倭人異聞
倭人、倭国という漢字を古代、中国人や朝鮮半島の人々は日本列島に住む人々に対して使用していた。倭という漢字は委(ゆだねる)に人が加って出来た漢字と考えられ、ゆだねしたがう、従順な人という意味と解釈されてきた。
過去の歴史に於いて、倭の成り立ちに於いて色んな論考がなされてきたようで、例えば、倭人は自分の事を『わ』『われ』と称した事が理由とか、倭人の人々は従順だったからとか、小柄で矮(わい)人だったからとか、中華思想からの蛮族に対する悪字であるとか説があるが未だに定説はないそうだ。殆ど中国でも倭という漢字が時代により、中国東南部、所謂、長江下流域の人々や、百越の人々を指したり、朝鮮半島南部の人々を指したり、日本列島の人々を指すと言う按配だ。
時代とともに、倭人や倭国は日本列島に住む人々を指すようになったようだ。倭国から日本国に中国に認めさせたのは確か則天武后の頃であり702年の遣唐使である粟田真人が日本国と名乗り、則天武后も認めたからだと記憶している。
この『倭』という漢字に対して、森浩一さんは『倭人伝を読みなおす』(ちくま新書)で面白い説を述べておられます。以下、森さんの説です。
・倭という漢字は左に人があり、右には上に禾(か)があり、下に女である。森さんは今までこの漢字は女性が腰をかがめて稲を刈る様子を示した漢字だと聞かされてきた。問題は禾である。
・禾という漢字は『あわ』『粟』という意味らしい。『倭人伝』には「貫頭衣之の」あと「種禾稲紵麻」とある。従来の解釈は「禾稲や紵麻を植え」と解釈して来た。禾稲の漢字二字をイネと読ませて来たが、中国資料では禾稲をイネと読ませた確実な例は無いという。
森さんは「禾、稲、紵、麻を植え」と読んだ方がいいと2~3年前に気がついたそうだ。つまり、「アワ、イネ、カラムシ、アサを植え」と読む。カラムシを紵麻の二字で書くのは新しいらしい。又、『後漢書』ではこの箇所を「土は禾・稲・麻・紵に宜しい」と書いてあるそうだ。紵と麻を逆に書いており、一字で意味が通るように書いている。
・アワは古代中国の華北地方の中心的な穀物である。殷や周の時代の主食であり、時代が下り麦が栽培されるようになる。禾というのは畑にアワが植えてある状態を表現し、収穫したあと穀粒になった状態を粟と漢字では書くそうだ。稲と米と同じだそうです。
・帯方郡から来た使者の目には北九州の島々の人々がアワ・イネの穀物やカラムシ・オオアサの織物の材料となる植物を栽培していると映った。
結論として
・倭人とは「女がアワの植栽に励んでいる人」という意味になり、弥生時代にアワも盛んに栽培していたとみられる。一概に華北はアワ、日本列島はイネが主たる作物だったとはいいにくくなった。
今回、済州島を訪問しました。この島を訪れた大陸や半島の人々の印象に『三多』という表現があります、女が多い、何時も風が吹く、岩がゴロゴロという意味です。この女が多いという言葉は海の民の特徴だそうです。昼間は畑を観ても男性は居ない、何故なら、海に漁ででているからだ。
倭人というイメージは中国人には河南地方の長江下流域の海岸地帯に暮らす海の民です。男は顔や身体に入墨をして、女は海女で海に潜り貝を採集する。陸を眺めると畑では、女が腰をかがめて働いている、男はいないのだ。耽羅を訪問した大陸や半島の人は倭人と同じ印象をうけたのではないでしょうか。というか、倭人そのものだったのかもしれない。
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