耽羅(済州島)紀行 その20 最終回
耽羅紀行も最終回となりました。司馬遼太郎の『耽羅紀行』を読んだのは随分と昔の頃で、仕事が忙しくのんびりと済州島を訪れる余裕もありませんでした。今や、隠居の身でのんびりと訪問する事が出来ました。有りがたいものです。
韓国料理は私の家内はまるで駄目です、辛い物と漬けものが食べれないので、可哀そうでした。私は韓国料理が大好きなんです、飛行機の機内食で一番好きなのは韓国料理です。
石焼きビビンバも大好きです、済州島に到着し直ぐに空港近くで食べた石焼きビビンバ、美味しかったです。
石の器というのが面白いですよね、昔、杉並区の三井グラウンドを発掘している時に確か縄文時代の遺物層だったと思いますが、焼けた石が多量に出土しました。専門家の話では、当時は焼き石を調理では多用したという話を聴きました。そういえば、ハワイでも豚の蒸し焼きを作る時に地下の穴にバナナの葉を敷き、肉を葉で包んで焼き石を放り込み土を被せて蒸し焼きにしました。
アワビのお粥さんで、朝食でした。これが、実に美味しいのには驚きました。アワビというのは海女さんが海に潜り採集するもので、平城京跡からは沢山の鰒(あわび)の文字が記録された荷札が出土したようです。
例えば、安房の『鰒』『調』、隠岐の国海部郡 鰒六斤、志摩国志摩郡と鰒を調として平城京に税として物納している。天平17年の志摩の荷札には耽羅鰒六斤という表記があり、解釈を巡り色んな意見があるようです。
鰒といえば、伊勢神宮に納める鰒を紐のように切り、干したものが『のし』の原型だそうですね。房総の安房は四国の阿波の海人の人々が移住した歴史を残しているそうですね。むかし、誰か考古学者の本を読んだ記憶があります。阿波と紀州は淡路島を含み同じ海人のグループだったと思います。彼らは、熊野を経由、伊勢湾に進出し、志摩、伊勢を開拓し、日本海を東に進出し最後は南房総半島に到着したのでしょうか。
耽羅の海女が日本や中国やロシアの海岸まで出稼ぎに行く訳ですから、列島内で漁場を探すのは簡単な事ですよね。
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