纏向遺跡 大型建物跡南土坑出土遺物
承前 2010年9月記事 纏向遺跡大型建物跡南土坑 2千桃の実出土
本日、2011年1月22日朝刊(読売新聞)では、『纏向遺跡から多様な供物 アジ、シカ、稲、子の実・・・・・ 』強大な権力 祭祀の跡か。という、見出しで記事が載りました。
産経ニュース 『纏向遺跡から山海の幸、祭祀の供物で並べられたか』
昨年9月に発表された、纏向遺跡の大型建物跡の南5メータの地点に位置する土坑から多量の桃の実(約2千個)が発見され、祭祀の痕跡であると話題になりました。今回はその土坑の土に含まれていた動物遺体・植物遺体の分析結果が桜井市教育委員会より発表された模様です。
土嚢400個という多量の土を分析したようだ。動物遺体は宮路淳子(奈良女)さん、植物遺体は金原正明(奈良教育大)さんが担当されたようです。約3カ月間分析されたのでしょうね。
読売新聞の報道では、マダイ、アジ、サバなどの近海魚のほか、コイの仲間の川魚など6種類以上の魚の骨や歯、ウロコを確認したそうだ。動物では、イノシシやシカに加え、鴨の仲間の骨も含む千数百点も見つかった。
植物遺体関連では、稲、アワなどの種や実など73種類9760点を確認したという。中でも麻の種は535点、紙の原料で実が食べられるヒメコウゾの種は480点が出土したという。土壌には海藻に付着する植物性プランクトンも含まれ、ワカメなどがあったと推測された。又、桃の花粉も検出され、近くに桃園があったのではないかと考えられる。
出土した骨などは、桜井市立埋蔵文化財センターで22日~2月27日(月・火休館)の期間展示されるそうです。
辰巳和弘(同志社)さんの話では、『食国(おすくに)儀礼』の原型ではないかと推測し、纏向遺跡の有力者の支配が大阪湾にまで及んでいた事が判り、卑弥呼の食卓も想像出来る発見であると述べた。
和田萃(あつむ)(京都教育大)さんのコメントでは、この場所が単なる農村ではなく、都市的な場所であった事が改めて判明したと述べた。
昨年の桃の実の出土土坑は3世紀中頃と考えられているので、卑弥呼の死亡した時代と重なる。動物遺体・植物遺体の炭化物が仰山出土しているので、放射性C14法で時代の分析はされたと思います。
最近の考古学では今回のような動物遺体・植物遺体分析が行われています。今まで見逃していた科学的分析が行われ、多面的な角度で遺跡を分析して行きます。
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