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土師氏と埴輪と円筒棺あれこれ その1 石材の確保

 最近、箸墓古墳とホケノ山古墳の南東の近い距離で茅原大墓古墳の周濠部から案山子のようなかわいい顔をした楯持ち埴輪が出土しました。そこで、埴輪について最近疑問に思う事が幾つかあり、調べています。

 先ず、円筒埴輪です、此れは何を意味する埴輪なのか今も私は判っていません。それから、記紀では人物埴輪の起源について垂仁天皇の頃の出来事ととして、野見宿禰が進言し殉死を止めさせ、代わりに人物埴輪を使用するようになったと言う。しかし、今の所、考古学の世界では箸墓の特殊器台は吉備にルーツがあるという考えで、出雲とは関係が無い事になり、野見宿禰の出雲説は考古学の世界では証明されていない。では、何故、記紀はそんな神話を掲載したのかが謎です。

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 私は前方後円墳の目立つ墳丘や段差のある部分(通常は三段築造である)に並べられた円筒埴輪や楯持ち埴輪は何を意味するのか不思議です。そこで、土師氏の故郷であり、円筒棺が続々と発掘された古市古墳群の仲ッ(津)山古墳の東南近辺から道明寺南小学校までの辺りのグーグルを掲示します。

 グーグルアース 土師氏の里

「hajishisato.kmz」をダウンロード

 仲ッ(津)山古墳は応神天皇の奥さんでこの古墳は古市古墳群では二番目に古い古墳だそうです。この古墳の東南の地域が土師氏の故郷であると考古学の世界では考えられています。もうひとつ、土師氏の本拠地がありますが、それは佐紀盾列古墳群がある地域です。

 先ず、円筒棺は御存知でしょうか、円筒埴輪を利用したり又は新たに円筒埴輪型の棺を作成し、死者を中に入れ埋葬したものです。この円筒棺がこの地域で多量に発掘され、研究が進んだそうです。ひょっとすると、円筒埴輪は元来、棺桶だった可能性が出てこないのでしょうか。

 さて、藤井寺市では私のような人間に答える形でちゃんと『土師氏のふるさと』という考古学的見地より素晴らしい資料を公開していました。

 藤井寺市 『土師氏のふるさと』 論文集

 是非、藤井寺市が公開している『土師氏のふるさと』を読んで下さい、面白いです。

 その1:古墳築造に必要な石材の確保

 ・土師氏は古墳を築造するのに必須である石材を少なくとも二カ所確保した事実を日本書紀と播磨国風土記で残した。それは、二上山の凝灰岩の石材と播磨国の竜山石の石切り場である。

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 ・先ず、二上山の凝灰岩ですが、日本書紀で野見宿禰が當麻の當麻蹶速を破り殺害し、土地を貰ったという。この事は土師氏が正統的な方法で二上山凝灰岩石材を切り出す権利をえた事を述べている。

當麻は二上山の山麓にあり、石器時代からサヌカイトが採集出来る二上山の重要な拠点であり、古墳時代の石棺や古墳築造に必要な石材の採集拠点でした。

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 ・二番目は、『播磨国風土記』にある野見宿禰の死亡記事です。ところで、野見は石材加工や木材加工の道具である、鑿(ノミ)でしょうか。藤井寺市の『播磨国風土記』の記事を読んで下さい、この記事は土師氏が竜山石を確保した事実を示していると述べています。竜山石は大王の棺には絶対的に必要な石材でした。

 土師氏が古墳の築造や大王の葬送に関わるには石材は必須だったでしょうね。この藤井寺市の論文は説得力があります。

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