古墳について語られている事を御紹介します。

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20113tamagawadai_086  多くの興味ある埴輪が出土している事で有名だそうです。後円部の上に浅間神社が建造されているんですね。

東急東横線の車中からも良く見えます。私も昔からこの神社は古墳の上に鎮座されていると思っていました。

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20113tamagawadai_091  馬形埴輪と人物(男子)形埴輪です。説明によれば、一見坊主頭のようですが、額の両側に何かが剥がされた跡があり、『美豆良(みずら)』という男子だけがする髪形だったそうです。又、頭の真中に2㌢の穴があり、冠が取り付けられていた可能性が高いと想定される。

 顔は細長で弥生人の顔ではないだろうか。耳も大きいですね。なかなかの美男子ではないだろうか。

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 浅間神社から多摩川上流を眺める。

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3世紀 関東にも前方後円墳は存在したのか その3 田園調布古墳群

 承前 3世紀 関東にも前方後円墳は存在したのか その2 亀甲山古墳

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 前回まで、多摩川河口の左岸に切り立つ高台である多摩川台の一番古い宝莱山古墳(従来は4世紀末と考えるが今回、3世紀代ではないかと唱えるのは古庄浩明さん)と次に古い亀甲山古墳(5世紀前半)について紹介しました。

 この辺りから多摩川左岸を遡る地域は荏原郡と呼ばれる南武蔵の重要な場所でした。今回はその中で、田園調布に存在する幾つかの5世紀、6世紀頃の古墳を紹介します。是非、桜の季節にはこの場所を訪問して下さい、美しい桜と多摩川や富士山を眺める事が出来ると思います。

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 写真は西岡第32号墳より出土した南武蔵では最古の円筒形埴輪の図解です。現地の古墳展示室で撮影しました。円筒形埴輪は吉備・ヤマトの古墳時代初期から出現するヤマト王権の前方後円墳で後円部墳頂及び段のテラスの部分に並べられた埴輪です。吉備の特殊器台から進化した埴輪ではないかと考えられている。

20113tamagawadai_082  写真は石釧で、西岡第31号墳出土だそうです。説明板のように、南方の香りがする腕飾りであり本来はイモガイを切って造られ、巫女と思われる人や権力者の腕にはめられていました。イモガイ製から石製・銅製と九州から広く列島の弥生時代から古墳時代の墓から出土しています。

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20113tamagawadai_084  西岡第28号古墳から出土した六鈴(ろくれい)鏡と呼ばれる銅鏡です。獣鏡の周りに六個の鈴がついており、関東から中部地方に固有の銅鏡だそうです。写真では、巫女の腰にこの六鈴鏡が装着されており、祭具ではないかと考えられる。(亀の格好に似てますね)

 古墳展示室の説明では、原産は北関東特に現在の群馬県の上毛野国あたりであり、荏原郡の指導者、小杵(おき)が上毛野の小熊と提携し埼玉の使主(おみ)を攻め滅ぼそうとした伝説を裏付けるような出土遺物であるという。(この話は埼玉古墳群を訪問した記事でも紹介しました)この事で、埼玉の使主(おみ)はヤマト王権に泣きつき、ヤマト王権が関東に介入し屯倉を増やした歴史が有ったのかも知れない。

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原発事故の恐怖

 放射線は目に見えない、従い、透明人間の敵と戦う恐怖がある。今、関東から東北エリアでは福島原発の事故の恐怖と戦っている。1歳未満の乳児には飲ますことが出来ない量の水道水の放射能汚染が都内で起こっているのが事実だ。世界最大のメガロポリスの乳児が放射能汚染の恐怖に怯えている。

 今日の政府の指示では30キロ圏の人々は退避する事を勧告するという。今までは20キロから30キロ圏内の人々は屋内待機でした。

 野菜類や牛乳についても産地の出荷制限や放射能汚染で混乱している。まさに、核戦争や核テロが起きた訳ではないが地震・津波の災害により起きた二次災害と言えるののではないでしょうか。都内の人々の電力も東北の福島の原発に頼っており、都内に原発がある訳ではない。都市は食料もエネルギーも自分で賄う構造では無い事が判ります。

 今回の地震津波は千年に一度という災害だそうですが、これが、東京湾で起こればどうなるか、恐怖が走ります。多くの埋め立て地や扇状地、そして多くの川を津波が遡上する、私が住む新横浜も鶴見川河口から津波が遡上し大きな被害を受ける可能性もある。

 安全な場所は判らない、考えられるのは縄文海進時代の貝塚の位置が思い浮かぶ。考古学を学び学んだ事は縄文海進時代の海岸線だ。これも、一つの目安となるかもしれない。先日、荏原古墳群(田園調布古墳群)を歩いたが、多摩川を見下ろす台地の上に古墳群が建造されていた。4世紀から5世紀の頃に既に多摩川の氾濫や河口からの津波に対して安全な場所だったのではないだろうか。

 

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3.11大震災 今日の大倉山

 遂に東京都の一部では1歳未満の乳幼児には危険なレベルの放射能汚染が水道で発生したそうだ。一部埼玉や千葉でも観測された様子で、まだまだ予断を許さない原発事故のその後です。東京都は急遽、1歳未満の子供の居る家庭にミネラルウォータを配布始めた。まるで、核攻撃を受けた時のような様相である。

 今や、どの店でもミネラルウォータの棚は空っぽだ。先ほど、久しぶりに滅多に行かない生協にでかけたが、案の定、水も、牛乳も、スポーツ飲料も無い。納豆も全く有りません。生協は助け合いの精神やなかったんかいな、今本当に困ってる乳幼児を持つ家庭に優先的に配布する事でもやってるんやろか?

 北海道では牛乳は山ほどあるんと違うかな、何で、品物が無くなるやろ、不思議です。先日まで、北海道の北広島に居たけど、普段と変わらんスーパ、生協の状況でした。

  ところで、哲ちゃんの札幌時代の高校の同期の人が災害に遭遇したした時の生々しい記録がブログに掲載されていた。本当に、薄氷を踏む経験だったのですね。

  道産子テツ 災害の記録

 現在未だ、原発が危険な状態が継続し、安心できる状況ではない。津波での被害は想像を絶する大きな傷跡でありまさに、3.11は戦後社会の終焉であり新しい時代の出発の時代かもしれない。 

 幾ら万全の世界最大の防波堤も高さ10メータの防潮堤も今回は津波を防ぐ事ができなかった。まるで、中国の万里の長城を思い出す。自然と向かい合う姿勢に人間の技術の過信は禁物である事を示した。

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第9回 4Gの会 高尾山・陣馬山を歩く 陣馬山登山篇

 承前 第9回 4Gの会 高尾山・陣馬山を歩く 秘湯 陣馬の湯『姫谷』

 陣馬の湯『姫谷温泉』に一泊し、いよいよ陣馬山を奈良子峠経由で登り、陣馬高原下バス停まで歩く事にしました。陣馬山まで3.3キロ、陣馬高原下バス停まで4.4キロ合計7.7キロの行程です。問題は雪の状態でした、悪ければ引返す積りでした。

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 姫谷温泉から30分程度登ると昨日登った高尾山が見え始めました。

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 雪の中、奈良子峠に向かいます、これくらいの雪なら大丈夫のようですね。

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 奈良子峠を通過し、いよいよ陣馬山を目指します。あと1.5キロ程度です。

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 陣馬山山頂に到着です、ほぼ雪道でしたが、コース時間で到着しました。

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 マイフォト 陣馬山登山 陣馬の湯から奈良子峠経由陣馬山コース 写真集

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第9回 4Gの会 高尾山・陣馬山を歩く 秘湯 陣馬の湯『姫谷』篇

 承前 第9回 4Gの会 高尾山・陣馬山を歩く 高尾山下る篇

 高尾山登山口で宴会をしたあと、JR高尾駅に戻り、中央線に乗り換え藤野駅を目指し、本日の宿である秘湯 陣馬の湯『姫谷』を目指した。

20113takao_095  藤野駅の案内板です、ここから山を登り秘湯 陣馬の湯『姫谷』まで、4.4キロの道を歩きます。温泉宿に電話すれば迎えに来てくれるが、我々は夜の酒を美味しく賞味する為に歩く。

結構標高差があるので、疲れました。

20113takao_104  途中こんな看板に遭遇しましたが、先日(3月22日)北海道の北広島に住む娘の庭に沢山のこれと同じような鳥が群れで飛んで来ました。

20113hottskaidou_138 ヤマセミは千歳の鳥とも言われているので、多分ヤマセミではないかと思います。十数羽の群れで飛んで来ました。大きさは鳩を一回り細めにした感じで大きな鳥でした。頭の冠羽が目立ちました。残念、望遠レンズが手元に有りませんでした

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 御嶽神社です。木曽の御嶽神社の末社でしょうか。

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 高尾山を登ったあとなので、結構疲れました、ヘトヘトで到着です。が、幹事の私の手違いで予約が入っていませんでした、宿の御好意で我々4名は宿泊する事が出来ました。宿泊客は我々だけでしたけどね。

 タイムスリップしたような、素朴な秘湯に相応しい温泉宿です。石油ストーブを焚き暖をとります。露天風呂には落ち葉が仰山蓄積していましたが、山の中の秘湯とはこんなものでしょう。素晴らしい自然です。

 マイフォト 陣馬山登山 陣馬の湯から奈良子峠 写真集

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第9回 4Gの会 高尾山・陣馬山を歩く 高尾山を下る篇

 承前 第9回 4Gの会 高尾山・陣馬山を歩く 高尾山を登る篇

 残雪残る高尾山を歩いて登りました。下りは、雪が多いので危険と判断し高尾山薬王院を参拝してケーブルカーで下山する事にしました。

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 真言宗智山派の三大本山の一つで正式には高尾山薬王院有喜寺と呼ばれており、川崎大師平間寺、成田山新勝寺とともに繁栄しています。(商売が上手)

 御本尊は長野県の飯縄山発祥の飯縄大権現という神仏習合の神さんで、写真の大天狗(団扇を持つ)や小天狗(カラス天狗)の姿で現れる。山岳宗教の芽生えで、古くは飛鳥時代の葛城の『役小角(えんの おづぬ)』の系統である山岳宗教ではないでしょうか。

20113takao_063  これが、くちばしを持ち剣を振りかざす小天狗(カラス天狗)です。武田信玄も上杉謙信も神仏習合の山岳宗教を崇拝しました。謙信は特に不動明王を崇拝し、自分は化身であると信じたようです。

どうも、インドのヒンドゥー教のシバ神ではないかと考える説もあるようです。戦いの神でもあります。しかし、天狗の背中には翼があり、キリスト教のエンジェルの影響もあるように思えますね。

 むしろ、カラス天狗はガルーダにそっくりだと思いました。人頭有翼牡牛像は中東のアッシリアの宮殿を守る神としていますね。起源が何処なのか、判らないですが、少なくとも世界規模の神話が背景にあるのではないだろうか。

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 マイフォト 高尾山稲荷山コース 写真集

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寒い北海道から帰還しました

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 先週金曜日に千歳に着くと、大雪でした。孫の小学校卒業式に参加する為に出かけた。北広島の娘夫婦の自宅は雪に埋もれていました。

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 二人目の孫もあと3カ月もすれば2歳となります、くつろいでテレビを観ています。

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 長沼は近くで、白鳥が沢山羽を休めています。今回は二度目の白鳥との出会いでした、毎年この季節は白鳥が沢山いるようです。

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震災5日目の大倉山

 次から次に福島第一号原発では事故が報告される。1号機から4号機まで異常事態が報告されている。遂に先ほど、5号機でもプールの水位異常が報告され、1号機から5号機まで異常である。先ほど、4号機で二度目の火災が発生したそうだ。放射能がひどくて手を打てないそうだ。ヘリで上空から水を散水する案を検討していたそうだが、未だに手は打たれてない。

 昨日から福島原発から半径20キロから避難、20キロから30キロの人々は屋内避難の政府指示がでている。依然として、1号機から燃料棒が半分程度露出している状態が続いているそうだ。各自治体では空中の放射能測定が昨日から始ったようです。

 昨夜10時過ぎに大きな地震が発生した、静岡東部が震源のようで震度6強というかなり大きな地震でした。東海沖地震ではないようで、ホットしましたが、富士山が心配ですね。赤とんぼのメンバー二人が近くに住んでいるので心配です。

 『スーパー、コンビニ、生協』

 近くのスーパーでは開店前から長蛇の列である。どないしたんでしょうか、並んで入ると直ぐに館内放送で電池、懐中電灯は売り切れで入荷予定なしの放送です。豆腐やおにぎりやパン、インスタント麺、棚が空っぽである。何が起こっているんでしょうか、クッキーを山ほど購入し籠に入れてるお客さんが目の前にいる。

 トイレットペーパー事件は確かオイルショックの時でしたね、買占め騒動が起こった馬鹿な事件を思い出していました。生協前にも長蛇の列です、家内に訊くと今日は米が入荷する日だそうです。皆さん、1年間は家に閉じこもり避難生活する覚悟なんでしょうか。人間の心理とは怖いものですね。面白いので、コンビニも覗いてみたが、やはりおにぎりを始め食糧の棚やお菓子、即席めん、非常食関係の棚は全て空っぽです。

 買い占める人の心理は自分だけ、自分の家族だけが生き延びようとして行動してるんだろうか。情けない光景だと思う。ただ、総理が会見で20キロから30キロ圏内の人々は屋内避難の命令を出したので、被害が拡大すると何時横浜も避難圏内に入り、屋内避難を強いられるか心配で買占めをしているんだろうか。

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戦後最大の危機か

 安全保障上、今は戦後最大の危機に直面している可能性があるのではないだろうか。福島第1原発2号機では午前6時過ぎに爆発音があり、サプレッションプールが損傷している可能性が高いと言う。放射線も毎時8200シーベルト/時間まで上昇し、注水作業に関わらない職員は一時的に、全て原発の外に避難を始めたそうだ。(8時51分におけるasahi.com情報による)

 2号機は昨夜11時頃から燃料棒が露出した儘で長い時間経過したようですから、メルトダウンが起こっている可能性が高いのではないだろうか。この数日間の東電の福島原子力発電所に関する報告は多くの政府関係者を含め、国民は不満を抱いている。

 現場では必死で作業している人々がいるんでしょうが、大本営発表のような本当に現場の危機が判って発表しているか不信感が拭えない。そういえば、柏崎刈羽原子力発電所の事故の時もそんな危惧を抱いた記憶を思い出した。

 昨日の3号基の水素爆発の映像は凄まじいものだった。救助した人間が被爆してるという事で、原発事故の災害から逃れる為に、米軍の第7艦隊は北方向に逃げたそうではないですか。最悪のシナリオは一切誰も言わない、それが、現状の福島原発の報道ではないでしょうか。

 1号機から始まり、3号機、そして2号機と同じ失敗を三回も繰り返した。そして、先ほど、米軍に原子炉冷却化の援助依頼を行ったという。万策尽きたのか、そして、米軍が冷却の為のポンプを基地で調達し、2号機に運ぶそうだ。情けない話だ。日本が誇る原子力の科学力はたかが、ポンプさえも調達できないのか。

 親方日の丸のような会社の体質が遂に、露呈したのかも知れない。

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3世紀 関東にも前方後円墳は存在したのか その2 亀甲山古墳

 承前 3世紀 関東にも前方後円墳は存在したのか その1 宝莱山古墳

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 前回は田園調布古墳群の宝莱山古墳が3世紀築造の可能性があるという説を述べる古庄浩明さんの話を紹介しました。通説は4世紀末というのが今までの常識です。この宝莱山古墳の前方部は南の方角を向いています。そして、向かう会うように前方部を北の方角に向けた大きな前方後円墳が存在します、それが亀甲山(かめのこやま)古墳、国史跡です。

 どうやらこの亀甲山古墳は宝莱山古墳の次に古い古墳だそうです。従来の説は5世紀前半です。発掘されていないので、詳細は不明だそうです。

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亀甲山(かめのこやま)古墳 国指定史跡
古墳展示室での亀甲山古墳の説明です

亀甲山(かめのこやま)古墳説明

古墳の前の説明板の内容です。

亀甲山(かめのこやま)古墳と多摩川台古墳群一番南に有るのが亀甲山古墳で小さな時代が下がるが古墳群が北の方角に向かい、丘陵の背に沿い並んでいる。最初の首長墓は宝莱山古墳であり、その次の時代の首長墓が亀甲山古墳であると考えられる。南北の大きな首長墓と考えられる二つの古墳の間に6世紀、7世紀に沢山の1号墳から9号墳まで円墳が築造された。
 

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津波の惨劇に目を覆う

 M9.0という地震のエネルギーだったようだ。今日から我が家も一日6時間の停電生活が始まる。朝9時20分から午後1時まで、そして、夕方6時20分から夜の10時までだ。朝の通勤電車も本数が減らされたり、運休になったりで現役の皆さんは大変だ。

 訂正:最新の情報では私の町は第3グループに属し、12時20分から16時までの間に3時間停電するそうです。ホンマ、昨夜の通報は何なんだ。(怒)

 何で公共運輸機関とか病院とか信号とか公共のインフラまで停電させるんでしょうか。自宅で停電するのは我慢できるが、公共のものは何とか優先して電気を供給してやって欲しい。

 朝9時20分からの停電に備えて、トイレ用の水の確保とか洗濯を家内が着々と進めている。しかし、夜はローソクですね、夕方6時20分から10時まで、インターネットも出来ないし、固定電話は光なので、使用不可、テレビも観れない、敬虔なキリスト教徒の生活を送らねばならない。

 幸い、我が家にはアメリカ時代からのローソクが多量に存在するので、大丈夫である。出来れば、ランタンがあれば良さそうですね。ガスがあるので、料理は可能、オール電化の人は残念ですね。石油ストーブもあるので、暖房も可能である。

 『津波の被害に思う』

 海岸で住まなければならない人々にとり、津波はどうしょうもない。1万人行方不明という町が2カ所出て来ました。一瞬に町全体が津波に呑みこまれたのだ。20年に1度という間隔で津波の被害がでるようであれば、根本的な町のグランドデザインが必要ではないだろうか。

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明日から東電では輪番停電

 我が家は港北区、明日から朝9時20分から午後1時までと18時20分から22時までが停電となる。何で一日に2回も停電があるんでしょうか、それともこの中で3時間停電となるんでしょうか、判らない。どうやら、2回も停電があるようです。

 突然に東電が宣言した、勿論政府も了承している。

 テレビでは東電では一日あたり、1千万キロワット不足すると言うてましたね。東電・東北電力・北電は50ヘルツ、中部・関西・中国・四国・九電は60ヘルツで相互供給は周波数変換が必要であり、多量の電力供給は出来ないそうだ。

 しかし、冷蔵庫はどうするかですね。1日2回も6時間も停電すれば、融けますね。

 夜は、ローソクですね、懐かしいです。我が家には山ほどローソクがあるので、大丈夫です。問題は、固定電話ですね。光電話なので、電力が供給されないと電話が受信も送信も出来ない。昔の電話は電力が必要なく、電話線から供給されていた。

 従い、停電の期間は固定電話も出来ない事になる。携帯電話での対応となる。

 さて、どうなる事になるのでしょうか。自家発電の無い会社ではどうするんだろうか。

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地震三日目 横浜

 同期のオホーツク生まれの哲ちゃんは、遂に、地震当日は新横浜の事務所で泊まる事になったようです。帰宅の足の目処が立たなかったのですね。昨日やっと自宅に戻れたようですが、新横から松戸の自宅まで6時間もかかったようでした。詳細 哲ちゃんブログ

 明日から東京では皆さんちゃんと会社に行けるのでしょうかね。交通機関の詳細な確認と運転されてる本数を確認する必要があります。とにかく、原子力発電所が厳しい状況なので、電力が心配です。大学時代のワンゲルの先輩からのメールでは、関西電力・中部電力から東電に電力を供給するそうで、関西地方でも節電をお願いしてるそうです。

 福島の原子力発電所の1号基、2号基、3号基ともに危機的状況にあるようです。1号機は既に廃炉覚悟で海水の注入を始めたようです。今日の朝になり3号基も自力で冷却が出来ないようになったようです。小牧からC130輸送機で東芝の冷却用タービンを福島の原子炉に緊急輸送していたが、どうなったのか。

 既に、1号基では被爆が始まったようで、20キロ離れる必要があります。2号基も同時に避難命令がでたようですが、2号基の状況が公表されているんだろうか、心配です。朝になり、3号基も冷却が不可だという。3基の原発が異常事態であり、世界的に危機だと考えられているのではないでしょうか。

 こんな事では、世界に原子力発電所を売り込んでいる時に大きなダメージを受けている。しかし、何で日本では原発が全て海岸にあるんだろうか。地震や津波の影響を一番受けやすい場所に何故、建設しているんだろうか。

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地震二日目 横浜

 朝の2時過ぎに、ほうほうのていで息子が自宅に辿り着いた。東京都は頑張った、私鉄の東急さんも頑張ったようです。一時は、東急に乗り継げないので、途方に暮れたそうだが、東急は頑張って深夜であるが、電車を走らせたそうだ。乗客からは拍手が湧いたという。

 それにつけてもJRはどないなってんでしょうね。是非、今回の地震が終息した時点で徹底的に公共機関としての行動を分析し、次世代に生かせるような調査・分析が必要だ。

 朝、大倉山駅前の八百屋さんでは、朝帰りの若いOLさんが買い物をしていました、昨夜は帰宅出来なかったそうです。そんな人々が多かったのではないだろうか、それは、全て、JRが一切の電車を動かさなかったからである。

 しかし、青森、岩手、宮城、茨城にかけての太平洋側は津波により甚大な被害を受けている。あの神戸淡路大震災の250倍のエネルギーが放出されたという。津波は海岸の村落を飲み込んで跡かたも無い。悲惨な事態が起こってしまいました。つい最近、九州の霧島連山で噴火が起こり、驚いていたが、どうやら列島は地震・噴火の活動期に突入したんだろうか。

 日本海側でも東北で地震が発生している。列島は地震・噴火の活動期に入ったように見えますね。政治も駄目だが泣きっ面に蜂ですね。神は日本に試練を与えていると考えましょう。頑張って、苦境を乗り越えましょう。

 昨日から安否を伺う電話が我が家にかかっています、メキシコ在住の娘からは2回も電話があったそうだ。北海道からも、京都からも、大阪からも有りました。皆さん、関係者の皆さま御心配をおかけしました、我が家の面々三人は元気に暮らしています、有難う御座いました。

 

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午前2時過ぎに無事に息子は帰宅しました

 東京では殆どの公共交通機関が地震のの発生から動かなくなり、帰宅出来ない人々が多くなりました。息子から夕方公衆電話から連絡があり、今日は帰れないとの連絡。

 しかし、夜の10時過ぎに連絡があり帰宅できそうだからと連絡、彼が自宅に到着したのは午前2時過ぎだった。東京の地下鉄は頑張り、私鉄も必死で頑張ったようです。今でも、頑張って運転を続けている。JRは早々と今日は運転しないと宣言したが、それで公共機関としての責任観はあるんだろうか。

 東京都は地震災害のシュミレーションを綿密にしていた、都の公共機関は必死で頑張っている、東京都知事の顔が見えるようです。日頃のシュミレーションと準備が何とかパニックを食い止めているようだ。

 しかし、津波の恐ろしさを今回は知りました。

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宮城北部で震度7 横浜も大地震

 近くの大倉山のスーパーで地震に遭遇しました。酒のコーナー近くでしたが、多くの瓶が棚から落下し、天井からぶら下がった大きな蛍光灯が大きく揺れ、自立出来ない程の地震でした。数分間揺れは続き、なかなかスーパーから脱出できなかった。観測史上最大の地震だそうです。

 フロアーには酒や飲料水が流れていました。5分程度過ぎ、未だ余震が続いているが外に出て、家内が心配なので買い物を中止し外に出た。スーパーの外では人々がしゃがりこみ、恐怖の状況。自転車に乗り、家内が仕事ををしている場所に行き、安全を確認する。安全そうなので、自宅の様子が心配なので、自宅へ。

 玄関のドアは幸い開きました、一番心配なのは大きな柱時計ですが、大丈夫でした。テレビも、食器棚も大丈夫でした。石油ストーブの上に置いていた鍋の水は殆ど外に投げ飛ばされていました。

 その後も何回も大きな余震があり、その度に柱時計が倒れないか、心配で支えていました。夕方、4時半頃に家内も帰宅し、お互い無事でした。息子は6時頃に公衆電話から電話があり、職場で無事だそうですが、電車は全て動いていないので今日は帰宅が不可のようです。

 

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第9回 4Gの会 高尾山・陣馬山を歩く 高尾山を登る篇

 承前 第9回 4Gの会 高尾山・陣馬山紀行 無事帰還しました

 今回で早くも9回目の山と温泉を楽しむ会となりました、この会の名称は『4Gの会』と名乗る事になりました。名前の由来は4人の爺さんという、ただそれだけの事です。今回は前日に関東一円は大雪に見舞われ、横浜も東京も大いに雪が降り積り予定決行は無理かと思われました。しかし、今まで一度も天気から見放されていない4Gの会は高尾山に向かった。

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 朝の10時前に京王線高尾山口に集合です。横浜組は横浜線で八王子経由高尾駅に向かい、京王線に乗り換え高尾山口到着です。東京・千葉組は新宿から京王線で1本、終点まで簡単です。

当日は快晴、雪は相当残っていそうですが、何とかアイゼン無しで登れそうです。我々は稲荷山コース3.1キロ90分コースを撰んだ。登った状態で今日の予定をどうするか決める事にした。

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 此処が稲荷山コースの登り口です、ケーブルの駅のそばに有りますね。今日も何人かはこのコースを登る人々がおられるようです。我々だけではなさそうです。

問題は雪の状態だけです、登りながら判断する事にしました。

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 5分程度登ると直ぐにお稲荷さんの祠がありました。祠の前には少し広いスペースがあり昔は此処に神社が存在した可能性が有りますね。

先ずは稲荷山の展望台を目指して登ります。

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 稲荷山の展望台です、八王子から池袋・新宿方面、そして天気がいいと筑波山が観えるという事だそうです。今日は、残念ながら霞がかかっています。此処までは4~50分でしょうか、1ピッチで休息をとります。次は高尾山頂上を目指します。

 マイフォト 4Gの会 高尾山稲荷山コース 写真集

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3世紀 関東にも前方後円墳が存在したのか その1 宝莱山古墳

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 私が爺さん4人組で高尾山・陣馬山の登山と温泉を楽しんでいる留守に、読売新聞3月9日朝刊文化欄にて聞き捨てならない記事が掲載されていた。『前方後円墳 3世紀関東にも』という見出しであり、従来の「畿内より遅れ」に異論とある。こんな話初めてであり、誰か小説家か面白半分で記事を書いたかと思ったが、ちゃんとした考古学者が二人唱えているようだ。

 という訳で、何回になるか判らないがシリーズでこのテーマを追求したいと思います。

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 実は駒澤大学の非常勤講師の古庄浩明さんがそのうちの一人のようですが、私の住んでいる大倉山から電車で数駅渋谷寄りの多摩川駅近くの田園調布古墳群の一つ、宝莱山(ほうらい)古墳に注目しているようだ。

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 関東では一番古い前方後円墳と考えられるこの古墳は、前方部が三味線のバチが開くような格好であり全長97メータの古墳だ。この形態は箸墓や椿井大塚山古墳の墳形と似ており、同じ時期に築かれたのではないかと推論している。(形が同じだから同じ時期とは限らないけれどもね)

 従来の研究ではこの古墳は4世紀前半の古墳であろうと考えられていたが、古庄さんは同古墳で見つかっている、縁が二重で円形の模様があるつぼ型土器が3世紀末の可能性が高いと述べているそうだ。

参考 桜井茶臼山古墳出土 二重口縁壺

 朝からおにぎりとお茶を用意し、リュックを担ぎ、インデージョージはこの田園調布古墳群の宝莱山古墳と古墳展示場を目指した。

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第9回 4Gの会 高尾山・陣馬山紀行 無事帰還しました 

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 雪の高尾山・陣馬山を登り、陣馬の湯で一泊しました。合計34000歩だったようです。

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 高尾山です、稲荷山コースを歩いて登りました、凄い雪でした。

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土師氏と埴輪と円筒棺あれこれ その2 円筒棺

 承前 土師氏と埴輪と円筒棺あれこれ その1 石材の確保

 円筒棺墓については、聞き慣れない人が多いのではないでしょうか。藤井寺市の論文に戻ります。

  藤井寺市 『土師氏と円筒棺墓』 を参照して下さい。

 土師氏の里遺跡からは100基以上の写真のような円筒棺墓が見つかっているそうです。巨大な円筒埴輪を横にしたようで、中に被葬者をいれたようです。概ね、副葬品は存在しないそうです。土師氏グループの独特の埋葬方法であろうと考えられているそうだ。

 副葬品が無いので、埋葬時期の特定が困難なようです、100年前の円筒埴輪を再利用して棺桶に利用した例もあり、時代の特定が困難だという。6世紀後半以降のもう大古墳が作られなくなった後も円筒棺墓は存在するが、それは、陵墓の管理に携わった土師氏の人々の円筒埴輪再利用である可能性が高いと推測される。

 土師氏は何故このような棺桶を使用したんでしょうか。自分たちが作る特殊な円筒埴輪に特別の宗教的な意味があったのでしょうか。ところで、埴輪の起源に関わる日本書紀の記述ですが、藤井寺市の論文『埴輪の起源説話』を参照して下さい。

 倭彦命(やまとひこのみこと)の葬儀に際して近習者を集め生きたまま埋め立て並べたという凄まじい記録があります。倭彦命を守る楯となるべく周りに生きたまま楯を持ち立ったまま埋められた。本当にこんな葬送儀礼が垂仁天皇の頃まで続いていたんだろうか。

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土師氏と埴輪と円筒棺あれこれ その1 石材の確保

 最近、箸墓古墳とホケノ山古墳の南東の近い距離で茅原大墓古墳の周濠部から案山子のようなかわいい顔をした楯持ち埴輪が出土しました。そこで、埴輪について最近疑問に思う事が幾つかあり、調べています。

 先ず、円筒埴輪です、此れは何を意味する埴輪なのか今も私は判っていません。それから、記紀では人物埴輪の起源について垂仁天皇の頃の出来事ととして、野見宿禰が進言し殉死を止めさせ、代わりに人物埴輪を使用するようになったと言う。しかし、今の所、考古学の世界では箸墓の特殊器台は吉備にルーツがあるという考えで、出雲とは関係が無い事になり、野見宿禰の出雲説は考古学の世界では証明されていない。では、何故、記紀はそんな神話を掲載したのかが謎です。

Photo

 私は前方後円墳の目立つ墳丘や段差のある部分(通常は三段築造である)に並べられた円筒埴輪や楯持ち埴輪は何を意味するのか不思議です。そこで、土師氏の故郷であり、円筒棺が続々と発掘された古市古墳群の仲ッ(津)山古墳の東南近辺から道明寺南小学校までの辺りのグーグルを掲示します。

 グーグルアース 土師氏の里

「hajishisato.kmz」をダウンロード

 仲ッ(津)山古墳は応神天皇の奥さんでこの古墳は古市古墳群では二番目に古い古墳だそうです。この古墳の東南の地域が土師氏の故郷であると考古学の世界では考えられています。もうひとつ、土師氏の本拠地がありますが、それは佐紀盾列古墳群がある地域です。

 先ず、円筒棺は御存知でしょうか、円筒埴輪を利用したり又は新たに円筒埴輪型の棺を作成し、死者を中に入れ埋葬したものです。この円筒棺がこの地域で多量に発掘され、研究が進んだそうです。ひょっとすると、円筒埴輪は元来、棺桶だった可能性が出てこないのでしょうか。

 さて、藤井寺市では私のような人間に答える形でちゃんと『土師氏のふるさと』という考古学的見地より素晴らしい資料を公開していました。

 藤井寺市 『土師氏のふるさと』 論文集

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諸国荘園年貢表

  網野善彦さんと森浩一さんの対談集『日本史への挑戦』(大巧社)を読んでいると、諸国荘園年貢表(網野さん、『女性の社会的地位再考』から抜粋)が掲載されていた。日本各地の荘園からどんな種類の年貢が納められていたかが判ります。

 全国の荘園の年貢表を眺めた第一印象は意外と米を納めている荘園が少ないという事です。関東の荘園の年貢は殆どが布か絹なんですね。驚きです。

 『米を年貢とする荘園』

 ・近江33(40)、大和27(41)、山城17(29)、筑前13(13)、越前12(14)、丹波11(16)、河内8(13)、播磨8(15)、備中7(9)、紀伊7(12)、肥後7(9)、越後6(9)、伯耆6(11)、遠江5(8)、若狭5(6)、阿波5(13)、築後5(5)、伊勢4(14)、備前4(5)、讃岐4(6)、伊予4(8)、肥前4(4)、伊賀3(4)、加賀3(6)、能登3(6)、出雲3(11)、周防3(8)、豊後3(3)、薩摩3(3)、

 注:表の見方ですが、例えば近江には40カ所の荘園が有り、そのうち33カ所の荘園は米を年貢として納めていました。ですから、この順番は米を年貢として納める荘園が多い地域から列挙しています。これは、荘園時代の米の生産力の順位かも知れません。備前・備中・備後を合計すると13カ所の荘園が米を年貢ととして納め、筑前と並びます。

 殆どが近畿圏、越の国から西日本です。近江・大和・山城・筑前・丹波・河内と大和王権が誕生した地域と九州です。米の生産力という点や人口も圧倒的にこの地域が抜きんでていたと考えていいのではないだろうか。

 『関東地方の荘園』

 ・伊豆(3)布2、魚貝海藻1 ・甲斐(6)布5、絹2

 ・相模(4)布3、御簾1、畳1 ・武蔵(4)布3、絹2、馬1

 ・上総(4)布4、綿3、米1、油1 ・下総(2)絹1、布1、綿1

 ・常陸(5)絹5、綿2、油1、布1 ・美濃(24)絹24、綿3、糸5

 ・信濃(6)布6          ・上野(1)布1

 ・下野(4)絹4、布2、馬1   ・陸奥(7)布4、金4、馬4、絹1

 ・出羽(4)馬4、布3、金1   ・佐渡(1)貝鮑1

 ・駿河(3)布2、絹1、綿1   ・三河(2)米1、絹1

 ・尾張(14)絹12、糸7、漆1 ・志摩(4)贄3、塩1

 注:見方は例えば尾張では14カ所の荘園があり、その荘園で絹を税として納めていたのが12カ所、糸を納めていたのが7カ所、云々と読んで下さい。

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2011年3月4日 大倉山梅園 満開なり

 承前 大倉山梅まつり 直前情報

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 大倉山梅園は満開です。今日は天気がいいので、出かけました。茶店が二軒でているので、食事も酒も茶も堪能できます。

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 この枝垂れ梅見事な花を咲かせるようになりました。池のほとりに咲いています。

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 ところで、梅園の丘に登ると世界一になったスカイツリーが見えるのですよ。新宿副都心のビル群の右手方向にはっきりと観えます。

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 ブルースカイと天にンビル梅の花、地味な梅が実は派手なんですね。

 マイフォト 2011年 3月4日大倉山梅園満開 写真集

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吉備関連の古墳群メモ

 吉備関連の古墳群についてメモを残しておきます。以前、箸墓古墳の相似形古墳として注目される浦間茶臼山古墳について、同じく相似形の私の地元の禁野車塚古墳、木津川の南山背の椿井大塚山古墳について触れました。

 参考 禁野車塚古墳関連メモ(Ⅱ)

 参考 オオヤマト古墳群と古代王権 その1

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 グーグルアース 浦間茶臼山古墳

「uramachausuyama.kmz」をダウンロード

 浦間茶臼山古墳は吉備地方の最古の前方後円墳であり、纏向の箸墓古墳の1/2のスケールで築造されている事は同じ設計図から築造された古墳であると考えられ注目されている。又、都月型埴輪との関連についても以前に詳しく記録しました。私は、箸墓古墳の被葬者は記紀でヤマトトトビモモソヒメと記録されており、同じく弟が吉備津彦命であったという記録があります。

 吉備津彦は孝元天皇(孝霊天皇の異母皇子)の皇子である武埴安彦と木津川から樟葉のあたりで戦い破っている。森浩一さんの話では古代最大の内戦だったと語られています。戦場が私の故郷なので、何回も記事は書いています。私は箸墓古墳が卑弥呼の陵であれば、記紀で述べるヤマトトトビモモソヒメが卑弥呼であり、政治をサポートした男弟とは吉備津彦ではないかと思います。だから、同じ設計図で古墳が築造されたと考えます。

 どうも記紀では崇神天皇以前の記録が天武天皇の時代の武力・男王中心という考えから本当は巫女さんが権力の最高位におられ、男達は巫女に従い政治をする世界だった事を理解しなかったか、抹消したかったかどちらかではないだろうか。要は、三輪王権の時代は巫女さんが政治の上に君臨していた時代ではなかっただろうか。これが、激変したのは、河内王権即ち、神功皇后・応神天皇の時代から武力中心に激変したではないでしょうか。古墳の副葬品が激変するのが一つの証拠ではないだろうか。

 

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なごむ埴輪で街おこし

 本日の読売新聞朝刊によると、古墳の埴輪のあどけない、なごむ顔とか姿をモチーフに街おこしキャラを作り成功している地域が増えているそうです。

 先ず、埼玉の本庄市の事例です。

 ・『はにぽん』というキャラが人気だそうです。皆さん知りませんね、こんなキャラです。

  参考 『はにぽん』キャラ 洋菓子店でキャラクッキーが人気だそうで、街全体が笑顔の埴輪により活性化してるそうです。

  ところで、この『はにぽん』にお元の埴輪は前の山古墳から1998年に出土した埴輪です。先日、纏向遺跡の茅原大墓古墳から出土した埴輪と同じく、楯を持ち頭部を派手に飾った姿で武人ですが、何故か、顔は笑っている。纏向の茅原大墓古墳出土の埴輪と似ているのです。こちらは、地元では『笑う盾持ち人物埴輪』と呼ばれているそうです。

 600以上の古墳が市内に点在し、全国的に珍しい笑顔の埴輪が多く出土する場所だそうです。

 参考 本庄市立歴史民俗資料館資料   同じく笑う盾持人物埴輪

 これ、纏向遺跡の茅原大墓の埴輪とどちらが古いかと考えると、勿論、纏向の埴輪の方が時代は古いでしょうね。そういえば、稲荷山古墳をはじめ、埼玉古墳群を訪問した時にヤマトの垂仁天皇の時代と関係する伝承が幾つか残っていた記憶が有ります。垂仁天皇といえば、纏向珠城宮に宮を置かれた天皇でしたね、纏向と繋がります。

 先日報道された、三輪山山麓、箸墓古墳、ホケノ山古墳近くの茅原大墓古墳出土の笑顔の縦持ち人物埴輪から遥か関東の埼玉の古墳と繋がりました。

 

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2011年 『赤とんぼ』冬合宿報告書 その4 管理人写真集

 承前 2011年 『赤とんぼ』冬合宿報告書 その3 

 山小屋管理人より写真が送付されて来ました。アルバムにして掲載させて貰います。

 山小屋管理人写真集 2011年 『赤とんぼ』冬合宿写真集

 幾つかご紹介します

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 岩岳スキー場のゲレンデから八方尾根方面を望んでいます。

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 同じく、白馬の峰々の姿です。素晴らしいスキー場ですね。

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2011年 『赤とんぼ』冬合宿報告書 その3

 承前 2011年 『赤とんぼ』冬合宿報告書 その2

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 白馬村から眺める唐松岳です。この素晴らしい後立山連峰の眺めを拝む為に年に三回この白馬村に来ています。1978年から赤とんぼは続けています。

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 白馬鑓と杓子岳、素晴らしい眺めだ。

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卑弥呼は吉備地方出身か 箸墓古墳に龍のデザイン(読売2011/3/2)

 本日、読売新聞朝刊に民博の考古学の重鎮である春成秀爾(はるなり ひでじ)さんが吉備地方の文化と纏向遺跡の文化の共通性について触れ、掲題のような見出しで論文が掲載された。

 春成さんは、数年前に私が早稲田の考古学教室で学んでいた頃に、早稲田が会場で開催された考古学協会の学会に来られ、あの、センセーショナルな箸墓古墳築造は240年~260年という放射性炭素14法での発表で会場が騒然とした場面に立ちあいました。今回の論文の要旨を紹介します。

 『弥生後期の土器に描かれた龍』

 ・弥生時代後期の1世紀から2世紀の頃には土器に龍の絵を線で描いていた。龍の絵は近畿と吉備を中心に静岡から鹿児島まで分布が見られる。

 ・その特徴は尖った頭で、S字形に身体をくねらせている。魚のヒレ形の四肢を持っており、龍を水棲のサメに近いものと考えていた。

 ・大阪の池上曽根遺跡出土例では龍の後ろに木の枝を逆さにしたような線刻があり、龍の後ろ足の一つがその線の一つに乗っかり、龍が稲妻に乗って降りてくる様子だと考えられている。(樹状雷光) 龍は水を司る精霊であり稲妻により姿を現すと考えていた。

  参考 池上曽根遺跡(ドラゴン土器)

  『吉備特有の土器』

 ・同じ頃、吉備では頭は人で身体は龍という人面龍身を土器に描く習俗がありました。例えば、岡山市足守川加茂A遺跡や総社市横寺遺跡から実例が出土している。人面龍身は龍と人が交わって出来た神話と考えられ吉備の人々がそのような神話を信じていた。

 ・倉敷市楯築墳丘墓は2世紀終わり頃に築造された、全長80メータの吉備最大の墳丘墓である。その上に置いてあった弧帯(こたい)石は一辺が90センチで厚さ30センチの大きな石の全ての面に複雑な弧帯文が彫刻されていた。

 ・この石にも人面が彫刻されており、人面龍身を更に複雑化して立体的に作られ、吉備の大酋長の祖先は龍であった事を示していると考える。

 ・又、この楯築墳丘墓からは高さが120センチに達する巨大な器台も出土している。この器台には酒を入れた壺を載せて被葬者に捧げた祭祀に利用されたものと考える。楯築墳丘墓の器台には綾杉文(木の枝の形)即ち、稲妻の段階しか描かれていないが、次の段階になると弧帯文即ち龍を施し、特殊器台は吉備発祥の葬送儀礼に使用される祭器となりました。

 参考 岡山県古代吉備文化財センター

     同上 特殊器台参考

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埴輪あれこれ

 承前 茅原大墓古墳 盾持ち人埴輪

 先日、東博の古墳時代の埴輪が展示されているのを見学した。

 ・犬 群馬県伊勢崎市境上武士出土 かわいい首に鈴をつけた犬です

 ・埴輪 踊る人々 埼玉県熊谷市野原出土 モガリという葬送の場での歌舞か

 ・埴輪 腰かける巫女(重文)群馬県大泉町古海出土 古墳時代の巫女の姿

 ・埴輪 挂甲の武人(国宝)群馬県太田市飯塚町出土 東国武人の姿

 ・橿考研博物館 古墳時代の埴輪 

 ・桜井市立埋蔵文化財センター 出土遺物展示

 古墳時代の埴輪のあれこれ、一部です。埴輪に一番興味があるのは継体天皇の陵墓と考えられる今城塚古墳から発掘された埴輪群でしょうね。大王の宮殿や政務の状況が埴輪で表現されていたと思う。(色んな意見があります、葬送儀礼の様子だとか・・・)

 参考 継体天皇の時代徹底討論 今城塚古墳

 今回の茅原大墓古墳から出土した盾を持つ人物埴輪から、少し、埴輪についてメモを残しました。実は、隣の箸墓古墳が『卑弥呼さんの墓』だとすると、100人程度の奴婢が殉死させられ埋葬されたと魏志倭人伝は伝えている。

 埴輪の起源については、記紀によれば、垂仁天皇の頃であり、出雲から出張してきた野見宿禰さんが、殉死はかわそうだから、埴輪を作り身代わりにすると提案し、殉死が無くなったという話が有ります。人物埴輪が出ると記紀年代から言うと、垂仁天皇時代以降の古墳であるという事になりますね。

  

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2011年 『赤とんぼ』冬合宿報告書 その2

 承前 2011年 『赤とんぼ』冬合宿報告書 その1

 『飛行機篇』の続篇です

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 Ysさんのイージースターです。プッシャー型のブラシレスモータを、背中に積んでいます。上空にあがれば、モータを停止しグライダーとして楽しめます。モータが機首に無いので、空撮を行う飛行機としても最高ですね。

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 かっちんは今回は風邪を引き、体調不良でした。今回も自作の『セダクション100』電動機をとばしました。

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