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3世紀 関東にも前方後円墳は存在したのか その4 浅間神社古墳その他

 承前 3世紀 関東にも前方後円墳は存在したのか その3 田園調布古墳群

 5世紀末から6世紀初めの頃の古墳と考えられる浅間(せんげん)神社古墳の御紹介です。東急東横線に寸断された田園調布古墳群の亀甲山古墳の南方向にある古墳ですが、今は古墳の上に浅間神社が建立されています。

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 古墳展示室で浅間神社古墳について語られている事を御紹介します。

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20113tamagawadai_086  多くの興味ある埴輪が出土している事で有名だそうです。後円部の上に浅間神社が建造されているんですね。

東急東横線の車中からも良く見えます。私も昔からこの神社は古墳の上に鎮座されていると思っていました。

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20113tamagawadai_091  馬形埴輪と人物(男子)形埴輪です。説明によれば、一見坊主頭のようですが、額の両側に何かが剥がされた跡があり、『美豆良(みずら)』という男子だけがする髪形だったそうです。又、頭の真中に2㌢の穴があり、冠が取り付けられていた可能性が高いと想定される。

 顔は細長で弥生人の顔ではないだろうか。耳も大きいですね。なかなかの美男子ではないだろうか。

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 浅間神社から多摩川上流を眺める。

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 観音塚古墳と太刀形埴輪です。6世紀末の古墳と考えられ、江戸時代に出土した埴輪が観音様のようであり、古墳の名前が付けられたようです。

この大きな太刀形埴輪は祭祀で使用された、『玉纒(たままきの)太刀』だと考えられる。把の部分に勾金を取り付けその外側に三輪玉が4個取り付けてある。

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 須惠器の長頸壺その他です、多摩川台古墳群第9号墳出土だそうです。

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騎馬人物の彫られた埴輪片の紹介です。

少なくともこの南武蔵の荏原郡の地域には4世紀頃から、強力な豪族が支配していたと考えられます。3世紀まで遡れるかが、宝来山古墳が鍵を握るようです。

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