新沢千塚古墳群を調べる その1 概観する
東京国立博物館(東博)で出会った畝傍山南の新沢千塚古墳出土の遥かローマや西アジアの遺物に感動し、それが5世紀、ひょっとすると4世紀末かもしれないが、そんな日本列島が未だ国としても未成熟な時代に何故、古墳に埋納されたのか、衝撃でした。こんな、大事な事を何故知らんかったんやろ?考古学者は何処かに一杯秘密を隠しているんではないだろうか、疑いが湧く出会いでした。
という訳で、この古墳と関係が深い森浩一さんの『探訪 日本の古墳 西日本編』(有斐閣選書)を徹底的に精読する事にした。筆者は(故)伊達宗泰さん(橿考研、花園大名誉)である。
グーグルアース (予めグーグルアースをインストール必要) 新沢千塚古墳
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新沢千塚古墳群は橿原市と武市郡高取町にまたがる地域に存在し、越智岡丘陵上に600基近い古墳群が集中する。標高150メータ程度であり、東西2キロの領域に存在する。西は蘇我川が南北に流れ、東は高取川が南北に流れ境界を結している。
『周辺の環境について』
橿原神宮駅は今まで何回も訪問しています、この北側は縄文時代から歴史時代までの複合遺跡である橿原遺跡と呼ばれている。1938年に橿原神宮神苑拡張工事の時に多数の土器、土製品、骨角器、石器、石製品、木製品、等々注目されるものが出土した。
縄文関連では新沢千塚古墳の北の位置の箸喰遺跡から後晩期の土器片が出土している。弥生全期を通じて忌部山・天満山遺跡では弥生高地性集落跡が発掘されている。
古墳関連では畝傍山麓のスイセン塚古墳、イトクノ森古墳と呼ばれる前方後円墳が前期古墳と考えられている。新沢千塚古墳では500号墳(茶臼山古墳)が注目される。
全長113メータの前方後円墳、見三才(みさんざい)古墳『宣化天皇陵』や、一辺85メータの日本最大の方墳、枡山古墳(倭彦命墓)も古墳群中に含まれる。飛鳥地域の西辺に位置する丘陵が千塚古墳群が分布する地域である。
式内社の鳥坂神社や牟佐坐(むさにいます)神社が位置するという事は、古代氏族の大伴氏や渡来系集団との関連を示し、東漢氏(やまとのあや)の本貫地の檜隈の隣接地帯として渡来系集団との関係、大伴・久米・忌部などのヤマト王権の伴造(とものみやっこ)系氏族との関係を示す多くの地点を残している。
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