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耽羅(済州島)紀行 その17 猫山峰(太王四神記撮影所)その1

 承前 耽羅(済州島)紀行 その16 翰林邑海岸地帯

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 済州島の東の萬丈窟の近くに猫山峰という場所があり、近年、京都の太秦のような巨大な映画村が出来ました。ペ・ヨンジュンさん主演の『太王四神記』が撮影された場所で、広大な地域に何と、広開土王(好太王)が活躍した時代(4世紀末~5世紀初頭)の高句麗の都をイメージして巨大なセットが作られた。

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 ヨンさま主演のドラマの『太王四神記』は断片的にテレビで観ましたが全ては観ていません。従い、どこまで史実を踏まえているか私には不明です。多分皆さんは学校で、高句麗の中興の祖と呼ばれ、高句麗の国土を最大に拡げた偉大な王、広開土王(好太王)については歴史で学んだと思います。

 簡単に歴史を振り返ります、高句麗は紀元前1世紀の頃に初代 朱蒙(チュモン)という王が高句麗の始祖王として歴史に登場する。現在、韓国ドラマとして日本でも放映されていますね。扶余族の遊牧民であり、百済と同じ扶余族です、現在の遼寧省本渓市恒仁満族自治県の五女山山城を都とした。

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 そして、1世紀の頃に第2代王の瑠璃明王の時に少し南下し、鴨緑江のそば、現在の吉林省集安の地に都を移した。此処に山城である丸都城と鴨緑江のそばの平地に国内城(クンネ)を築いた。第19代高句麗王の中興の祖である広開土王(好太王)の頃も此処が都であった。

 我々学校の歴史で学んだのは、吉林省集安に今も残る『好太王碑』の碑文を巡る戦前の日本軍部の改竄疑惑事件と韓国の歴史学者と日本の歴史学者の激しい論争が思い出されます。最近は、少しは冷静になったと思われますが、実は、中国と韓国の間でも高句麗を巡り激しい論争が続いています。

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 ちなみに、済州島の『太王四神記』の撮影場所には絶対に中国人は訪れないと誰かから噂として聞きました。その理由は、高句麗の英雄、朝鮮民族の英雄である広開土王の都は中国の領土にあるからです。殆どが満族、朝鮮族の人々が暮らす地域で独立運動が起こるのが一番怖いのです。

 中国と北朝鮮が微妙なバランスで国境を接しているのです。古来、漢民族は最新で言えば満族の清王朝に長く支配されて来た歴史があります。

 さて、一応、ヨンさまファンの為に映画村の写真集を作りました

 マイフォト 済州島 『太王四神記』撮影現場 猫山峰写真集

 『好太王碑文』

 好太王碑文の解釈と読解について、未だに日本、韓国、中国の学者間で論争が続いている。要はこの碑文は広開土王(好太王)の功績を顕彰する為に息子の長寿王が建立したものであり、414年に建立されている。従い、なるだけ業績が大きかったように書く事や、大きな苦難をはねのけたように書くのが人情である。しかし、歴史を記録する場合、嘘は書けないと思います。誇張は存在したと思います。

 日本と関係が深い王様なので、少し、触れておきます。

 391年 倭海を渡り 百済・○○・新羅を破り臣民とする

 393年 倭 新羅を包囲する

 397年 百済は人質を倭に送り399年に百済・倭同盟が出来る

 402年 新羅は倭に人質を送り倭との同盟を図る

 409年 倭軍は高句麗の帯方郡まで攻め込むが撃退した

 高句麗が朝鮮半島を南下する大義に倭が侵略しているから、百済・新羅を助ける為に高句麗は倭と戦ったという論調である。そして、三国志や朝鮮の歴史書には登場しない『任那』という文字が碑文に登場する。日本書紀を始め、日本側の歴史書にしか登場しない朝鮮半島南部に存在した地名と考えられる。

 私の素人の考えでは、高句麗の南下侵略に困った、百済や新羅、加羅(伽耶)の国々の人から応援を頼まれて、わざわざ朝鮮半島まで助っ人として出兵したと考えています。理由は、洛東江流域の伽耶・加羅の鉄資源を守る為です。石油を守る為にアメリカや欧州諸国が中東に派兵してるのと同じ。

 そんなに、中国・韓国・日本の学者が口角泡を飛ばして喧嘩する必要などないと思う。

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