耽羅(済州島)紀行 その19 南岸のホテル
承前 耽羅(済州島)紀行 その18 猫山峰(太王四神記撮影所)その2
韓国と言えば、ロッテ、大規模な観光開発を済州島でも行っている。昨年は百済大典でもロッテの巨大なホテルに驚かされた。韓国のGDPを牽引している企業の一つだ。済州島は朝鮮半島の人にとり、南の海に浮かぶハワイのようなリゾート地というイメージを打ち出している。従い、その観光戦略に沿ったホテルやリゾート地の開発が行われている。
遥か対馬暖流の流れる彼方には九州島がある筈だ。海の道を通じて古代から人々は交流をしていた、国家という閉鎖的なバリケードが出来る前はもっと自由に人々は交流した。
ホテルの庭から南の海を眺めていると、暖かい日差しと、無限の海の広がりが展開し気持ちがよくなりました。人々は、海岸で今日も又、不思議なものが到着しないか、待っていたのではないだろうか。きっと幸せは、海の彼方から到来すると考えていたのではないでしょうか。
鳥越憲三郎さんの『古代朝鮮と倭族』(中公新書)によれば、独立国であった耽羅人の必死にしたたかに外交で生きた物語が語られていた。それは、百済が滅亡する頃の外交史である。耽羅は百済と外交を長く持っていたが、新羅・唐連合に包囲され、滅亡の危機に直面した時に、耽羅は新羅にも、九州は朝倉宮に行宮されていた斉明天皇にも、はたまた、唐にも耽羅は使者を出し、百済滅亡時に新羅・唐側について生き延びた歴史があるという。
城邑民俗村で名産品を見事に販売するお婆ちゃんの姿には、国の国家権力に頼るという姿勢ではなく、独立した自分たちの力と努力で生きて行くという気概を感じた。この島の人々は多分、皆さん全てがそんな気持ちで生きているのではないかと、思いました。
それにしても、ロッテさんが建設したリゾートホテルに文句を言う訳ではないが、オランダの風車を建てたりするより、もっと、誇らしい耽羅の歴史を踏まえたものを作られたらいいのにな~と、勝手に考えていました。
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