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新沢千塚古墳を調べる その4 126号墳周辺古墳群の発掘

 承前 新沢千塚古墳群を調べる その3 126号墳

 県道北直ぐに田圃の中に標高10メータ程度で東に向かい伸びた尾根、約200メータ程度南北120メータ程度の尾根に整然と築かれた、126号墳を尾根の中心に作り続々と建造された古墳群。盟主的な存在の126号墳の出土物にすいては前回に東博の資料をご紹介しました。このグループの特徴と出土遺物について伊達宗泰さんの資料を紹介します。

 ・主墳を尾根の高い位置に置き、南北に挟むように少し標高が低い位置に2個の古墳が建造され、合計3個の古墳群が整然と東に200メータの尾根に古墳群が築造された。

 ・古墳の形態は長方形墳、方墳、円墳である。円筒埴輪の存在が認められる。家形埴輪も検出されている。埋葬施設は何れも木棺直葬である。

 ・副葬品としては、126号西隣の115号墳より衝角付冑(しょうかくつきかぶと)、肩・頸鎧、三角板鋲留短甲などの武具類や刀剣・鉄鏃・鉄斧類、三神三獣鏡・五鈴鏡の銅鏡二面に多数の玉類が検出された。

 ・東端部の139号墳からも眉庇付冑(まびさしつきかぶと)、肩・頸鎧、三角板皮綴短甲や挂甲などの武具や武器が出土し主墳の被葬者の性格を偲ばせる。

 ・やはり前回紹介した126号墳の副葬品は日本の古墳では類例が無く、特異である。

 ・編年については、129号墳で須恵器Ⅰ型式後半、128号墳ではⅡ型式(森浩一編年型式)の須恵器が出土しているので、丘陵頂辺部より築造が始まり周縁部に広がる傾向を示し、5世紀後半代に群構成が始まっている。

 『前方後方墳 81号墳を中心とする古墳群』

 ・126号墳を中心とする3列で仲良く尾根に作られた古墳群の北側にこれとは異なる墳墓群が存在する。

 ・全長38.4メータの前方後方墳 81号墳を中心に周りに、取り囲むように、70号、71号、73号、74号、75号、80号、82号墳が取り囲む。更にその外側にも分布するという状態である。81号墳胃がん古墳は径10~13メータ程度の円墳であり81号墳を盟主とする集団の墳墓群であろうと推論される。

 

 『方墳 328号墳を中心とする古墳群』

 ・このような傾向を見せる古墳群に見三才古墳(宣化天皇陵)の西側の丘陵に存在する。

 ・一辺23メータの方墳 328号墳を囲むように方墳、円墳が存在している。

 『この古墳群を結論としてどう見るか』 伊達さんの意見のご紹介

 ・核的な古墳の存在が明らかな分布状態と、同質的な古墳の分布を示すもの、丘陵尾根筋に沿って分布し、分派する支脈に分かれ、更に裾に広がる傾向を一般的に示しているようだ。しかし、全部同一系列の時間的層序を示して分布するとか、地域的に時間的な広がり示しているという単純な様相ではなく、種々の様相が混在している。

 ・複数以上の被葬者集団を考えさせる状況である。

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