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淡路島 古代のロマン

 承前 淡路島に弥生中期の巨大鉄器工房跡「2009年1月23日」

 2年前にこんな大事件が発生していた、今日、本件に関し「淡路島のタヌキ」さんからコメントを頂いた。リンクしていた新聞社のサイトの記事は既に全てリンクが切られ、頼みの淡路市の教育委員会や埋蔵文化財を調べたが、関連の資料がリンク出来ない。国民の税金を使い埋蔵文化財の調査をした人はその成果をインターネットで公開すべきであるというのが、私の持論だ。今でも、各地の教育委員会では発掘成果資料を紙媒体でしか製作していないし、パブリックに電子媒体で公開していない。

 司馬遼太郎が何故、考古学者を嫌ったのか、かれが関西で新聞記者の時代の苦い経験が背景にある。オープンで無いのだ、成果物を個人や組織で独占する、奇妙な風習が考古学の世界に存在したのだ。立命館の白川静さんは京大に行き、甲骨文字を毎日書き写した、そして、書き写している間に、甲骨文字の精神を身体で感じたのだ。

 考古学を進化させ、若い優秀な人材が沢山憧れて集まる世界を関係者は作らないといけない。なんて、偉そうな話をしたくなるように、現状は埋蔵文化財の関係資料は学会や地域の教育委員会に隠匿されている。しかし、歴博や橿考研を始めインターネットで公開する研究機関が最近は激増しているのは望ましい。今や、電子的に翻訳可能になり世界中の考古学ファンはインターネットで調査をしているのだ。

 不本意ながら、愚痴がでたが、淡路島の弥生中期の巨大鉄器工房跡の遺跡の話でした。淡路のタヌキさんが何で2年後にコメントされたのか真相は不明です。私には昔、職場に出雲のタヌキ、石見のタヌキの呼ばれる人材が親友としていた。子供の頃、川で天然記念物の『大サンショウ魚』を捕えて、藁で包んで焼いて食っていた人物がいた。

 淡路のタヌキさんのコメントを読んでいると、何か、出雲のタヌキさんを思い出していた。

 さて、今でもちゃんとこの遺跡を真面目に伝えているブログを紹介します。

 園田義明めも

Photo

 伊勢神宮関連の地図を表示します。現実に、グーグルアースを検索されれば緯度が正確に表示されます。

淡路のタヌキさんが、『クル』は製鉄と関係が深いと述べておられますが、そういえば、昨年暮れに、久留倍遺跡と壬申の乱ウオークで三重県を訪れていました。奈良時代の国衙の跡ですが、天武天皇・持統天皇がゆかりの久留倍遺跡でした。

 此処も、『クル』でしたね。この北緯34度32分の太陽の道は奈良盆地で三輪山と多神社と二上山を通過して行きます。

Photo_2

 私は多神社は三輪王朝と関係が深い場所であると考えています。近くに秦庄が存在しています。

 現在、太田微高地の纏向遺跡の大型建物跡が注目されているが、三輪山の謎を解くには多神社の謎を解かねば解決しないと考えています。

 京都の松尾大社も平安京の内裏も伏見稲荷も元糺の杜も全て秦氏と関係が深いです。そして、必ず伊勢神宮を遥拝する場所が存在するい事に昔から興味を持っています。

 秦氏と天武天皇、オオアマノオウジ=大、海女、海人の皇子=海の民の皇子 これが壬申の乱で日本史を劇的に変革しましたね。背景に、秦氏の存在を考えています。

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 弥生中期は北九州が鉄を握り列島を代表する勢力でしたね。しかし、淡路島に巨大な鉄器工房が存在した事は極めて重要な事態ではないでしょうか。

 死の商人が淡路島に鉄器コンビナートを築いていた、鉄素材は朝鮮半島の洛東江流域から鉄鋌を輸入していた。アワ族は四国と淡路島に拠点を持ち、アワ地方の吉野川は熊野の吉野に通じ、四国東から淡路島、紀伊半島南部を市場としていた可能性が高い。又、淡路のタヌキさんが指摘する、『クル』と鉄の関係の深さは、『クズ』と訛った可能性があり、北陸の鉄の拠点『九竜=くず』、や、私の出身地である『クズハ』や『クズ神』、そして、吉野の『国栖』とも関係が深いと考えていいかも知れませんね。

 淡路という名前は大阪にも十三近くの海運の便の有利な場所の名前として残っています。むかし、父母が住んでいたそうです。

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