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曾祖父(筒井源左エ門)の歴史を辿る旅 その1 故郷

 私の姉が私の父、祖父、曾祖父と辿った戸籍を送付してくれました。私の父はどんな環境で育ったのだろうか、そして先祖のルーツを辿ってみたいと思いました。父は故郷の話は一切しない人でした、祖父の兄弟の末裔から話を伺う程度でした。

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 曾祖父の本籍の場所です。有明海から貿易船が川を遡上し曾祖父の家の近くまで水路が開けています。

 『筒井 源左エ門』

 佐賀県杵島郡橘村大字芦原295番地です。戸籍では、佐賀県杵島郡蘆原町290番地となります。

 曾祖父の父は筒井吉十。そして、源左エ門さんは、長男として天保6年(1835年)12月5日に生まれています。この年は武雄市史によれば、冷夏で全国的に飢饉が襲ったようです。しかし、この辺りは難を免れたようです。今から175年も昔の話になります。

 源左エ門さんは、嘉永7年(1854年)10月朔日に家督を継いでいます。曾祖父19歳の時になります。曾祖母は天保7年(1836年)3月7日生まれの千綿伊十の長女です。

 源左エ門さんの長男で相続人の筒井吉蔵は私の祖父にあたります。慶応元年(1865年)1月2日生まれです。曾祖父が30歳の時に長男が生まれたのですね。明治24年(1891年)3月6日に筒井家を相続しています。吉蔵さん26歳で相続した事になります。

 吉蔵さんの奥さんで私の祖母は佐賀県佐賀郡赤松町の秀島忠香の三女ツルさんでしたが、明治18年に吉蔵さんの奥さんとなっています。この方は鍋島の姫さんと呼ばれていたと聞いています。

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 祖母の生誕地である佐賀県佐賀郡赤松町 秀島忠香の邸宅跡は佐賀城の堀のそばです。如何に由緒ある家の出身か判ります。吉蔵祖父の奥さんになったツルさんは、明治2年10月16日生まれですから、16歳で嫁入りした事になります。

私の父は吉蔵の二男として明治33年4月6日に生まれています。筒井家は父の兄貴である英一さん、明治20年6月7日生まれの人が相続しました。

 さて、これから天保6年生まれの曾祖父の筒井源左エ門が如何に混乱期の幕末を生き抜いたのか、調べて行きたいと思います。数年かけて足跡を辿ろうと思います。

 早速に、現地の角味噌・醤油(株)の方や、武雄市図書館・歴史資料館の方の御協力を頂きました。歴史資料館の指摘では、江戸時代には源左エ門さんの原籍は蓮池支藩の領地であり、蓮池藩を調べないといけないようです。

 

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